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日本の禁酒運動は銀座から |
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安藤太郎、根本正と禁酒会− 安藤太郎は幕末期の幕府海軍操練所に学び、函館で戊辰戦争を戦った武士であったが、その後その才を認められて明治新政府の外務官僚となり、岩倉具視の欧米視察団に随行した後、36才でハワイ総領事に任命された。 その頃桑港福音会から美山貫一、鵜飼猛の二人がハワイに渡り、日系の移民たちに伝道を開始した。美山たちは単にキリスト教の布教を行っただけでなく、メソジストの伝統に従って移民の若者達の生活規律の改善や小グループを集めて日掛けの互助制度を作らせるなど、積極的な福祉・教育活動も併せて展開して行った。総領事としての安藤は、美山たちのこの活動に大いに関心をそそられ、文子夫人や領事館員たちの中にキリスト教の信仰を志すものが増えていった。やがて1888(明治21)年、安藤太郎・夫人以下領事館員全員が洗礼を受け、移民たちの中からも信仰者が与えられて、やがて日本人美以教会が設立されるに至った。 安藤太郎は若い頃から酒好きで、ハワイ在任当時、かっての上司だった榎本武揚から日本酒二樽が届けられ、これを大切にしていたが、夫人文子は夫の酒断ちを願って太郎の留守中に公邸の庭に穴を掘りこの酒をすべて流してしまった。これを知って一時は激昂した太郎も、やがて夫人の本意を悟り、また美山たちの説く福音に触れたこともあって断然禁酒を誓うこととなった。 任を終えて帰国した安藤は築地美以教会、次いで銀座美以教会の会員となり牧師を援けて活躍するとともに、東京禁酒会を設立して禁酒運動の中心となった。 根本正は、中村敬宇の興した同人社でカナダメソジストの宣教師カックランから学び、渡米して桑港福音会の門を叩いた。そこで美山貫一と親交を結び、米国の大学を卒業して帰国、政友会の代議士となって政界で活躍するが、同時に安藤太郎を援けて禁酒運動にも力を注ぎ、また銀座美以教会の有力な信徒の一人としても奉仕した。 やがて日本各地の禁酒会が統合し、日本禁酒同盟が1898(明治31)年に設立され、東京禁酒会、日本禁酒同盟とも銀座美以教会に事務所を置き、安藤、根本を中心に活動したので、銀座はいわば日本の禁酒運動の中心地となった。 後年、安藤文子が天に召された時、安藤太郎は夫人の遺志に従って麻布の自宅を主に捧げ、安藤記念教会が設立され、安藤と根本はそちらの教会に移り、禁酒会の中心も移された。 |
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