2004年9月5日 振起日 聖霊降臨後第14主日礼拝
「キリストのわざに励む」
テサロニケの信徒への手紙一5章12〜24節

長山 信夫(ながやま のぶお)
銀座教会牧師
1944年 東京に生まれる
1970年 東京神学大学大学院を卒業
宇佐美教会(静岡県伊東市)
谷村教会(山梨県都留市)
鳥居坂教会(東京六本木)
の牧師を歴任
1998年 銀座教会牧師

 信仰の道は始められた最初から、完全な姿で実現しています。テサロニケの信徒への手紙一を読み終えようとするこの主日の礼拝で知らされる恵みです。

 主イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われました。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(ルカ一八章一六〜一七節)

 子供は未熟であっても完全な命を生きています。その成長する姿において、保護者を信頼して全てを委ねる姿において。新しい命に生きるわたしたちの信仰の歩みも同様です。

 テサロニケは現在でもギリシャ第二の都市として繁栄しています。パウロの二回目の伝道旅行のとき、福音は海を渡りヨーロッパにもたらされました。最初の伝道地フィリピでの迫害を逃れて西のテサロニケに、さらに南へ、アテネにコリントにともたらされたのです。テサロニケを離れざるを得なかったときの思いをこう記しています。

 「わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。」(二章八節、一一〜一二節)

 居ても立ってもいられない思いのパウロにもたらされたテサロニケ教会の様子はパウロを大いに喜ばせるものでした。

 「そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」(一章六〜一〇節)

 誕生したばかりの教会の様子をみ言葉から具体的に学びましょう。

 いつの時代も信仰生活の中心であり、土台は礼拝です。それを成り立たせるために数々の務めがあります。指導者パウロ失った幼い教会はどうなったのでしょうか。

 「あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。」(一二〜一三節)

 教会のために労苦し、導き戒める人々が現れ、尊敬を持って迎えられたのです。組織がなくても秩序があり、教会の平安に満ちていたのです。

 「労苦」という言葉ですが、労多くして自分を使い尽くす…。教会奉仕を表す言葉としてパウロはたびたび用いています。(コリントJ一六章一六節、ローマ一六章六節、一二節。その他)

 教会のために自分を投げ出す用意のある人々が複数与えられていたのです。礼拝献金は、感謝と献身のしるしとしてささげられます。教会はそれらの奉仕によって支えられ、キリストをかしらとする教会となるのです。

 「導き戒め」とあります。「導く」とは世話をする働きです。良き羊飼いである主イエス・キリストの働きです。「戒め」は、人を正しい道へと導く働きです。通常、過ちのあるところに注意や非難が集中します。しかし、教会ではその人を正しい道へと導く奉仕が集中するのです。罪の赦しの恵みによって救われている者の集まりの中心課題なのです。

 牧師や伝道師、役員や組長、目に見える働きだけでなく、たくさんの隠れた労苦がささげられています。互いに重んじ尊敬し、感謝する、そこに秩序が、平和が訪れるのです。

 「地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(マタイ二三章九〜一二節)とあるとおりです。

 今日のみ言葉にはもう一つ大切な指摘があります。一四節、一五節です。「怠けている者たち、気落ちしている者たち、弱い者たち」への言及です。

 教会を離れている人々がいます。信仰を失ったかに見える人々を知っています。信仰告白の決断ができないでいる人々もいます。

 「すべての人に対して忍耐強く接しなさい。」(一四節)「お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うように努めなさい」(一五節) というのです。教会の周辺にいる人々のことです。

 わたしたちの目は教会の周辺ではなく、社会のさまざまな働きに向けられていないでしょうか。そこに、現代世界を救う何かがあるかのように。パウロはそうではなく、教会の周辺に目を向けるようにというのです。教会にこそ救いがあるからです。教会こそ世界の中心です。そこへとすべての人々が招き入れられなければならないのは、教会の中心に主イエス・キリストがおられ隅々までみ手を伸べておられるからです。

 今年から教会の基本計画に「愛の業に励む」との一項を加えました。日本基督教団信仰告白の言葉です。

 主の昇天後間もない生まれたばかりのテサロニケの教会へのパウロの勧めは、それから二千年のときを経たわたしたちの教会にも多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。信仰生活同様、神の命を生きる教会はいつもそこから新しく始められなければならないのですから。






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