2003年11月2日 召天者記念礼拝 説教
「信仰の遺産」

ヘブライ人への手紙12章1〜6節
ヨハネの黙示録書21章1〜6節


鵜飼 勇(うかい いさむ)
日本基督教団銀座教会名誉牧師
1922年
 銀座教会牧師館に生まれる
1942年
 青山学院高等商業学部卒業
1952年
 日本基督教神学専門学校卒業
 鎌倉教会伝道師就任
1955年
 米国エール大学神学校修士課程修了
 神学修士(S.T.M.)
1956年―1998年
 銀座教会主任教師

1994年

 米国シンプソン大学(アイオワ州)
 より名誉神学博士号(D.D.)
 を受ける
 「主の義をまといて御前に近付きわが主の御手より生命の冠を受くるぞ嬉しき」(讃美歌2編230番)という聖歌隊によって歌われたチャ−ルス・ウエスレー作詩の一節は今日「聖徒の日」の礼拝を守るのに最も相応しい讃美です。

 古来、諸聖徒日(ALL SAINT'S DAY)として守られて来た教会の祝日です。ギリシャ・カトリック教会ではクリュストモスが聖霊降臨臨日の次の日曜日を、ローマ・カトリック教会では教皇ボニファチゥス四世が7世紀ころ諸聖徒日を5月13日と定め、後にグレゴリウス三世ローマのヴァチカン大聖堂献堂の機会に)11 月1日に改定し、今日に至っています。

中世になり「聖人崇拝が」盛んになるにつれて、この日を特に殉教者、聖人のみの記念日として守り、フランスのクルニュー修道院長オディロンによって一般信徒の逝去者の記念日を「諸魂日」(ALL SOUL'S DAY)として11月2日に守るようになりました。プロテスタント教会では「聖人の日」ではなく、主に仕えて信仰の歩みをし、先に天国に召された方々を記念するために、毎年11月第一聖日を「聖徒の日」として守ります。この日、天にある人々に思いを馳せ、この世にあった時、主の教会で共に礼拝を守り、信仰と奉仕を共にして歩んだ方々の在りし日を偲び感謝して記念することは意義深いことであり、また遺された方々がその「信仰の遺産」を継がれるように祈りを合わせることは大切なことだと思います。使徒パウロは「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々へ」と諸教会に手紙を送りましたが、主の十字架の贖いによって罪を赦され、聖なる者とされた意味で「聖徒」と呼ばれているのですから、私たちもこの事を心に留めて今日の礼拝を守りたいと思います。

 銀座教会の113年の歴史は信仰の先達の祈りと尊い奉仕によって築かれてきたことは御承知の通りです。教会の歴史を紐解くとき、社会の厳しい状況と歴史の激しい嵐の中に言葉をもって表すことのできないような重い十字架を負って労苦した数々の戦いを見出します。教会の迫害、戦争、大震災、戦後の不況、社会の変化など全てを挙げることはできません。「井戸の水を飲むものは、井戸を掘った人の労苦を思わなければならない」と言われます。教会の伝道の業を継承し、その形成と維持の為に献身的に奉仕した歴代の教職たちと多くの信徒のあったことを忘れてはならないと思います。私たちは過去の人々に学ぶことが少なくありません。また、その労苦に対して感謝と敬意とを表すと共に、彼らに学びつつ、さらにこの教会に託されている使命を果たしていくようにとの思いを強く与えられています。

「信仰の遺産」(FAITH OF OUR FATHERS)と題を付けました。今日、私たちは聖徒の日を守るに当たって、教会の為に尽くされた方々の献身的な奉仕と労苦を思い起こすと共に、その働きを継承して明日の教会を形成するために、主に対する献身の決意を新たにしたいと思います。

 先日の信徒伝道週間の礼拝で速水優氏が長兄の遺言として「自分は間も無く主のもとに召されるが、遺る家族が皆主イエスの十字架による救いを信じて欲しい」を心に留めて、今日まで信仰一筋に生きてきた証しをなさったことが、心に響いている。

 その信仰の姿勢を整えるために今日、与えられた聖書はヘブライ人への手紙です。この手紙が書かれたのは第1世紀の終わりごろ、ネロやドミティアヌスなどのローマ皇帝によって教会やクリスチャンたちに迫害が加えられると共に、教会の中でも次々と指導者たちが世を去り、信仰の動揺が現れてきた時でした。これはローマやガラテヤへ送られた手紙のように論争的・教理的ではなく、むしろ慰めと真実な勧告の手紙と言うことができると思います。種々な誘惑や迫害によって信仰から脱落したり、躓きそうになっている人々に送られました。従ってその全体は、彼らが初めの信仰を終わりまで堅く守り続けるように勧め、ある時は慰め、ある時は励まし、繰り返して信仰と忍耐を諭しています。「だから、萎えた手と、弱くなったひざをまっすぐにしなさい。また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩みなさい」(12章12-13節)。「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません」(13章7-9節)と繰り返して励ましています。

 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました」(11章1-2節)。これは有名な信仰の定義です。「まだ見ていない事実を確認する」というのは、ともすれば今、目前にある事柄だけで判断して一喜一憂し、時には信仰の道筋を踏み外しそうになりますが、信仰者は主の約束の言葉を日毎に聞き、神の助けと力とによってその約束が実現すると確信して、忍耐して揺るがないでいることです。大分前に神学者エミール・ブルンナー先生が「信仰とは現象的世界の背後に目を注ぐことである」と言われたことを紹介しました。すべての出来事の背後に神が共にいて下さるがゆえに、必ず救いを与えて下さると確信することは信仰者の基本的姿勢であって、常識や打算ではなく、日毎に神の言葉に基づいて生きていくことなのです。その実例として旧約聖書に記されている人々の姿を挙げています(11章32-34節)。このような状況に中で書かれたヘブライ人への手紙で特に注意を惹かれるのは、3章12節の「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。あなたがたのうちのだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい」という一節です。言い換えれば、信仰の現在的な意義を強調しているのです。「今日という日のうちに」確かな信仰に立ち返りなさいと勧めると共に、信仰のない悪い心を抱かないように警告していると言うことができると思います。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(コリントの信徒への手紙二6章2節)なのです。主は決して明日悔い改めよとは言われません。正に、この言葉は、我々が礼拝を守っている今日、今に外なりません。また「今日、あなたたちが神の声をきくなら…」(ヘブライ人への手紙3章15節)と、会衆の一人一人に語り掛けられているのです。一人の例外もありません。

 信仰者は自らの足でしっかり立つことが求められます。親も、兄弟も、友人も、どんなに親しい人でも信仰の代理をすることはできません。多くの方々が救いのために祈り、執り成して下さっていますが、「あなたの信仰があなたを救った」(マタイによる福音書9章22節)と主イエスが言われたように、信仰だけは一人一人が全てを投げ打っても自らのものとして受け入れなければ救いにあずかることができません。この意味で、今日の「聖徒の日」は信仰の遺産を継ぐ日と言えましょう。

 礼拝にご出席の大部分の方は祖父母を、父を、母を、夫を妻を、兄弟を、愛する子供たちを主の、みもとに先に召され、悲しみ中にも復活の主の約束の言葉によって慰めを与えられた経験をもっておいでになると思います。「天に一人を増しぬ」という詩を思い出して下さい。「主イエスよ、天の家庭に君と共に座すべき席を、我ら凡てにも与えたまえ」との真実な祈りに思いを合わせ、私たちも魂の故郷である天国を目指して信仰の旅路を歩んで参りましょう。

 12章に「こうゆうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡み付く罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか」と記されています。信仰の生涯を競技場で行われている競争にたとえられています。それを取り巻くスタンドには、多くの人が集まって競技を注目しています。彼らは「証人」たちです。証人は事件の目撃者であり、現在は現役を退いている人たちです。信仰生活について言えば、神を信じて、誘惑や困難の多い現実を生き抜き、今は天にある人々です。彼らは後に続く我々の信仰生活に注目しています。その競争を走り抜くためには、信仰生活を妨げるもの、相応しくない快楽や欲望を押さえ、この世の物に執着しないで、宝を天に摘むことではないでしょうか。また、絡み付く罪とは、神の摂理を信ぜず、その力や愛を疑うことです。このような妨げによって信仰の道から外れる人が少なくありません。信仰の恵みはただ一筋に御言葉に従って歩むときに体験することが許されます。私たちは皆、キリストの為に走るように召されています。教会の為に誰か特に選ばれた人だけが一生懸命に働いて、ほかの人はただ見ているだけではいけません。キリストの教会は召されたすべての人々によって支えられ、伝道がなされるのです。また、それによって神から祝福を与えられるのです。忙しいからできないと言う方もありましょう。しかし、今日暇な人は一人もありません。皆忙しいのです。しかし、その中から時を捧げ、宝を捧げ、労力を捧げて教会の為、伝道のために奉仕しているのです。

私たちの教会は多くの忠実な主のしもべたちによって支えられて今日に至りました。今日、聖徒の日を守るに当たって、天にある彼らの平安を祈ると共に、その遺志を継いで明日に向かって教会の使命を果たすために私たちは志を新たにしたいと思います。

 最後に、私たちの愛する方々で、この世にある間にキリストの福音を聴く機会を持たないで、また聴いても主に従う決心をするに至らないままこの世を去った方々を思い浮かべます。この事を思うと私たちの胸が痛みます。彼らのために執り成しの祈りを捧げると共にすべての人を救おうとなさる全能の神の憐れみを求め、私たちは終りまで信仰の道を互いに励まし合いつつ進みたいと思います。




 



All Rights Reserved, Copyright Ginza Church.1999-2003.