| 2000年11月12日 聖霊降臨後第22主日礼拝 説教 「対処する秘訣」 フィリピの信徒への手紙 4章10-14節 ローマの信徒への手紙 16章1-4節 |
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伝道者パウロ 使徒パウロには二つの貴重な史料がある。第一はパウロ自身が種々の機会に教会や個人宛に書いた私信である。彼は「優れた手紙書きであった。その一字一句をなおざりにせず、思いを尽くし精根を打ち込んで書いている。その意図と熱情とは紙面に横溢しているので、読者は2000年の歳月を経た今日もなおその心臓の鼓動を直接に聴取しうるかの様な思いを抱く」のである。この内的記録の手紙と共に第二に歴史的感覚を持つ、ギリシャ人医師ルカによって遺された外的記録としての使徒言行録がある。パウロと共に伝道旅行の労苦を重ねた弟子による貴重な生々しい記録である。両者に初代教会の伝道活動が鮮明に写し出されている。そこで使徒パウロと伝道の協力者プリスキラとアクラ夫婦の真実な信仰の交わりにおいて「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」と記した教会形成の真相を探り出したいと思う。 信仰の家庭 プリスキラの名前は新約聖書に六回記されている。使徒言行録に三度(18:2,18,26)使徒パウロの手紙に三度(1コリント16:19、ローマ16:3-5、2テモテ4:19)であるが、プリスキラという女性の名前がアキラと並んで記されていることに気がつく。アキラは黒海沿岸のポントス生まれの天幕作りを職としていたユダヤ人である。遠いポントス州から大都会ローマに来て貴婦人プリスキラと出会って古代社会では珍しい異民族間の結婚をしたと思われる。当時ローマの貴族社会は腐敗しきっていたのでプリスキラはユダヤ人の真実な信仰的、倫理的生活に惹かれて会堂に来て、アキラと結ばれたのであろう。使徒言行録には貴婦人達がユダヤの会堂に出入りしていたことが数回記されている(使徒13:50、16:14、17:4,12)。福音は名誉、財産、階級、人種の隔てを取り除き、信仰によって新しい家庭を築く力を彼らに与えたのである。ただ残念ながら紀元50年頃、クラウディウス帝の時代に彼らはユダヤ人としてローマから退去させられてコリントへ移されてしまった。 出会い そこで使徒パウロと彼らが出会うことになった。アテネ伝道に失敗して大都市コリントへ一人で淋しくやってきたパウロにとって温かい信仰の家庭は此の上もない慰めであり、励ましであった。後に「わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった」(1コリント2:3)と記している。彼らは共に住み天幕作りの同業者として一緒に仕事をすることが出来たので、パウロは1年6カ月の間、腰を据えて神の言葉を教え続けた。有力なコリント教会形成の背後に信仰の家庭のあったことを見逃すことはできない。殊に疫病のように嫌われ、危険人物のレッテルを貼られていたパウロと同居して、身をもってその働きを支えていた。そこが「家の教会」としてコリント教会の礎となったのである。 開かれた家庭 伝道のために主に捧げられた「家の教会」として家庭の持つ力を正しく評価しなければならない。悩む人、孤独な人の慰めの場所、信仰の兄弟姉妹が互いに仕え合う交わり、神が共にいて下さることを証できる信仰の家庭は実に大きな働きをする。大都会である東京には地方から出てきて孤独な生活を余儀なくされている若い人たちが少なくない。私達の家庭に招いた青年の中からパウロのような伝道者が出ないと誰が断言出来るだろうか。わたくし自身米国留学中に経験した温かい家庭の慰めを思い出す。 18世紀に英国の産業革命の最中、ジョン・ウエスレーは「家の教会」を通して組会運動を展開したのである。共に祈り讃美歌を歌う暖かい家庭の交わりが豊かな実を結んで信仰復興運動としてのメソジスト教会は成長発展していった。現代の砂漠のような都会の生活にオアシスとして潤いを与えるのは、夫婦のみでなく信仰者同士の開かれた家庭ではなかろうか。 聖書を正しく学ぶ その後、パウロはエルサレムに向かい、彼らはエフェソに留まった。そこで若い巡回伝道者アポロの説教を聞いた時、彼を自宅に迎えて「もっと正確に神の道を説明した。」(使徒18:16)信徒たちが若い伝道者アポロを自宅に招いて諄々と諭したのである。このように自ら聖書を学び人を教え導くような素養を持つ信徒が増えることは教会の力である。かつてメソジスト教会では「勧士」という働きがあった。今日の教会にも聖書を「もっと正確に説明」することの出来る人が育つように願っている。 伝道の協力 「キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスキラとアキラとによろしく云ってほしい。彼らは私のいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである」(ローマ16:3)これはパウロが非常に危険な状況に直面した時、彼らが身をもって協力、援助した記録である。エペソで町中が大混乱に陥った時パウロは群衆の中に入って行こうとしたが、弟子たちがそれをさせなかった(使徒19:30)。何れにしてもプリスキラたちが身を挺してパウロを危険から救った出来事があった。「兄弟の為に命を捨てる大きな愛」に生きる教会の交わりは、主により頼むキリスト者の信仰に育まれて成長するのである。 聖徒の交わり 最後にプリスキラの名は2テモテ4:19に記されている。ローマで殉教の時の近いことを知ったパウロはエペソに伝道している愛する若い弟子テモテに「プリスキラとアキラとに・・よろしく伝えてほしい」と書き送った。老使徒パウロが若い伝道者テモテに旧い信徒たちに挨拶を頼んでいる。信仰と愛の交わりは大きな力である。今日も礼拝の後で互いに挨拶を交わし、特に新しい方を温かく迎え入れて頂きたい。 パウロは「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊に暮らすすべも知っています。・・いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」と確信していた。彼は「キリストの力が私に宿るように、むしろ喜んで自分の弱さを誇ろう」という強められた信仰者であり、何事も節制し自分のからだを打ちたたきながら主に服従しようと努め、その重荷を分かち合う聖徒の交わりに支えられていたのである。 聖徒たちが教会の為に協力して献身的に奉仕した原動力である主イエスに対する信仰の姿勢と「対処する秘訣」を銀座教会の歩みの中に生かすことが出来れば幸いである。「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」という確信を与えられるまで、真剣に聖書の使信を求め続けて進みたい。 |