2008年12月24日 クリスマス燭火礼拝
「神、我らと共に」
マタイによる福音書1章18-25

長山 信夫(ながやま のぶお)
銀座教会牧師
1944年 東京に生まれる
1970年 東京神学大学大学院を卒業
宇佐美教会(静岡県伊東市)
谷村教会(山梨県都留市)
鳥居坂教会(東京六本木)
の牧師を歴任
1998年 銀座教会牧師
聖家族

ベツレヘムの馬小屋の家族のことがしきりに思い起こされます。その平安、静寂さにあこがれるのです。

そこには馬も牛もいました。羊飼いたちが何頭かの羊を連れてきていました。占星術の学者たちはらくだに乗って旅をしてきました。こぼれ落ちている餌を求める鶏たちもいたことでしょう。不潔で騒がしい場所であったと思うのですが、聖書は、清らかで静寂がそこを包んでいたことを伝えています。

それは聖家族がもたらす静寂、清潔です。もし、わたしたちがヨセフとマリアの仲間であることができるなら、闇は取り払われ、平安が与えられ、焦燥からも解放されることでしょう。

静寂は信頼の賜物です。マリアはヨセフを信頼し、彼にすべてを委ねています。ヨセフもマリアを信頼し、すべてを受け容れています。その彼らにすべてを委ねて乳飲み子イエスは眠っておられます。動物たちも安心しています。喧噪が耳を覆い、闇が光りを遮っている世界にいるにもかかわらず。

 

闇に包まれた世界

占星術の学者たちの来訪は、かつて繁栄を誇ったバビロニアも、星の輝きに未来の明るい兆しを見る他ない状況に追い込まれていたことを示しています。彼らがエルサレムに来たのは、かつてエルサレムからバビロニアに捕虜として連れてきたユダヤ人たちが、メシヤの到来を信じていたことを覚えていたからだと言われています。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」との問いは、ヘロデ王による幼児虐殺を引き起し、政治もまた民を苦しめる存在にすぎなかったことを示しています。メシヤの誕生の場所がベツレヘムであると解答することのできた祭司長や律法学者たちは、神の子の礼拝のために腰を上げようともせず、民は指導者たちの恩恵を受けることもできなかったのです。闇の深さを物語っています。

「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイによる福音書9章36節)。主のお言葉が胸にしみます。

 

ヨセフの試練

ヨセフにとって最大の試練は、許嫁の妻マリアに自分によらない子が宿ったことです。律法には二つの道が示されていました。一つは、さらし者にして石で撃ち殺すことです。その場合、間違いを犯した男にもそうする必要がありました。女性だけが罰せられるのではありません。ヨセフはマリアを信じていました。胎の子は聖霊によることを知っていました。どうして聖霊なる神を罰することができるのでしょうか。

もう一つは、離縁状を書いて婚約を解消することでした。彼はこれを選びました。マリアを迎えることは、神の子の母の夫になること、神の子の父になることです。汚れた自分はそうしてはならないのです。ヨセフの系図がマタイによる福音書1章の冒頭に記されています。舅と結ばれて子をもたらしたタマルがいます。ラハブはエリコの遊女で、ヨセフは彼女の血を受け継いでいるのです。ソロモンが、王ダビデの過ちによって生まれた子であることは歴然とした事実です。マリアを信じているからこそ離縁せざるを得なかったのです。彼は正しい人だったのです。悲劇です。愛がこれを解消することはできません。正しさに解決する力はありません。

 

信仰の力強さ

自分なりの精一杯の結論を出して床に実を横たえて目を閉じるヨセフに主の使いが語りかけます。

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリア迎え入れなさい。……この子は自分の民を罪から救うからである」。

ここに本当の解決があります。生きる命の道が示されています。神の言葉に従い、キリストを受け容れる信仰こそ、あらゆる試練を乗り越え、耐える力をわたしたちにもたらします。

 

キリストの誕生

神は人間の悲惨をすべて―罪を除いて―主イエスに託し、その上に置かれました。キリストの誕生が聖霊による(ヨセフではなく)のはそのためです。ヨセフは自分の意志によらず、信仰によってキリストを受け容れました。マリアも彼女の意志によってではなく、信仰によって神の子の母となることを受け容れたのです。

「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(ルカによる福音書1章45節)とエリザベトが語った通りです。

 

キリストを迎える

もし、イエスがわれわれと共にいてくださらなければ、世俗の人と同じ不安に襲われることになるでしょう。問題をはっきり問題として見ずに、クリスマスを何百回迎えても、本当のクリスマスにはなりません。

しかし、神の御子は既に来ておられます。十字架に死に、よみがえられて私たちの救いを成し遂げて共にいてくださるのです。

マリアのように受け容れること、ヨセフのように受け容れること、わたしたちも信仰によって主を迎え入れることが求められています。

主がわたしたちのうちに生まれてくださることを、切に祈り求めましょう。主が共にいてくださるなら、わたしたちは自分の人生から逃げ出さなくて良いのです。他者から遠ざかり、孤独に安らぎを見出さなくても良いのです。主イエスがいてくださるから、すべてに安息を得、世と人とに和らぐこと日々を生きることができるのです。

イエスは生まれ、また死なれました。キリストはすでに生まれたもうたから、お迎えすればよいのです。私たちも神の家族の一員とされるのです。

メリー・クリスマス!



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