桑港と東京を結んだ福音会













 

メソジストの日本伝道のもう一つの流れ−

  北米から日本へ向かったメソジストの流れの他に、もうひとつ日本からアメリカに向かった流れが初期のメソジストの日本伝道を支えたことを見落としてはならない。

 明治初年、多くの青年たち、特に旧武士階級の子弟で明治新政府筋に働き口を得られなかった若者たちが、青雲の志を抱いて北米に新しい知識と生き方を求めて旅立った。しかし苦しい船旅を終えて上陸した彼らを待っていたものは、言語も生活習慣も何もかもが異なる厳しい現実であった。ちょうどその頃、日本人に先立ってすでに多くの労働移民が流入していた中国系の人々のために、メソジスト教会はサンフランシスコの一角に中国人伝道館を開き、宣教と生活支援活動を展開していた。日本の青年たちの或る者は、「同文のよしみ」からたまたまこの伝道館を訪れ、はからずもそこで福音に触れたのである。

 後に銀座教会の第二代牧師となった美山貫一は、1874(明治7)年に渡米、同志野中熊太郎とともに、日本人の初穂として洗礼を受けるに至った。

 美山たちは、ただちにここで桑港福音会を結成し、中国人伝道館の地下の一室を借りて聖書と英語の勉強に励むかたわら、後から来る日本の仲間たちのために宿舎や就学、就職の斡旋、相互扶助などの活動を開始したのである。ここでキリストと出合った青年たちの中から、伝道者を志して学ぶ者が数多く輩出し、彼らが日本に戻って、宣教師たちを助けて初期の日本メソジスト教会の宣教を支えたのである。ちなみに銀座教会の初代牧師小方仙之助、同二代美山貫一、同三代鵜飼猛の三名はいずれも桑港福音会のメンバーであった。

 また美山たちは、銀座竹川町に東京福音会夜学校を開設し、ここで学んだ青年たちが東京福音会から桑港福音会への紹介状を得て渡米勉学するという新しいルートが設けられ、当時の勤労青年にとってのひとつの夢が実を結んだ。

 銀座教会が築地教会から独立して現在地に設立された時、福音会夜学校の活動もそこへ移り、以後今日まで東京福音会英語学校として百余年の伝統が受け継がれている。また福音伝道を広義に捉え、教育、文化、生活などを含めた全人格的な活動として実践した福音会の伝統を受け継いで、銀座教会は1994(平成5)年に東京福音会センターを開設、多面的な宣教活動の試みを続けている。


福音会の原点-サンフランシスコ中華美以教会
福音会夜学校同窓会(明治39年)
銀座教会第二代牧師美山貫一
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