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共に信じ、共に生き、共に歌う群れ |
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組会(Class)での支えあいと ウェスレーたちは各地にメソジスト会の組織を作り、信徒運動としての活動を拡げて行った。各地のメソジスト会は徐々に礼拝・集会施設も持つようになり、ロンドンでは廃業した工場をそのまま手に入れ、その名もザ・ファウンドリー(鋳造工場)という礼拝所が献堂され、全国のメソジスト会連合の中心となった。 たまたまあるメソジスト会で、集会場所確保の費用を賄うため定期的に献金を募ろうとしていた時、一人の信徒が次のように提案した。「私のほかに11人、計12人を一つのグループにして下さい。各々は週1ペンスずつ、グループで週12ペンス、1シリングを捧げます。もし仲間でその1ペンスが払えぬ者が出た時は、私が代わって1ペンスを負担します。」 こうして12人を1組として生まれたのが組会(Class)で、これがいつしか各メソジスト会の内部組織として定着し、ウェスレーたちもそれを奨励しつつ組織を拡大していった。組会メンバーは単に献金の負担だけでなく、共に聖書を学び、生活の規律向上に共に励まし合い、またもともと貧しい人々の集まりであったので、仲間うちに病気や怪我で一時働けない人が出れば互いに援け支えあう互助組織の役割も果たす形となった。 ウエスレーたちは貧しい坑夫の子供たちのために学校を建て、ホームレスの人たちのための施設や無料の診療所も作った。ザ・ファウンドリーの建物は礼拝、集会所でもあるとともに、家のない人たちのホテルであり、そこに住む人たちは皆ひとつの家族として食事を共にした。 ジョンの弟チャールスは、兄を援けて活動に励むかたわら、美しい讃美歌を次々と作り、メソジストの集会は「歌う教会」とも呼ばれるようになった。チャールスが作り編んだ讃美歌は、聖書の教理を正しくかつわかり易く理解できるように歌が配列され、文字の読めない人々でも、皆でその讃美歌を唱和することで福音の真理が耳で理解できる、いわば「歌の説教」のように作られていた。こうして日々信仰の輪は拡げられていった。 |
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ジョン・ウェスレー日誌
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序文付『讃美歌集』
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