| 2007年4月1日 棕櫚の主日 「教会の成功とは何か」 詩編31編2〜17節、マタイによる福音書21章1〜11節 |
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誰でも人違いされることは、時々あることと思います。有名な人と間違えられると特に困りますね。カナダで私は、「鈴木ダビデ」という生物学者とよく間違えられます。四〇年間も人気のあるテレビの科学プログラムのスターで、三世の日系カナダ人で、僕と全然似ていないとは思いますが、ただ、白髪で髭を生やしていて、眼鏡をかけた七〇歳代の東洋人というだけで、道やバスの中で人がたかってきたり、部屋に入ると拍手されたり、油断がなりません。マイクを突きつけられて意見を聞かれたら、正直に、「僕は鈴木博士ではありません」と言うのですが、たかってきた人たちは、「なんだ」という顔で、何か僕が嘘をついていたような態度で立ち去っていきます。困ります。エルサレムで、群衆に凱旋将軍のように歓迎された主イエスも困っただろうと思います。 イエスさまは御在世中、人気のある有名な説教者で、病気を奇跡的に治すことでも有名でした。ですからそのような人が、重要な「過越しの祭り」に首都エルサレムに来るという事件は誤解されやすい事件だったと思います。エルサレムの住民は皆、ローマ帝国の圧政から解放してくれる大将軍か王様が現れるのを待ちに待っていたのです。だからイエス様がエルサレムに来るという噂は、新聞、ラジオ、テレビのない時代ですから、すぐユダヤ人を解放する将軍か、王様が凱旋入門するという話に代わってしまったのだと思います。とんでもない誤解です。イエス様にとって、金も、大群衆も、軍力も、権力も、目的ではなかったからです。神の愛に生きることだけが彼の目的で、愛だけが彼の成功の標準だったからです。 イエス様もそのような誤解が起ると予想なさっていたのでしょう。そんなことにならないように、手を打とうとなさって、みすぼらしいロバに乗られたのでしょう。大将軍ならば堂々と白馬に乗るでしょうし、王様なら立派な馬車に乗るでしょうから、小さくていやしいロバに乗れば、誤解を招かないですむと思われたのではないでしょうか。でも聖書にあるように、そうはいきませんでした。群衆は長いこと待ちに待った救い主がやっと到着したと、それはそれは大騒ぎで、イエス様を凱旋将軍のように、お祭気分で大歓迎しました。もちろんイエス様の唱えた神の国は強力な大帝国ではありませんでした。期待が大きかっただけに、失望も大きく、人気はほんの五日の間で敵意に変わり、「十字架にかけて殺せ」と叫ぶ暴徒に変化したのです。今日の教会も、財政や、会員の数とかばかりを成功の尺度と考えていると、エルサレムの群衆と同じになるのではないでしょうか。今朝、エルサレムの群衆のような間違いを繰り返さないよう、教会にとって成功とはどのようなものであるか考えてみたいと思います。 歴史を遡ってみると、キリスト教会が一番成長したのは、イエス・キリストが御在世後三〇〇年間でした。ワシントン州立大学の社会学教授のロドニイ・スタークは「初代教会はどうして高度成長をしたか」という研究をしましたが、その結果によると、初めの三〇〇年間にローマ帝国の五六・五%の人口がキリスト教会に属するようになりました。キリストが十字架に架けられた時おそらく一〇〇人位の人がキリストに従っていたと予想されていますが、三〇〇年後には三千四百万人が教会に属していたと予想されています。毎年四%の成長です。そのために、ローマ皇帝はキリスト教を国教にしなければならないことになったのです。過去、歴史家は、コンスタンチン皇帝がクリスチャンになったから、ローマ帝国はキリスト教国になったといいましたが、スタークは「それは反対で、クリスチャンが大多数になったから、キリスト教を国教にしなければならなかったのだ」と言います。 これは三〇〇年もキリスト教が禁じられていた時に起きたことで、不思議なことです。考えてみてください。キリスト教会に属していることが見つかっただけで死刑になる時代で、夜カタコウムという地下の墓場など人に見つからないような所で秘密に礼拝を守った時代です。おおっぴらに伝道などとてもできない時代の話です。スタークは無宗教の学者ですから、奇跡などという言葉は使いません。科学的にその高度成長の理由を調べたのです。その結果八つほどの理由を挙げているのですが、今朝は時間の関係上、一つだけをお話しいたします。それは、クリスチャンの病人に対する態度でした。 聖書によると、病気になる人は悪いことをしたか、悪霊に憑かれたと信じられていた時代に、イエス様は、汚い、気持ちの悪い病人でもそばに近寄り、御手をおいて癒されました。初代教会の指導者キプリアノスとか、デオニシオスの諸教会に宛てた手紙によると、人口の三分の一も死なせた伝染病の最中でも、「主イエスのなさったように病人のそばを離れず、介抱しなさい」と勧めています。ご承知のように、一九世紀のフランスのパスツールが細菌を発見するまで、病気は悪事をした結果か、悪霊に憑かれた結果だと信じられていたのですから、病人のそばに寄らず、病人を見捨てるのは当たり前のことでした。日本でも、つい最近まで、心の病者、結核患者、ハンセン病患者はよく家族でも見捨てたことは憶えている方もおられると思います。科学の発達した今日でもエイズに罹った人、心の病に罹った人は社会から見捨てられますね。 特に、昔のローマ帝国では、三世紀の四分の一の人口を殺した天然痘、また四世紀に三分の一を殺したペストなどの患者は、悪霊に憑かれた人として、医者も家族も含めて人々は彼らを見捨てたのです。死亡率が高かったわけです。そのような時でも、クリスチャンは、主イエスに従って復活を信ずる信仰によって、死を恐れず病人の看病をしました。その結果、クリスチャンは伝染病を克服して生き延びたわけです。スタークの歴史調査によると、八一%のクリスチャンは伝染病を克服して生き残り、ノンクリスチャンはたった四九%生き残ったと記録されています。これは、病人を見捨てて逃げた二○%の人たちを含むのですから、実際には、ノンクリスチャンの患者はたった二九%しか生き残らなかったわけです。ただ単に、クリスチャンが多数生き延びただけではなく、それを見て多くの未信者が、伝道集会に行かなくても、説教など聞かなくても、人に誘われなくても教会に入ったわけです。キリストの愛を耳で聞いてのことではなく、愛が実行されるのを目で実際に見て、イエス・キリストを信ずるようになったわけです。 先ほども申し上げたようにスタークは、その他にも七つほどの高度成長した理由を挙げていますが、いずれもイエスを迎えたイスラエルの群衆が望むようなものではありませんでした。いずれもイエス・キリストを模範にした犠牲的愛に基づいた生き方です。ただ一つだけ付け加えさせていただくと、キリスト教会が女性の地位を認めたことです。特にその頃はやっていた女の赤ん坊を殺す習慣を教会は禁じ、女性の教会役員もたくさんいました。使徒言行録に重要な女性の名前も多く出ています。 こうして初代のキリスト者たちは、死も、古い習慣も恐れず、権力や財力を目当てにせずに、ただキリストの愛に基づいた生き方だけを模範にして生きていきました。そのために会員が急に増えたのですが、それは予想外の結果で、人数を増やすことは、目的ではなかったのです。 スタンレイ・ジョーンズという有名な伝道者が話したエピソードですが、あるときアメリカの牧師とインドの牧師が自分の教会の自慢話をしたそうです。アメリカの牧師は会員の増加とか、新しい会堂やパイプオルガン、財政の健全さの話をしました。インドの牧師は教会のお陰で、村の人々の間に裁判事件が少なくなったことや、少年犯罪や離婚が減ったことなどを自慢しました。アメリカ人が「昨年何人新会員が入会したか」とたずねました。インドの牧師は覚えていませんでした。 さあ、どちらの教会がもっとも成功したのでしょう。 |
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