2006年1月1日 降誕後第1主日・元日・新年礼拝
「新しさの原理」
ガラテヤの信徒への手紙6章11〜16節

長山 信夫(ながやま のぶお)
銀座教会牧師
1944年 東京に生まれる
1970年 東京神学大学大学院を卒業
宇佐美教会(静岡県伊東市)
谷村教会(山梨県都留市)
鳥居坂教会(東京六本木)
の牧師を歴任
1998年 銀座教会牧師

今日は2006年の元日です。これは西暦による年の数え方ですが、西暦元年は主イエス・キリストの誕生の年とされています。毎年、キリストの誕生に遡って新しい年を数える。この習慣は大切です。新しさの原理はキリストにあるからです。

 「新しさ」は未来へと向かう方向性を持つています。それに対して「原理」は過去への方向性を持っています。この矛盾する内容をパウロは一つに結びつけたのです。彼は、「大切なのは、新しく創造されることです。 このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように」(6章15、16節)と語っています。

 このように語るパウロの心は、主の教会が崩壊していくという悲痛を経験しています。一度壊れたものを再び立てる。その場合、人はそれまでと別の方法、原理を摸索するのではないでしょうか。

 1960年代中国に文化大革命が巻き起こりました。「造反有理」の合言葉によって支配体制の破壊が推し進められました。新しい創造のためにはまず古いものを壊さなければならないという理屈です。日本でも反体制運動が起こる恐ろしい時代でした。しかし、パウロは違います。破壊の力は絶えず働いています。大切なのは再創造、再建です。パウロは、「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」(4章19節)と語っています。

ガラテヤ教会崩壊の理由

 ガラテヤ書は普通、福音か律法かという対立の図式で解説されます。「あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが霊≠受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか」(3章2節)との言葉によってもそれは窺われます。

 しかし、ガラテヤ書で問題となっているのは、異邦人キリスト者も、ユダヤ人キリスト者のように割礼を受けなければならないのかという問題だったのです。そう主張するユダヤ人キリスト者たちの意図を、「肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくない」(12節)からなのだとパウロは見抜いています。洗礼を受けた異邦人が続いて割礼を受けることになれば、キリスト教の伝道はユダヤ教徒獲得の手段なのだと同胞に説明することができ、ユダヤ人キリスト者はユダヤ人社会から歓迎されることになります。イエスをキリストと宣べ伝えることは、神の子を十字架につけた同胞の罪を宣伝することにもなり、迫害の理由ともなっていたのです。律法の厳守が彼らの主眼ではなかったのです。

 彼らの主張に屈することは、福音を蔑ろにすることであり、キリストの十字架を無にすることでした。

十字架のほかに誇るもの無し

「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。」(14節a)これはパウロの信仰告白であり、また、すべてのキリスト者の信仰告白でもあります。

 昨年12月3日は、銀座教会の在天会員である河上丈太郎兄の召天40年の記念日でした。召天30年を迎える末子姉と共に、ご夫妻を記念する集いが行われました。集まられた親しい政治家や記者たちは政治家河上丈太郎の倫理観に改めて深い感銘を受けることになりました。1952年8月、兄は党大会で右派社会党の委員長の推薦を受け受諾することになりました。その時の演説は、左右両翼の全体主義の脅威を受けながら、民主社会主義の理想を掲げて歩むことを決意し、こう述べたのです。「委員長は私にとって十字架であります。しかしながら十字架を負うて死にいたるまで戦うべきことを私は決意したのであります。」それ以来、十字架委員長と呼ばれ、相手陣営にも深い感化を及ぼしました。昨年11月3日の産経新聞『論壇』と、12月26日の読売新聞『編集手帳』はこれを取り上げていました。それが主の御心であれば、用いたもう主にゆだねて課題を十字架として負っていく。クリスチャンの心にある深い思いです。

新しい創造

 「新しく創造される」とは、洗礼を意味しています。ローマの信徒への手紙七章四節に「ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです」とあるとおりです。

ここ数年大勢の方が洗礼を受け、銀座教会に加わっておられます。銀座教会の伝統を鮮明にし、守っていくことがわたしたちの課題となっています。

伝統の保持と形成

 「この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです」(14節b)という言葉は、洗礼によってキリストに結ばれた者の新しい生き方を示しています。この世に埋没しないキリスト者の生き方が、「キリストがあなたがた(わたしたち)の内に形づくられ」(4章19節)ていくと表現されているのです。礼拝に集うたびごとに、そこで行われた洗礼式を思い起こし恵みの座を見つめます。聖餐を受けるとき、恵みの座に跪いて受けた洗礼の恵みを再び味わい、そのたびごとに罪の赦しの福音を、十字架のキリストに結ばれている幸いを感謝するのです。こうして銀座教会の伝統は形作られていきましたし、これからも形作られていきます。全世界の教会の一つの体であるキリストの教会の交わりを歩んでいくのです。

「大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。」(15、16節)この年も主の祝福がこの群れの上にあることを確信して歩んでまいりましょう。



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