神の愛を受けた者の連帯責任













 

賀川豊彦に受け継がれたメソジストの理念−


  近代日本のキリスト教について語られる時、賀川豊彦の名が忘れられることはないであろう。賀川は1888(明治21)年、神戸に生まれ、出生にまつわる暗い過去からキリスト教に救いを求めて15才の時に受洗、明治学院神学部、神戸神学校、さらにプリンストン大学に学んで1918(大正8)年に按手を受けて牧師となったが、神戸神学校時代から市内の貧民街に住み、貧者救済の活動に献身した。

 賀川が属した教会は長老派でメソジスト教会ではなかったが、彼は神戸の貧民街時代からウェスレーの「信仰日誌」を愛読し、メソジストの愛の実践とその具体的な社会への働きかけに強い関心を抱いていた。また彼がプリンストン大学に留学した20世紀の初頭は、アメリカのメソジスト教会が「社会的福音」を掲げて活発な活動を行い、特に互助組合、消費組合さらには労働組合のような組合活動の中で信仰運動が行われた時代であり、賀川はこのことに強い関心を持った。彼は書いている。

  「ウェスレーたちは、聖書の真理を実行にうつし、助け合いの運動を真剣にやりだした。宗教を生まれた時と死んだ時のものとせず、生活全体を神様にささげるという誠の精神運動を起こした。政府の間にも、民間にも、労働組合の中にも、彼らは入って奉仕を続けた。」*

 勉学を終えて帰国した賀川は、再び神戸で活動、さらに関東大震災に際しては東京に本所セツルメントを設立、バット宣教師などとも協力して社会事業を広く展開していった。そればかりでなく、各地で消費組合、共同組合運動を起こし、また労働組合、農業協同組合の活動にも深くかかわり、その中で「神の愛による連帯責任」を説き、「愛の実践による神の国の実現」を目指して働き続けたことは多くの人の知るところである。

 賀川自身が特にメソジストを名乗りはしなかったが1929(昭和4)年、40才の折に、ウェスレーの信仰日誌を共訳で出版し、自らそれに序文を寄せ、18世紀の英国社会の混乱を救ったウェスレーとメソジストの功績を賞賛している。また近年の研究によれば、貧困と社会の問題、政治倫理の問題、大衆教育問題、医療組合問題等々にウェスレーと賀川の理念の共通性を指摘する声が多く、賀川豊彦が受け継いで日本で開花させたメソジズムの伝統が改めて注目を集めるに至っている。

* 「協同組合の革新」(賀川豊彦全集4−269頁)


賀川豊彦(1881-1960年)
神戸イエス団で働いた人達
江東消費組合の店舗
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