| 2011年6月5日 復活節第七主日夕礼拝 「立ち直るために」 |
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ダビデは、嫉妬するサウル王に苦しめられていました。戦で活躍したダビデを人々が「『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』」(Jサムエル18・7)と歌ってたたえたことがきっかけでした。ダビデに自分の地位が奪われると思い込んだサウル王は、ダビデの命を狙うようになりました。ダビデは誤解を解こうしましたが、サウル王には分かってもらえず、逃亡生活が始まりました。 24章では、サウル王を暗殺するチャンスがダビデに訪れます。ダビデの仲間も暗殺を促しました。しかし、それは神様の御心に反すると思ったダビデは、サウル王と和解しようと試みました。「『主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。わたしは手を下しはしません』」(13節)とダビデは語り、サウル王との和解が成立しました。しかし、その和解は一時的なものでした。26章でも、サウル王を暗殺するチャンスがダビデに訪れます。その時もダビデは、「『主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない』」(9節)と言って、全てを神様にお任せすることにしています。同じような物語の24章と26章にはさまれる形で、今日の二五章があります。 サムエルが死んだことが25章1節で報告されています。サムエルの死は、ダビデに衝撃を与えたでしょう。サムエルはダビデの頭に油を注いで、次の王になることを約束してくれた人物です。しかし逃亡生活の最中のダビデにとってはその約束が、現実味を帯びていませんでした。サムエルが死んだことによって、その約束は本当に実現するのか、さらに不安になったのだと思います。 ダビデはその頃、600人の仲間と共に逃亡生活をしていました。生活の拠点がない逃亡生活ですから、600人を養うのも大変なことでした。食べ物に困ったダビデは、ナバルという裕福な家畜所有者に頼ることを考えました。「『羊の毛を刈っておられると聞きました。あなたの牧童は我々のもとにいましたが、彼らを侮辱したことはありません。彼らがカルメルに滞在していた間、無くなったものは何もないはずです』」(7節)。外敵に襲われないように、ダビデたちがナバルの羊を守ったというのです。それは事実だったようですが、あまり紳士的な要求ではありません。暴力団の取り立てのようです。「今までは何も言わずに守ってやったけれども、正式に契約を結ぼうじゃないか。その証拠として食料をいくらか分けてくれよ」と願い出たのです。 ナバルの答えはノーでした。「『ダビデとは何者だ、エッサイの子とは何者だ。最近、主人のもとを逃げ出す奴隷が多くなった。わたしのパン、わたしの水、それに毛を刈る者にと準備した肉を取って素性の知れぬ者に与えろというのか』」(10、11節)。ダビデに協力すれば、ダビデを殺そうとしているサウル王との関係が悪くなってしまうでしょう。ナバルがダビデを拒絶することは、現実に即した賢明な対応でした。 拒絶されたダビデは、怒り心頭に発します。「ダビデは兵に、『各自、剣を帯びよ』と命じ、おのおの剣を帯び、ダビデも剣を帯びた。四百人ほどがダビデに従って進み、二百人は荷物のところにとどまった」(13節)、「『荒れ野で、あの男の物をみな守り、何一つ無くならぬように気を配ったが、それは全く無益であった。彼は善意に悪意をもって報いた。明日の朝の光が射すまでに、ナバルに属する男を一人でも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰してくださるように』」(21、22節)。これは最近の言葉で言うところの「逆ギレ」です。しかも、ナバルに復讐することが、神様の御心であるとダビデは理解しています。逆上した自分の感情を、神様のせいにしようとしているのです。 そこにナバルの妻アビガイルが登場します。ナバルの部下がアビガイルに報告をしたのです。「『御主人にも、この家の者全体にも、災いがふりかかろうとしている今、あなたが何をなすべきか、しっかり考えてください』」(17節)。決断を迫られたアビガイルは、急いでダビデたちに食べさせるための食料を用意し、ダビデの説得に向かいました。 結果的に、アビガイルの説得の言葉を受け入れ、ダビデは復讐を思い直すことになります。それで、ナバルとアビガイルは命拾いすることになりますが、この時のダビデとアビガイルのやりとりに注目をしますと、本当に命拾いしたのは、ダビデであったということに気付かされます。アビガイルはダビデに次のように語りました。「『あなたを引き止め、流血の災いに手を下すことからあなたを守ってくださったのは主です』」(26節)、「『いわれもなく血を流したり、御自分の手で復讐なさったことなどが、つまずきや、お心の責めとなりませんように』」(31節)。ダビデは、サウル王に復讐するという誘惑に打ち勝ったばかりでした。それなのに彼は、期待した食べ物がもらえず、侮辱してきたナバルに逆上し、復讐しようとしていたのです。復讐心に駆られ、ダビデは信仰を失いそうになっていたのです。そんなダビデを信仰へと立ち直らせてくれたのが、アビガイルの言葉だったのです。彼女の言葉を受け入れることができたのは、ダビデにとって幸せなことでした。自分に油を注いでくれたサムエルが死に、ダビデは自暴自棄になっていたのだと思います。ダビデには支えとなってくれる人が必要でした。神様は、サムエルに代わってダビデを支える存在として、アビガイルを用意してくださったのです。復讐という罪を犯そうとしていたダビデを、信仰へと立ち直らせるために、神様はアビガイルをダビデのもとにお遣わしになったのです。命拾いをしたのはダビデだったのです。 この先を読んでいきますと、ナバルが死に、未亡人となったアビガイルがダビデの妻となることになります。直接手を下したわけではありませんが、ダビデは間接的に夫を死に追いやった人物です。アビガイルが、そんなダビデの妻になることに疑問を感じるかもしれません。しかし、こうなることが神様のご計画だったのだと思います。「賢い妻は主からいただくもの」(箴言19・14)という御言葉があります。アビガイルは、ダビデの良き助け手として、神様が用意してくださった「賢い妻」だったのです。 ダビデには二つの選択肢がありました。アビガイルの言葉を受け入れるか、アビガイルの言葉を無視してナバルに復讐するかです。神様に従う道と、復讐心というサタンに従う道という二つの選択肢があったということです。ダビデはその選択を間違いませんでした。 私たちが、不信仰に陥りそうになる時、神様は立ち直るための何かを送ってくださるでしょう。ダビデにアビガイルが遣わされたように、人との出会いが与えられるかもしれません。他の方法かもしれません。それを受け入れるか、拒絶するかは、あなたが決めることです。自由な意志が与えられているからです。神様に従う道か、サタンに従う道か、どちらかを選ぶことができます。ダビデは、アビガイルの言葉を受け入れ、信仰に踏みとどまり、神様に従う道を選びました。あなたはどちらの道を選ぶのでしょうか。 | ||||||||