2002年12月1日 待降節第1主日礼拝 説教
「闇に輝く光」
ヨハネによる福音書 1章1-18節
イザヤ書 40章1-12節

鵜飼 勇(うかい いさむ)
日本基督教団銀座教会名誉牧師
1922年
 銀座教会牧師館に生まれる
1942年
 青山学院高等商業学部卒業
1952年
 日本基督教神学専門学校卒業
 鎌倉教会伝道師就任
1955年
 米国エール大学神学校修士課程修了
 神学修士(S.T.M.)
1956年―1998年
 銀座教会主任教師

1994年

 米国シンプソン大学(アイオワ州)
 より名誉神学博士号(D.D.)
 を受ける
 

 アドベントを迎え、クランツに最初の火が点された。待降節の初めの日である。今日から4週間、クリスマスに向かっての備えをする時として心して礼拝を守りたいと思う。今年はクリスマスが冬至にあたる。昼が段々短くなり、夜が最も長くなる日であって、夜が最も長い暗闇の日に光の子の誕生を祝う事には深い意味があると思われる。「光は暗闇の中に輝いている」(ヨハネ1:5)のである。
 また、典礼色が紫になった。紫は悔い改めと忠誠を意味する色で、アドベントと受難週に用いられてきた。待降の姿勢を整える為にこの礼典色はわれわれの信仰を厳しく問い掛けているのである。

 アドベント第1主日の聖句としてイザヤ書40章が読まれる。有名なヘンデルのメサイアは序曲に続いて「慰めよ、慰めよ、わが民を慰めよ」(40:1)とテナーが美しく歌い出す。心に響く調べである。紀元前587年、首都エルサレムがバビロン王ネブカトネッアルの攻撃によって陥落し神殿は破壊され、多くのイスラエルの民衆はバビロンへ連れて行かれた(列王紀下25:1)。ユダ王国は滅亡し、捕囚となった人々は異国で救いを待ち望みつつ、御言葉に忠実に生きていたが、家族は離散し(今でいう拉致に当たる)、異教の神々を拝むことを強制され、悲惨な生活を送ることになった。しかもこの苦闘が50年も続く間、その試練の中で預言者イザヤは民衆に慰めの言葉を語りかけるのである。
 「呼びかける声があった。主の為に荒れ野に道を備え、私たちの神の為に荒れ野に道を通せ・・・主の栄光が現れるのを内なるものは共に見ると主の口が宣言される」(40:3〜5)と。絶望的な困難、耐えがたい試練に遭った人々の心に慰めと希望の灯火を点したのである。
 その頃、東方に新興国ペルシャが興り、キュロス王によってバビロンは滅ぼされ「苦役の時は今や満ち」、捕囚の民はエルサレムに帰ることが出来た。まさに帰還の約束は成就したのである。主を待ち望む待降節に相応しい詩で、信仰による救いの確かさを証ししていて、クリスマスの折に繰り返して読み、感動を新たにする一節である。

 ヨハネ福音書の記者はクリスマスについて「言は肉となってわたしたちの間に宿られた」(1:14)と記している。目を蔽いたくなるような悲惨な世界、暗黒の世に救いの道を開くためにキリストは人の姿で現れ、十字架の死にいたるまで神に従順であったが、世は彼を受け入れなかった。ルカはベツレヘムの宿屋には彼らの泊まる場所が無かったと説明している。今でいういじめの世界にキリストは入って来られたのである。ある先生は「そういう中に入ってきて共に宿って下さる。そこにキリストの恩恵と真理との光が差し出る。これがクリスマスである」と教えられる。
 日本にこのキリスト教が伝えられてからの歴史は迫害の連続であった。徳川幕府の厳しい禁教政策にもかかわらず、この間、役人たちの目をくぐって伝道し、人々に信仰の喜びと希望を与え、あらゆる迫害に耐えて信仰を全うした多くの信者がいた。宣教師や司祭のなきあと200年以上の長きにわたって密かに信仰を守り伝えたということは世界のキリスト教史のうえでも例の無いことである。

 森礼子氏の「神父ド・ロの冒険」は、この間の隠された歴史を物語っていて興味深い。
 フランスの貴族ノルベール・ド・ロッツの息子マルコは、ジアン・クラッセの『日本西教史』、レオン・パジェスの『日本二十六聖人殉教史』を読んで日本のために祈り、特に過酷なキリスト教禁制が日本で続いている事実に義憤を覚え日本へ赴いて殉教するのが自分の使命であると思った。そこでパリ外国宣教会に入会した。1858年(安政5年)、ようやく日本はフランス、アメリカ、オランダなど修交条約を結んだ。しかし、日本全土で尊王攘夷の嵐が渦巻くさなか、1868年28歳のド・ロッツ神父は日本伝道に旅立った。その頃、先に日本に来ていたプチジャン神父は徳川幕府が瓦解し、新政府による新しい社会の出現を期待していたが、明治政府は国家の最高機関として神祇官を設置し「切支丹邪宗門禁制」を掲げたのである。これによって多くの隠れキリシタンは捕らえられ、長州、津和野、福山などに流刑にされた。いわゆる「浦上キリシタン一村総流罪」(浦上四番崩れ)である。
 家族に別れを告げる事も許されず、着の身着のままで舟に乗せられた信徒たちは声をそろえて祈りを唱えつつ、見知らぬ国へ流されていった。このキリシタンの弾圧を目のあたりにしたド・ロ神父は悪夢にも似たショックを受け、胸のつぶれる思いであったという。
 厳しい弾圧の中、1879年彼は本土の最西端にある西彼杵半島(にしそのぎ)外海地区の主任司祭を命じられた。そこは陸の孤島といわれていた厳しい地形で、キリシタンが多く潜伏して残っていた。彼は外海はじめ出津のキリシタンの為に立派な教会を建設し、診療所を開き、また貧しい人々の為に託児所を設置するなどの伝道と共に、優れた福祉活動を続け、1914年11月7日、74歳で天に召され、出津の野辺の墓地に葬られた。キリスト教禁制の解かれる日を望みつつ、なお迫害のなかで一生を伝道の為に捧げ尽した。ド・ロ神父自らが用意した墓碑銘に「わが選べる者の労や空しからず」(イザヤ65:23)と刻まれている。

 クリスマスはキリストの降誕を記念し、喜びに与るのみでなく、主に救われたものが主に仕え、希望を失わず、救いの道を開かれる時を確信して待ち望む信仰への決意を新たにする季節である。また、魂の故郷に帰る季節でもある。「われらの国籍は天にあり」との約束を確信して、先駆けた聖徒たちに続く思いを新たにし、共に聖餐に与り、主の来臨に備えたいと願うのである。



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