メソジストという仇名













 

ホーリークラブとウェスレー兄弟−

 ジョンの弟チャールスは、オックスフォードで仲間の学生たちとホーリー(神聖)クラブという、今日でいうサークルを結成した。これはまさにウェスレー一家の兄弟たちが母スザンナから受けたような、厳格で信仰的な生活規範を互いに守ることを目的とするサークルで、祈り、学業、奉仕などの厳しい時間割を定め、これに従って互いに励まし合いつつ各々の信仰生活を確立して行こうという運動であった。

 故郷エプワースの助祭職を終えて、再びオックスフォードに戻ったジョンは、当然、弟チャールスを含む学生たちのリーダーとして、このホーリークラブを指導することとなった。彼等は、祈りと聖書の学び、各々の学業に精進するとともに、刑務所への問安訪問をするなど、様々な奉仕活動にも励んだ。

 特にジョンは自らの日々の生活と思索を克明な日記として残し、この習慣は生涯を通じて続けられた。この厖大な日記が今日も残され、当時の彼らの真摯な生活ぶりを伝えている。

 このサークルのメンバーが余りにも几帳面に日課を守り、自らの生活をきっちりと律していたことから、周りの人たちはある種の皮肉も込めて彼らにメソディスト(Methodist)−几帳面屋、きっちり派−という仇名をつけた。しかしウェスレーたちはかえってこれを多とし、後には自らメソジストを名乗ってますますその活動を活発化し、このサークルに加わるメンバーも増えていった。

 当時の英国は産業革命が進行中で、農業社会から工業社会への移行の過程にあり、農村を離れて都市や炭鉱などに流れ込んだ貧民層がその日暮らしのすさんだ生活に苦しんでおり、非行、犯罪などの社会不安もつのっていた。

これに対し英国国教会はどちらかといえば上流社会よりでかつ世俗化の傾向にあり、苦しむ人々への対応は二の次とされた感があった。
 こうした社会情勢の中で、厳格な信仰生活と幅広い奉仕に献身するメソジストたちは、人々のやっかみを含めた視線を浴びながらも注目すべき存在となっていった。



ジョン(6歳)エプワース牧師館の火災で
奇跡的に救出される
メソジストという呼び名になった
オックスフォード大学生のホーリー・クラブ
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