2009年3月1日 受難節第1主日礼拝
「援助と祈り」
使徒言行録11章19-29

長山 信夫(ながやま のぶお)
銀座教会牧師
1944年 東京に生まれる
1970年 東京神学大学大学院を卒業
宇佐美教会(静岡県伊東市)
谷村教会(山梨県都留市)
鳥居坂教会(東京六本木)
の牧師を歴任
1998年 銀座教会牧師
アンティオキアで 

 エルサレムで起こった大迫害で散っていった人々は、アンティオキアにまで達しました。アンティオキアはエルサレムから五〇〇キロほど離れた都市で、ローマ、アレキサンドリアと共に世界三大都市のひとつに数えられていました。

 これらの人々は元々、ギリシャ語を話すユダヤ人で、異邦世界からエルサレムに来てキリスト教の信仰を持った人々ですから、迫害を避けて、勝手知った都市へと、生活の場を移したということかもしれません。またステファノが、説教で「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません」と語り、連れ出された神殿の外で、天の父なる神の右におられる主イエスに祈りをささげる姿を凝視したのですから、もう神殿には未練はなかったのかもしれません。「ここも神の御国なれば」(讃美歌90番)の歌は、彼らの確信であったに違いありません。

 ただ、かれらは「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」と19節にあります。異邦人に福音を告げ知らせるようになったのは、聖霊の力です。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち返ったものの数は多かった」(21節)とある通りです。

 異邦人教会の誕生

「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」(26節)とあるのは興味深い事実です。ユダヤ教とは明らかに違う信仰形態が、教会の外の人々にはっきりと見て取れたのでしょう。

土曜日の安息日とは違って、主イエスの復活を記念するべく、日曜日に礼拝を守っていたに違いありません。ギリシャ語を話すユダヤ人だとは言え、異邦人とユダヤ人が共に生活をし始めたのです。まったく新しい事態であるとともに、イスラエルとパレスチナとの戦いを知る現代世界の切なる祈りでもあります。

 エルサレム教会との関係

エルサレム教会からバルナバが派遣されてきました。これまでも、サマリアにペトロとヨハネが派遣されました。カイサリアのコルネリウス一族が、彼はイタリア隊の百人隊長ですが、ペトロによって洗礼を受けたことはペトロ自身によってエルサレムに詳しく報告されています(11章1-18節)。

エルサレムには、主イエスから直接教えを受けたあの十二使徒たちがいたのです。「エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」(8章1節)とあることからもわかります。

異邦人教会と十二使徒とのつながり、これは今に続く教会の失ってはならない重要事です。異邦人の新たな回心が使徒の規範に一致しているかどうか。エルサレムの神殿からは離れることがあっても、主イエスから離れることがあってはならないのです。現代の教会はどのようにして使徒たちの信仰につながっているのでしょうか。それは使徒信条の告白です。初代教会の受洗者教育はこれによってなされました。銀座教会でもそれは変わりません。

 受ける喜び、伝える恵み

コリント信徒への手紙一・15章3節でパウロはこう言っています。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」。福音の大伝道者パウロはどのようにして福音を受けたのでしょうか。それはバルナバです。エルサレムからアンティオキアに使わされた彼は、「サウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた」(25、26節)のです。パウロはこのつながりを生涯かけて大切にしたのです。

「わたしも受けたものです」は具体的には、どこで、いつ、誰からなのでしょうか。わたしは、エルサレムから使わされた「聖霊と信仰に満ちた人」バルナバからであると思います。彼と共に過ごした一年、パウロは使徒的信仰をしっかりと受け継いだのです。「受ける喜び」です。

パウロとバルナバは、このアンティオキア教会から、世界伝道へと使わされました。「伝える恵み」です。第二回目以降は、バルナバはマルコと共に、故郷キプロス伝道に、パウロはヨーロッパへと福音をもたらしたのです。

アンティオキアの教会は、かけがえのない指導者、大切なバルナバとパウロを世界伝道のために派遣しました。これはよく心に留めるべき事実です。一五○年前、日本に遣わされた宣教師たちも、このような選ばれた人々であったことを、わたしたちは忘れてはなりません。とりわけ、プロテスタント日本伝道一五〇年を迎えた今。

 エルサレム教会への援助

「そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。」(27、28節)とあります。直ちにエルサレムへ援助の品が届けられたのです。これは忘れてよい単なるエピソードではありません。

使徒言行録では、お金の使い方が、たびたび取り上げられています。

失敗例は、イスカリオテのユダ(1章18節)、アナニアとサフィラ(5章1-11節)、魔術師シモン(8章18、19節)、フィリピの女奴隷の主人たち(16章16-24節)、エフェソの銀細工師(19章23-40節)です。

模範とすべき例は、2章44-47節です。持物を共有にし、必要に応じて分け合ったのです。バルナバとヨセフは多くの財産を使徒たちの足もとに置きました。(4章32-37節)諸教会の贈り物携えて、死を覚悟してエルサレムへといったパウロについて私たちは知っています(ローマの信徒への手紙15章22-33節)。

ユダヤ人である十二使徒たちと異邦人であるアンティオキアのクリスチャンたちとは、援助と祈りにおいて、完全に結ばれたのです。キリストの体なる教会の誕生です。

今日、経済不況が世界を震撼させています。わたしたちの心も荒みがちです。1929年から33年の間、世界は大恐慌を迎えました。今年の初週祈祷会のおり、山梨県の日下部教会から、全期間参加した一人の兄弟は、このとき伝道が盛んに行われた、多くのキリスト者が与えられたことを繰り返し祈り、諸教会を伝道に奮い立たせてくださるよう祈っていたことは記憶に新しいことです。わたしたちの祈りでもあります。 



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