| 2005年11月20日 こども祝福・家族礼拝 「望みを受けとめてくださる方」 ヨハネによる福音書15章7〜10節 |
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いつも心に望みを抱いていることは大切なことです。望みを持つことによって生き方に方向性が出て積極的に迷わず前進することができるようになります。 望みを自分の言葉にして祈りとして神にささげることはさらに大切です。望んでいる事柄が本当に自分を生かす願いであるかどうか、父なる神のみ旨にかなっているかどうか、主イエス・キリストのみ名によってなされるにふさわしい祈りであるかどうか、静かに思い巡らすときが与えられるからです。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカによる福音書22章42節)と祈られたゲッセマネの園でのイエス様の祈りは、私たちの祈りでもあります。 マタイによる福音書7章に「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」とあります。今日のみ言葉には「望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」とあります。イエス様は私たちに祈ることを求めておられるのです。 これはイエス様がわたしたちに語りかけてくださっている大変うれしいお言葉です。イエス様にお願いするとどんなことでもそれを聞いてくださるという約束だからです。この言葉、この約束がどんなにすばらしいかということについて少し考えてみましょう。 第1は、イエス様はわたしたちのために喜んで時間を空けてくださる方だということです。私たちにはこれがなかなか難しいのです。テレビゲームに夢中になっているとします。その時、話しかけてきた人のために、ゲームを一時中断することができますか。相談したいことがあって、お父さんを見ると、新聞を読んでいたとします。「お父さん」と声をかけると新聞を読むのをやめて話を聞いてくれたとしたなら、それはとてもうれしいことなのではないでしょうか。 ある人がこういっています。「人を愛するということは、その人のために『時間を確保する』こと、その人との時間を大切にすることであるということを忘れてはならない。時間を共有することなしにお互いの愛情を深めることなどおよそ不可能に近い。」「望むものを何でも願いなさい」と語りかけてくださるイエス様はわたしたちのためにいつでも時間を空けてくださる方だということです。 第2は、イエス様は、願いをかなえてくださる方だということです。願いに耳を傾けてくださるだけでなく、その実現のために一緒に努力してくださるのです。「すぐれた父親とは、息子が将来どんなことをしたいと思っているかに関心を寄せ、その子の願いが達成できるよう助けてやるだけでなく、娘にも深い関心を示し、その子に託された可能性や天性の開花にも力を貸すものである。」ある牧師の言葉です。「天の父よ」と祈り始めるとき、祈りを聞いてくださる方は最も優れたお父さん、お母さんのように、わたしたちの願いを知ってそれを実現できるようにバックアップしてくださる方でもあるのです。望みを自分の力で達成するよう努力することが大切です。努力するものに力を貸してくださる方が天地の造り主なる神様であるということは、本当に力強いことです。フィリピの信徒への手紙4章6、7節に「 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」とあります。祈りの人パウロの信仰の体験です。 「望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」との約束は、ぶどうの木の譬えの中で語られた言葉だということも重要です。木にはたくさんの枝がついています。ぶどうの木の枝は四方八方に広がり伸びていきます。どの枝も、木に結びついて命を共にし、たくさんの実のついた房を数え切れないくらいつけるのです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(五節)とあります。祈りが、キリストにつながっている多くの兄弟姉妹の中でささげられることが大切です。 礼拝ではいくつもの祈りがささげられます。自分一人の望みを祈っているのではありません。礼拝に参加している人、来ることのできなかった人のためにも祈っているのです。祈るとき、その人は自己中心的なあり方から解放され、多くの人の祈りに関心を持ち、それを自分の願いとして祈るのです。祈りの最後に皆で声を合わせてアーメンといいますが、その時わたしたちの心は一つに結ばれているのです。 マタイによる福音書18章19、20節にこうあります。「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」祈る人は孤独ではありません。魂の最も深いところでイエス様と結ばれ、多くの人と心が一つに結ばれているのです。 実は、イエス様もわたしたちのために祈ってくださっています。ヘブライ人への手紙7章25節にこうあります。「この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります」とあります。イエス様が、「望むものを何でも願いなさい」と言われるのは、私たちの願いを父なる神に祈ってくださるからです。 イエス様のお心を知った今、ますます祈る人になりましょう。 |
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