2009年1月11日 公現後第1主日・成人祝福礼拝
「若い力を発揮せよ」

テモテへの手紙一4章6-16節


宮庄 博(みやしょう ひろし)
銀座教会副牧師
1977年 大阪に生まれる
2005年 東京神学大学大学院を修了
銀座教会伝道師(2007年12月より副牧師)

エジプトで発見された4000年ぐらい前の古い資料には、「最近の若いもんはなってない」というようなことが書いてあったそうです。「最近の若いもんは……」。思わず口から出てくる言葉ではないでしょうか。人類は、何千年もの間、自分より若い人を見て、「最近の若いもんは……」とつぶやき続けているということです。

テモテは若い伝道者でした。年が若いことを理由に、教会の中で軽んじられていたのかもしれません。「若僧の話なんて」とテモテの話をまじめに聞こうとしない人がいたのかもしれません。パウロは12節で、「あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません」と記した後、軽んじられないようにするために、「むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい」と勧めています。言葉や行動とは外面的なこと、愛や純潔とは内面的なことです。自分の外面・内面・信仰を磨くことを、パウロは若いテモテに勧めているのです。そして「そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう」(15節)と言うのです。若いことを理由に軽んじられるのは、苛立たしいことで、仕返しをしたり、相手を言いくるめたくなるところですが、自分の外面・内面・信仰を磨き、進歩することをパウロは勧めているのです。人間的にも霊的にも進歩したその姿は、必ず周りの人から認められるのです。「信じる人々の模範」と言われるほどに進歩することを、パウロはテモテに期待しているのです。

ある高校生の言葉が私の心に残っています。「私は大人の人に、『若い人はいいねぇ』と言われるけど、それは違うと思います。若い私にも、嫌なことだってあるし、辛いこともあるから、若いことが幸せの理由とは言えないと思います」。どうして、若い人は「いいねぇ」と言われるのでしょうか。

第一に、肉体的なことが挙げられます。人間の肉体は、20歳を過ぎると老化現象が始まると言われています。ですから、肉体に支障を来すようになった時に、若い人の元気さを見て、「若い人はいいねぇ」と言うと思います。

第二に、若い人は、長い人生が残されているということが挙げられます。残りの人生が長いということは、いろんな可能性が残されているということです。年を取ってくると新しいことを始めるのに、なかなか踏み出せなくなります。しかし若い人は、たとえ失敗しても、またやり直すことができるのです。新しいことにチャレンジする可能性が残されていて、失敗してもまたやり直すことができる若い人を見て、人生のベテランは、「いいねぇ」と思うのだと思います。

人は、とんとん拍子でうまく行っている時よりも、失敗を経験して進歩するのだと思います。信仰は、一年ずつ同じだけ増えていくというようなものではありません。人生の中で遭遇する様々な経験を通して私たちの信仰は成長していきます。多くの場合、辛い経験や悲しい経験を通して、進歩させられるのです。

筋トレというのは、筋肉を育てるトレーニングなのですが、原理としては、今ある筋肉がそのまま大きくなるのではなく、筋肉に負荷をかけて、一度筋肉を破壊して、破壊された筋肉が回復する時に、それまでの筋肉よりも大きな筋肉になるのだそうです。筋肉は負荷をかけることによって、一度マイナスになるけれども、その後はそれ以前よりも成長するのです。

私たちの信仰生活にも共通するものがあると思います。私たちは、辛い経験や悲しい経験をしますと、一度、信仰がマイナス方向に向かいます。「どうして自分だけがこんな目に遭わないといけないんだ。私は神さまに見捨てられたんだ」と思ってしまうからです。しかしその試練を乗り越えてこそ、私たちの信仰は大きく成長するのです。パウロは、「信心のために自分を鍛えなさい」(7節)と言い、嘆くだけでなく、様々な経験を通して、神さまを信じる心を鍛えるように促しているのです。

ヘブライ人への手紙に「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。……なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである」(12章5、6節)という御言葉があります。辛い経験や悲しい経験をした時、それは「主の鍛錬」なのだと受け止めて、自分の信仰を鍛えるチャンスだと思ってほしいのです。「主の鍛錬」は、原因と結果が単純に結びつかないことがあります。しばらく経ってから、「あれは、この時のためだったのか」と分かることがあるのです。「どうしてこんな辛い目に遭うのだろうか」と思う時にこそ、よく考え、「今は私の信仰が成長するように促されているのだ」と思って、自分の信じる心を鍛えてほしいと思います。

パウロは、「体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです」(8節)とも言います。「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と言われますように、体を鍛えることは大切なことです。ただそれは、この世の生涯を閉じるまでのことです。信心は、この世に生きている間だけでなく、肉体が死を迎えた後のことをも視野に入れているのです。神さまを信じ、イエスさまを救い主と信じて、洗礼を受けた人には、永遠の命が与えられ、死を迎えた後も、神の国に入ることができるのです。

パウロは14節で、「あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません」と勧めています。「恵みの賜物」とはギリシャ語では「カリスマ」という言葉です。世間でよく耳にする言葉ですが、元々は、神さまから与えられた「恵みの賜物」を「カリスマ」と言うのです。皆さんに与えられたカリスマは、一人ひとり同じではありません。それぞれ異なる「恵みの賜物」を与えられているのです。ぜひ、それを神さまのために、そして教会のために用いてほしいのです。

今年は、プロテスタント日本伝道150年の記念の年です。新成人の皆さんは、50年経ってもまだ70歳です。50年後の200年記念に向けて、若い皆さんの力が必要になってくるのです。教会の将来を担うのは、若い皆さんです。外面・内面・信仰を磨き、教会のために、与えられた恵みの賜物を用いてください。若い力を発揮してください。ベテランの皆さんも、「そんな先のことは自分とは関係のないことだ」とは思わずに、50年後、100年後の教会のために、熱心に祈ってください。若い人も、昔若かった人も、自分を磨き、信仰を鍛え、神の国を目指して、前進してまいりましょう。



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