2008年7月13日 聖霊降臨後第9主日
「すべての民をわたしの弟子にしなさい」
マタイによる福音書28章16-20節

近藤 勝彦(こんどう かつひこ)
東京神学大学教授
1943年 東京に生まれる。
東京大学、東京神学大学、
チュービンゲン大学に学ぶ。
東京神学大学教授、神学博士。

 

伝道の根本聖句

 プロテスタント日本伝道が開始されて、間もなく一五○年になります。一九世紀は信仰復興が起こり、多くの伝道団体が産み出されました。日本だけでなく、インド、中国、台湾、韓国など、英米の福音主義教会によって伝道が活発に進められた時代でした。それらに決定的な影響を及ぼした聖書の御言葉は、主イエスの伝道命令でした。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」「わたしは世のおわりまで、いつもあなたがたと共にいる」。この箇所はプロテスタント世界伝道の「根本聖句」になりました。この箇所を「伝道のマグナ・カルタ(大憲章)」と呼ぶ人もいます。日本伝道一五○年を記念するとき、あらためて主のこの御言葉に聞く必要があります。

 「すべての民をわたしの弟子にしなさい」。そう命じられたのは、特に非の打ち所のない完璧な弟子たちではありません。主が十字架にかかられる前夜、主を見捨てた、信仰のあやふやな、なお疑う人も含まれている弟子たちです。しかし主イエスが選び、弟子とした人々でした。教会は自分たち自身、優れた人々の集まりではありません。主が恵みをもって選び、赦し、弟子としてくださった人々の群です。その弟子たちに、主は他の人々を「主の弟子」とせよと命じられます。

 

伝道とは何か

伝道とは、「主イエスの弟子にする」ことです。人間は皆、他のことを求めているかもしれません。物質的にもっと豊かで健康な生活、あるいは仕事の成功や他の人から高く評価されることなどを求めるかもしれません。それを「わたしの救い」と言うかもしれません。しかし聖書は、「主の弟子にする」こと以外のことを「救い」と見なしたり、それ以外のことを伝えようとはしません。聖書は、唯一の救いをただ「主の弟子にされる」ことの中に見ています。そしてそれを伝えます。他のことによっては、人間は救われないからです。

 「主の弟子になる」とは、「主のもの」とされ、「主イエスに属するもの」とされることです。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と主は言われます。主は、地上の御生涯の間、神のみが持ち得る「罪を赦す権能」を行使されました。「病人を癒す権能」、そして「悪霊を追い払う権能」も行使されました。「主の弟子にされる」ことは、イエスの権威ある力のもとに身を置いて、罪の重荷から解放され、私たちを神から引き離し、神に敵対させる汚れた霊からも解放されることです。病や死の支配からも解放され、本当の平安に生かされることです。

 「主の弟子にされる」ことの中には、私たちが受けることのできる救いがいっぱいに詰まっています。本当の自由、健やかさ、究極の平安。しかし中でも重大なのは、何を与えられるよりも、主イエスとの切り離されることのない結びつきを与えられることです。そして神の子とされ、神と共にあることを許されることです。それによって、私たちが何をなすべきかも示されます。根拠もなくこう言っているのではありません。こう言うのは、確かな根拠があってのことです。その根拠は「主イエスが天と地の一切の権能を授かっている」ということの中にあります。主イエスは「だから、わたしの弟子にしなさい」と言われたのです。主イエスが父なる神から一切の権能を授かっている。それに対応した生き方に招かれています。主の弟子にされることです。主が一切の権能を授かっているその証拠は、主が復活されたことにあります。主が一切の権能を授かっていることは、私たちにとってこの上なく素晴らしいことです。他のどんな力も主イエスから私たちを引き離すことはできないからです。そこに、私たちの人生が慰めを与えられ、意味ある人生を生きることのできる根拠があります。

 

歴史形成的な力

 日本伝道一五○年、しかし伝道はまた一○○年、二○○年の問題ではないとも言うべきではないでしょうか。時代を超え、世代を超えて、何世紀もかけて、進められるべきものです。主イエスは「世の終りまで」とおっしゃいました。世の終り、世の完成に至るまで、すべての民を主の弟子とする伝道の働きは進められなければなりません。世の終り、世の完成を目ざしてなされる伝道こそが「歴史形成的な力」を持っています。世界史の賑わいがどんなにあったとして、そこに伝道がなかったなら、意味のある歴史が形成されることにはならないでしょう。世界史は、その中で主の権能が伝えられ、主の弟子とされる人々が出てこなければ、何のための世界史かということになります。その中に伝道があって、救いが伝えられる歴史を、日本も歩む必要があります。

 

弟子たちと共にいる主イエス

主はその弟子たちと共にいると約束してくださいます。「行って、すべての民を弟子にしなさい」。この言葉を主は、「近寄って」語られました。そして共にいてくださいます。伝道する教会が「行く」とき、主イエスは共に行かれます。主イエスはすべての民に近寄っていきます。疑う人にも主は近寄り、共にいてくださいます。

「いつも(共にいる)」とあるのは、「あらゆる日々」です。主が共におられることを信じられない日にも、伝道に挫折を感じる日にも、主は共にいてくださいます。あの試練と挫折のとき、あのときも主は共にいてくださったと思い起こすことができます。それが伝道する教会の力です。

伝道は、私たち自身の力によるのではありません。私たちに近寄り、共にいてくださる主が、命じられることです。その主が伝道する私たちと共に、すべての民に近寄っていきます。それもまた主が一切の権能を授かっているからです。

 

 

 

 

 



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