2003年4月6日 受難節第5主日礼拝
「悲しみのキリスト」
マルコによる福音書 14章27〜52節

長山 信夫(ながやま のぶお)
銀座教会牧師
1944年 東京に生まれる
1970年 東京神学大学大学院を卒業
宇佐美教会(静岡県伊東市)
谷村教会(山梨県都留市)
鳥居坂教会(東京六本木)
の牧師を歴任
1998年 銀座教会牧師

 主イエス・キリストがしばしば祈られたことはよく知られています。中でもゲッセマネの園で祈られる主イエスのお姿は、深い印象をわたしたちに与えます。

恐れもだえるキリスト

 ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」(33〜34節)。
ゲッセマネの園で祈っている間、特別に愛した三人の弟子たちにそばにいて離れないように命じられたのです。聖書は、主イエスの弱さを強調しているように思えます。

強がる弟子たち

 ゲッセマネの祈りの前後に、弟子たちの姿が描かれています。主イエスの弱さと対照的です。
「あなたがたは皆わたしにつまずく」と予告される主イエスに対して、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」とペトロは力を込めて言い張り、皆の者も同じように言ったと31節にあります。47節には、逮捕にきた大祭司の手下に剣を抜いて切りかかった人のいたことが記され、マタイ福音書はそれが弟子たちの一人であること示しています。

ペトロの挫折

 弟子たちの決意に偽りはありませんでした。実際ペトロは、逮捕された主が連れていかれたとき、大祭司の中庭に危険を冒して後を追って行ったのです。そこで主が予告されたとおり、主を三度否み、呪いの言葉さえ口にしたと聖書は記します。
 ペトロの挫折は当然と言えなくもありません。ペトロは死ぬことがあっても主の弟子であり続けると誓っているのですが、死は、すべてを奪ってその人を完全に無力化してしまいます。自己の力に頼る決断は、死の前にはむなしいのです。

アッバ、父よ

 主イエスの祈りは、ヨハネ福音書17章の大祭司イエスの祈りと言われるもの以外にはあまり知ることができません。しかし、ゲッセマネの祈りは、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈られたと次のように記されています。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(36節)。
 「アッバ」はアラム語でお父ちゃんとの幼児語だということです。主イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(ルカ福音書18章17節)と教えられました。死を前に無力化せざるを得ないわたしたちがなお希望を持って前進することができるとしたら、それは死から命をもたらす父なる神の力による以外にないことを、ゲッセマネの祈りはわたしたちに教えているのです。

眠る弟子たち

 主が祈っておられたとき弟子たちは繰り返し眠ってしまっていたこと聖書は告げています。それではどうして、ゲッセマネの祈りの言葉を弟子たちは知ることができたのでしょうか。復活の主にたずねたのでしょうか。弟子たちには、主の日頃の教えから、こうであったに違いないという確信があったようです。

逃亡するダビデ

 父なる神のうちに逃げ込む主イエスの弱さを、勇者ダビデ王にも見ることができます。息子アブサロムがクーデターを起こしたことを知ったダビデの逃亡する姿を聖書はこう記します。
 ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った。(サムエル記下15章30節)
 逃げ惑う哀れな王の姿は、息子に裏切られる最大の悲劇を迎えて、自分の力によらず神にすべてを委ねたダビデの徹底した信仰を示しているのだと聖書学者は考えています。

主イエスに学ぶ

 ゲッセマネの園で祈られる主イエスは、特愛の3人の弟子たちを伴われ、「ここを離れず、目を覚ましていなさい」と命じられました。十字架に架けられる主イエスは、罪と死の力を克服する使命を、自己の力によらず父なる神の力によって果たされたのです。逆境のときに、信仰を燃え立たせるように、主にならうものとなるようにと、弟子たちを伴われたのではないでしょうか。

ガリラヤでの出会い

 「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われたのに続いて、「わたしは復活した後あなた方より先にガリラヤへ行く」と主は予告しておられました。ガリラヤは弟子たちの出身地で、挫折し、主を失った弟子たちが、帰ることができるのはそこしかありませんでした。しかし、復活の主はそこでわたしたちを迎えてくださるのです。
 「福音は、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です」を今年の教会標語として銀座教会は歩んでいます。究極的には、わたしたちを支えているのは自分の力ではありません。神の力によって救われるものとなりましょう。
 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一10章13節)とパウロも語ります。
 そこで復活の主が、罪と死を克服する神の力を示して、わたしたちを迎えてくださっておられるのですから。





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