2002年7月21日 教会創立112年記念伝道礼拝
「神とその恵みの言葉にゆだねる」
使徒言行録20章17-35節

鵜飼 勇(うかい いさむ)
日本基督教団銀座教会名誉牧師
1922年
 銀座教会牧師館に生まれる
1942年
 青山学院高等商業学部卒業
1952年
 日本基督教神学専門学校卒業
 鎌倉教会伝道師就任
1955年
 米国エール大学神学校修士課程修了
 神学修士(S.T.M.)
1956年―1998年
 銀座教会主任教師

1994年

 米国シンプソン大学(アイオワ州)
 より名誉神学博士号(D.D.)
 を受ける

創立112年記念礼拝を共に守れることを感謝し、この歴史を導かれた主の御名を心から讃美し、その信仰の遺産を受け継ぐ思いを新たにし、静かに御言葉に聞きつつ礼拝を守りたいと思う。改めて「銀座教会百年史」を読み返し、不思議な主の導きを見出し感動を覚えた。特にその序文を全教会員に読んでいただきたいと思う。

さて、この112年の間、一週の始の日、すなわち日曜日に一日も欠かさないで集められている信仰の群れ、すなわち神の民の教会の礼拝は特別な集団であり、この世に同じような集団を見出す事は困難である。雨の日も、風の日も、夏も冬も、戦時中も、平和のときも、のどかな春の日も、地震や災害のも、主日ごとに礼拝は守られてきた。いったい何がこうさせているのであろうか。歴史の移り変わる中で、人間の計画や約束では到底考える事の出来ない不思議な集団である。礼拝に集まっている人々が必ずしも同じ動機から集まっているとは限らない。なぜここに来ているか全く自覚していない人もいる。習慣的に、あるいは義務感から、また、漠然と休息を求めている方があるかもしれない。あるいは好奇心から今日初めて礼拝に出た方もあろう。実に種種雑多な動機から集まっている。しかし動機は違っていても、教会の礼拝と他の集会とを根本的に区別するのは「ここに私の名を置く」と宣言された父なる神の現臨(presence)という基本的な聖書の真理に基づいているからである。今日もこの創立記念礼拝に多くの会員が集まり、来しかたを顧み感謝すると共に、113年への歩みに神の導きと祝福とを祈り求め、かつ信仰の原点に立ち返る事が出来れば幸いである。

今、銀座教会の112年の歴史が頭の中をよぎって行く。毎年の創立記念日の礼拝で歴代の牧師たちは何を語ったのだろうか。明治23年、築地居留地から日本伝道、東京伝道の幻の実現のために銀座の一角に進出した。意気盛んな初代牧師小方仙之助先生はじめ当時の会員たちの胸中を想像して胸の高まるのを覚えるのである。今日の聖句はそのような状況にある教会にとって最もふさわしいものであると思う。

使徒言行録で異邦人伝道に専心したパウロが第一、第二伝道旅行によってアテネ、コリント、エフェソなどのアジアの主要都市に福音を伝え、いよいよ最後にエルサレムに上る途中の出来事として記されている(使徒20:18〜22)。

伝道者たちは命を賭して主に仕え、生涯キリストの僕として福音宣教の大切な使命に生き抜いたのである。メソジスト教会では監督の任命によってある期間を定めて諸教会に遣わされていた。神の家族としてどんなに親しく共に信仰の交わりに生きてきたとしても伝道者個人の考えによって進む事も退く事も出来ないのである。主の命令としてその教会に遣わされているからである。メソジスト教会は「世界はわが教区なり」とのウェスレーの精神に従ってそれを合言葉として、地の果てまでも福音を伝えようと共同の教会形成の務めを果たして来た。銀座教会にはこれまで多くの牧師、伝道師が遣わされて来た。それぞれの伝道者の足跡が歴史に刻まれている。

ウェスレーは長い牧会を終わろうとしている牧師に「元気を出しなさい。あなたが生まれる前からキリスト者という羊の群れを世話しておられた方は、あなたが死んでも、羊たちのことを忘れる事はないでしょう」と慰め励ましたと言われる。主が牧会の最後の責任を負ってくださるから後の事は主にゆだねなさいと言うのである。

最後に「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」と。彼が「あなたがたを・・・ゆだねる」と言っている人々の中には、長い信仰生活を送り、やがて人生の旅路の終わりを迎えようとしている人々が少なくない。彼はその人々に対してわたしはあなたがたを神にゆだねると言う。また、不安の社会生活、将来何が起こるか分からないで不安と焦燥に駈られている若い人々に対してあなたがたを神にゆだねると言っている。疑惑や困難によって信仰の根底を揺るがされている人々にも、同じようにあなたがたを神にゆだねると言っているのである。私は今日、この言葉を銀座教会の創立記念礼拝に出席なさっている一人一人の心に刻み付けて頂きたいと願うのである。

次に大切な言葉は「恵みの言葉にゆだねる」ということである。「恵み」という言葉は新約聖書に156回用いられているが、その多くは使徒パウロによるものである。「恵み」という言葉は福音をとく鍵である。彼自身「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」(コリント二15:10)と自分の存在そのものが神の恵みによっていると確信して書き送っている。さらに「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ3:23〜24)と、救われるに値しない者が恵みにより無償で救われると、福音の本質を明らかに教えている。さらに「この言葉は・・・あなたがたを・・・聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」と。キリストは甦られ、今も生きてわたしたちが求める事すべてを遥かに超えてかなえる事がおできになる(エフェソ3:20)と信じるのが、わたしたちの信仰の基本的な姿勢ではなかろうか。

牧師として会員一人一人を主の恵みの言葉にゆだねる務めを果たす事ができれば、これに勝る喜び、また光栄はない。甦りの主が、今日もこの所に共に在してゆだねられた魂を顧み、慰め励まして下さるよう。

祝福を祈りつつ。



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