2003年7月27日 銀座教会創立113年記念伝道礼拝
「座っているか、立ち上がるか」
マタイによる福音書4章18〜22節

鈴木 有郷(すずき ゆうごう)
アメリカ合同メソジスト教会宣教師
1938年 アメリカに生まれる
前青山学院宗教部長。
神学博士、キリスト教教育修士。


私は、銀座教会の歴史113年の中で、メソジスト教会の培った力が非常に強いということを伺っております。日本における宣教には、メソジスト教会が大きく関わってきたのであります。キリストの証し人として、志をともにする者同士が、この日本という文化の土壌の中でキリストの福音の器として働いてきた歴史、これは非常に深いものがあると思います。私はそのことを考えたときに、イエスの弟子たちが最初にイエスに出会ったとき、漁師たちが網を捨ててイエスに従ったエピソードを思い起こすのであります。彼らは、座っていることをしなかった、網を繕っていた彼らは、イエスに招かれることによって、立ち上がったというのであります。そしてイエスに従った。この行為はまことに象徴的であります。なぜならあの、メソジスト教会の基盤を作ったジョン・ウェスレーという英国の18世紀の神学者、牧師、説教家、そして伝道者は、信仰を自らの言葉、実践、生き方によって人々に示したからであります。

実は、彼の人生というのは、挫折の連続でありました。ジョン・ウェスレーという人はアメリカに伝道に行ったのであります。18世紀中ごろのアメリカ、それもジョージアというところは開拓民によって開拓されていた原始林に囲まれたところでありました。アメリカのインディアンと呼ばれる先住民と一緒にキリストの福音をと思ったのでありますが、それは見事に失敗に終わりました。失敗の理由はいくつかありました。しかし一番の理由は、ジョン・ウェスレーが後で言っているように「頭の信仰であった」ということでありました。つまり頭で考えた信仰、魂に入ってこない信仰、それは人々に受け入れられなかったというのであります。そして、そのことにジョン・ウェスレーが気づいたのは、失意の帰国から6ヵ月後のことでありました。そのときの彼の新しく生まれ変わった自己の変革を次のような言葉で表しております。「私は私の心が不思議にも温かくなるのを感じた。」これは彼の有名な言葉であります。つまり、彼自身の中で罪の認識いわゆる宗教的な静寂主義に陥ることがなかったのであります。彼の心は温かく燃えたのであります。つまり、罪の赦し、罪の解放、それは彼に喜びを与えた。そして生活の中で喜んで生きる積極的な姿勢を与えた。これが彼の信仰の重要な点であります。

メソジスト教会の宣教師が日本に伝えた中心点は、まさにそこにあります。信仰は決して感情的な陶酔ではありません。そうではなくて、身も心も清められたその人が、日常の生活の中でキリストの証し人として喜びを持って生きる、これが我々に伝えているジョン・ウェスレーの信仰の奥義であります。ですから、ジョン・ウェスレーは礼拝を重要視いたしました。教会での交わりを重要視いたしました。ともに学び、ともに祈ることを重要視いたしました。孤独な一人だけの信仰というものをジョン・ウェスレーは否定したのであります。そして一人ひとりが炭火のように燃えるような信仰を心の中にたぎらせて生きる、これが重要な点であると、彼は繰り返し指摘したのであります。ですから彼は人々とともに生きました。野外伝道をしました。刑務所の改善にも力を尽くしました。病院や学校を設立しました。それから、アメリカの奴隷解放にも貢献いたしました。それは、奴隷の解放だけでなく、奴隷の主人が罪から解放されることも視点に入れた広い解放運動を、彼と彼の同志たちは後に展開したのであります。

その伝統を受けた人の一人がドーラ・スクーンメーカーという人であります。ドーラ・スクーンメーカーは、アメリカの東海岸の小学校の教師をしておりました。今から130年以上前のことであります。彼女は24歳のとき、はるばる1ヵ月半の道のりを越えて、日本にやってきました。そして青山学院の礎を築いたわけであります。彼女が生きていたアメリカは、奴隷制は撤廃されても人種差別は相変わらず続いていた頃であります。カリフォルニアには金が発見されました。一攫千金を夢見る人たちが、東海岸から西へ西へと幌馬車で行った時代であります。人々の多くはこの世の富と力を求め、この世の栄華とこの世の力を求めていたのであります。

日本に来ようと思ったそのスクーンメーカーの決意には実は理由がありました。東から西に大陸横断鉄道が敷かれました。しかし、それを敷くためにはもう奴隷を使うことはできません。その労働力のために中国からクーリーと呼ばれる労働者を多勢アメリカに連れてきたのであります。そして、なんと凄まじいまでの東洋人蔑視が始まりました。ドーラ・スクーンメーカーは、一攫千金を夢見てこの世の富がもっとも大切なものであると思う人々、更に中国人や黒人を劣等人種と見るようなアメリカの世論に対して、否を突きつけたのであります。そのために、彼女は日本にやってきたのであります。そして、築地に当時の7歳から12歳ぐらいの子どもたち、それも女の子たちのための寺子屋を作りました。日本において男尊女卑の傾向が非常に深いものがあったということに気づいたからであります。時流に抗する、これがドーラ・スクーンメーカーの生き方でありました。ジョン・ウェスレー的信仰の継承者であったということができましょう。そして、彼女は、そのときに一通の手紙を書いております。それは彼女の恩師、教会の牧師への手紙であります。その一節にこうあります。「喜んでください、私は日本の数人の少女たちと神の恵みの下にこの暗い世界に小さな世界を灯す歩みをはじめました」。

メソジスト教会の一つの重要な視点、それはこの世において、キリストの福音の証し人として生きることであります。すべての教会の共通の課題、それは、そういう証し人をはぐくむ信仰共同体の育成であります。すなわち、網をつくろっていた人たちが、網を捨てて立ち上がる。そして、イエスの後を追う。そういう人たちを育て、我々自身もそういう人たちになる、これが我々の、この銀座教会の一つの重要な課題であり、責任であると私は思います。

(文責 広報部会)



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