2003年6月22日 ウェスレー生誕300年記念・聖霊降臨後第2主日礼拝 説教
「一書の人、ジョン・ウェスレー」

エゼキエル書3章1〜3節
ヘブライ人への手紙4章12〜13節


鵜飼 勇(うかい いさむ)
日本基督教団銀座教会名誉牧師
1922年
 銀座教会牧師館に生まれる
1942年
 青山学院高等商業学部卒業
1952年
 日本基督教神学専門学校卒業
 鎌倉教会伝道師就任
1955年
 米国エール大学神学校修士課程修了
 神学修士(S.T.M.)
1956年―1998年
 銀座教会主任教師

1994年

 米国シンプソン大学(アイオワ州)
 より名誉神学博士号(D.D.)
 を受ける
 メソジスト教会の最初の指導者ジョン・ウェスレーの誕生300年を覚え、その信仰の系譜に繋がる銀座教会として「一書の人」ジョン・ウェスレーに思いを馳せ、その信仰生活を導いた福音の真理を学び、共に主を讃美して礼拝を守りたい。

 「説教はその人の人格を通して語られる神の言葉である」と言われるが、ジョン・ウェスレーがどの様な人であったかを知る最善の道の一つは説教であり、その説教によって「メソジストと呼ばれる人々」の群れが生み出され、18世紀の英国に信仰復興の大きなうねりを起したこと、さらにその信仰に生きた人々によって革命を経ないで近代へと歴史が形成された事を改めて心に留めたいと思う。彼の有名な説教集の序文に「私はただ一つのことを知りたい。天への道、あの幸福の岸辺に無事に上陸することを。神ご白身が天から身を低くして降りてこられ、その道を一つの書に記された。どんな犠牲でも払いますので神の書を与えて下さい。私をして「一書の人」として下さい。天への道を見いだす目的で神の臨在の中でその書を開きます」とある。「メソジスト」と呼ばれる信仰復興運動の指導者として聖書的信仰に生きたウェスレーの基本的な姿勢がそこに見出される。

 18世紀初頭の英国の社会を思想家カーライルが「魂は空っぽ・胃袋は満腹」と評した。貴族たち上流社会の人々は飲酒放蕩に身を持ち崩し、国教会の指導者たちもその蔓延を糾す力も意欲も失っていた。その様な時代、1703年6月17日、ジョン・ウェスレーは英国北部のエプワースという寒村の教区司祭館で生まれた。父サムエルは英国国教会の忠実な司祭、母スザンナとの間に19人の子供が与えられたが、八人は早世し、ジョンは15番目、弟のチャールスは18番目であった。大勢の子供たちを育てる為に経済的に窮迫した父は借財の為に一時投獄された事があった。清教徒の禁欲主義的伝統の中で育った母スザンナはジョン兄弟たちに厳しい信仰的な教育をした。その訓練のためにそれぞれに週日を割り当て、例えばジョンには毎週木曜日に聖書の話を読み聞かせ、極めて規則的に生活する事を教え、朝夕欠かさずに「主の祈り」を共に祈り、聖書を自分で読むように導いていた。スザンナの伝道的な情熱は幼いジョンの伝道者としての生涯に強い影響を与えた。

 ジョンが6歳のとき、ある夜半に司祭館が反対派の人々よって放火され、焼失した事があった。一人取り残されたジョンが親切な人々が機転によって二階の窓から助け出された時、父は先ず跪いて主に感謝すると共に「ジョンを主の御用のために捧げます。」と祈った。

 後年、彼は「私は炎の中から取り出された焼けぼっ杭のような者だ」と繰り返して語り、神が自分を何か特別の使命のために救い出された」と確信を持つようになった(アモス4:11)。

 やがてジョンはオックスフォード大学のクライスト・チャーチ・カレージに学び、英国国教会の聖職に献身する決心をし、父親たちに勧められてJ.テーラーの「聖なる生と死に関する規則と実務」、トマス・ア・ケンピスの「キリストに倣いて」、W.ローの「キリスト者の完全」などを読み、主の恵みより全身全霊を捧げる思いを強く示された。かくして1725年9月英国国教会執事の按手礼を受け、日記を書き始め1791年2月23日に天に召されるまで生涯書き続けた。

 彼は極めて規則正しい生活を定め、毎朝4時に起床する習慣を養い、弟チャールスたちと神聖クラブを組織し、時を定めて共に聖書を学び、祈りを合わせ、進んで奉仕活動に励んでいた。炭鉱の町キングスウッドの子供たちの生活を指導し、刑務所改良運動に取り組んでいた。

 その働きが人々の目にとまりメソジスト(几他面屋、方法論者、聖書の虫)と渾名されるようになった。ウェスレーが世俗の激しい批判の中にメソジスト運動に徹した処に、謙虚な神への服従の姿勢を学ぶ事が出来る。彼は「この名は決して我々が選び取ったものではなく、許可も承諾もなく、ある人が非難の意味でつけたもので、記された神の言葉(聖書)がキリスト者の実行と信仰との唯一の力ある法則である」と確信していた。

 伝道の情熱に燃えて大陸アメリカに神聖クラブの仲間と共に出かけたが、彼は内心自らの救いの確証を求めていた。その航海でドイツからのモラヴィア派の移民に出会い、突然の嵐の中で彼らが平然として主を讃美し祈りを合わせている光景に心を打たれた。自分たちが今にも死にそうだとおじ惑っている時に、彼らを支える信仰はどこから来るのかとその根源を追い求めた。その様な信仰的な苦闘の中で彼は福音的回心を経験した。1738年5月24日の夕べ、気の進まぬままアルダスゲート街のモラヴィア派の集会に出席し、司会者の読んでいたマルチン・ルターのロマ書講解の序文を聞いているうちに心が不思議に温まるのを覚えたと日記に記している。ロマ書に「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」これは『信仰による義人はいきる』と書いてあるとおりである」。回心の経験によって彼は改めて人はキリストの十字架の恵によってのみ救われ、キリストは救い主であり、自分の罪を全て赦して下さる事を心から信じることが出来るようになった。これがウェスレーのアルダスゲートの劇的な回心の体験であり、メソジスト運動の原点となった。

 ジョンは情熱を傾けて伝道し、チャールスはメソジストの進軍歌とも言われる讃美歌を作り、識字率の低かった当時、人々は賛美歌によって聖書を学び信仰を養われた。また、メソジストと呼ばれる人々は組会活動を通して燎原の火の様に全英国に広まっていった。

 ウェスレーは「世界はわが教区なり」と言って87歳で天に召されるまで、馬や馬車に乗って全国を巡回し、組会を充実させ、指導者を訓練し、約35万キロ、4万回の説教をしたと言われている。

  「人の子よ。目の前にある巻物食べなさい。この巻物を食べて、行ってイスラエルの家に語りなさい。私が口を開くと主は巻物を食べさせた」(エゼキエルの召命の記事)。かつて大成運動という伝道活動が進められた時、一人一霊と共に聖書生活一日一節という勧めがあった。聖書の一節を「食べる」ように味わう事を奨めたのである。そこに信仰者の生きるカの秘密がある。主が食べさせられるのである。聖書である巻物を食べる事によってのみ与えられる信仰的な生き方、聖書に沈潜することによって与えられる確かさである。聖書を食べて歴史を生き抜いていたメソジストの信仰の姿勢を受け継ぎ、神の言葉によって生きる教会として歩み続けたい。一書の人として生き抜いたジョン・ウェスレーに学び、現代に福音を伝える教会としての使命をともに果たして行きたい。


 



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