| 2007年9月2日 振起日 「主の輝きをたたえる者たち」 歴代誌下20章18-21節 |
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「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。」ヨシャファトが聖歌隊を任命し、歌わせた歌です。歴代誌下二〇章二一節にあります。 「彼は民と協議したうえで、主に向かって歌をうたい、主の聖なる輝きをたたえる者たちを任命し、彼らに軍隊の先頭を進ませ、こう言わせた。『主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。』」鼓笛隊が先を進み、兵士たちがそれに続く。それは勝利の行進です。しかし、このとき、王ヨシャファトは絶体絶命の窮地に陥っていたのです。
ヨシャファト 彼の名はマタイによる福音書一章七、八節に「ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを」と、主イエスの系図に記されています。 イスラエル分裂後、南王国ユダの第四代目の王に三五歳で即位し、二五年間治めました。王としてのヨシャファトの優れていた点は二つあります。宗教改革とそれに基づく裁判制度による社会改革です。 歴代誌下一七章に記されています。三、四節に「『あなたには良い事も見られます。あなたはこの地からアシェラ像を除き去り、揺るぎない心で神を求めました。』 ヨシャファトはエルサレムに住んでいたが、再び出かけて民の中をベエル・シェバからエフライムの山地まで巡り、彼らを先祖の神、主に立ち帰らせた」とあります。父親第三代アサ王の改革を継承したのです。二審制による裁判制度を作り上げ、律法を民に教えることにより、彼は南ユダの隅々にまで信仰の立て直しを実現したのです。五節に「ユダのすべての砦の町に、それぞれの町の裁判官を立てた」、八節に「ヨシャファトは、エルサレムにおいても、主の裁きと紛争の解決のために、数名のレビ人、祭司、イスラエルの氏族の長を任命した」とあります。ヨシャファトは裁判官に言います。「人のためではなく、主のために裁くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。裁きを下すとき、主があなたたちと共にいてくださるように。 今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない。」「主はさばきたもうた」を意味するヨシャファトの名はこの事績と関係するとの説もあります。失敗は北イスラエルのアハブと同盟を結んだことです。「悪人を助け、主を憎む者の友になるとは何事ですか。そのため、主の怒りがあなたに下ります。」と一九章二節に記されています。
窮地に陥る 南ユダは国家的危機に直面します。モアブ人とアモン人が合流し、メウニム人の一部を巻き込んで戦いを挑み、大軍が死海の西にあるエン・ゲディにまで侵入してきたのです。万事休すであることを認め、緊急事態を民に知らせ、断食を求めます。ひたすら神に救いを求めたのです。
民と共に唯一の神を仰いで 「『わたしたちの神よ、彼らをお裁きにならないのですか。わたしたちには、攻めて来るこの大軍を迎え撃つ力はなく、何をなすべきか分からず、ただあなたを仰ぐことしかできません。』ユダのすべての人々がその幼子も、妻も、息子と共に主の御前に立っていた。」(二〇章一二、一三節) 窮地のときに、南ユダの民は、神を仰いで祈る王に心を合せ一つになることができたのです。冷静になり、現実を見つめ、共通の言葉を持つ。共に神の前に立つことの大切さとその恵みを思います。
静かな中心を持つ ヘンリー・ナウエンの言葉です。「キリスト者として生きるということは、この世に属さず、この世に生きるということです。……独りきりになる所のない生活、つまり、静かな中心を持たない生活は、簡単に破壊的なものになってしまいます。自分が何者であるかを証明するものとして、自分の活動の結果だけにしがみついていると、わたしたちは物事に執着するようになり、自分を守るために身構えるようになります。そして他の人を見る目が変わってきます。命の賜物を分かち合う友としてより、なるべく近づきたくない敵として見るようになるのです。……独り静まる中で、こちらが口を開こうとする前に語ってくださる方、誰かを助けようと動こうとする前にわたしたちを癒してくださる方、他の人を解放しようとするずっと前にわたしたちを解放してくださる方、そして、誰かを愛そうとするずつと前にわたしたちを愛してくださる方の声が聞こえるようになるのです。(『静まりから生まれるもの』より)
喜びと賛美の歌 「堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ。ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる。」……ヨシャファトは民と協議したうえで、主に向かって歌をうたい、主の聖なる輝きをたたえる者たちを任命し、彼らに軍隊の先頭を進ませ、こう言わせた。『主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。彼らが喜びと賛美の歌をうたい始めると、主はユダに攻め込んできたアンモン人、モアブ人、セイルの山の人々に伏兵を向けられたので、彼らは敗れた。』(ニ○章一三〜ニ三節)
主の聖なる輝きをたたえる 一人の姉妹から手紙をいただきました。末の娘さんと二人の生活、八〇歳を超え、少しでも長く元気でいてあげたいと運動に、習い事にと励んでこられました。しかし、予想もしなかったことが起こりました。娘さんが病気になってしまったのです。今はただただその生還を主に祈る毎日だというのです。主を仰ぎ祈る日々、落ち着いてこられたのでしょう。主がいやしてくださることを信じ、今度こそは、礼拝に婦人会にと励みたいと伝えてこられました。 主は、私たちの祈りと賛美を喜んで受けてくださり、今も私たちの歩みを導いてくださっておられるのです。 |
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