世界はわが教区なり













 

メソジスト運動は世界へ拡がる−

  ウェスレーは、最後までメソジスト運動を英国国教会の中の信徒活動と位置づけていたが、1786年アメリカ合衆国が独立し、国教会が司祭をすべて英国に引揚げさせたため、まず新大陸のメソジスト会が非国教会派の教会として独立せざるを得なくなった。そしてウェスレーの没後、1797年には英国のメソジスト会も独立したメソジスト教会となった。

 それまでの教会は、各教会ごとに一定の地域とその住民を管轄する形をとり、その地域を教区(Parish)と呼んでいた。それに対しメソジストの教師たちは、それぞれが分担して各地のメソジスト会を巡回訪問して信徒たちを指導する形をとっていたため、自らの担当区域を巡回区(Circuit)と称した。教師一人一人の分担がサーキットとなるため、時には地理的に全く離れた地域が同一のサーキットに属するという事態も稀ではなかった。

 ジョン・ウェスレ−はこうした体制の下にさらに先を展望し、生前「世界はわが教区(Parish)なり」との信念を掲げた。自らの活動を、一定の地域に限ることなく、まさに聖書が告げるように「地の果てに至るまで主の証人となる(使徒言行録1章8節)」ことを志し、熱烈な伝道精神をたぎらせていたのである。

 かくしてメソジスト教会はウェスレ−の志を受け継ぎ、まず北米大陸に、そしてアフリカやアジアの未だ福音を知らない諸地域に向って、活発な伝道活動を展開していった。18、19世紀は交通・通信手段の目覚ましい発展にも支えられて、キリスト教の諸教派はこぞって世界伝道を志したが、その中核を担って極めて熱心な伝道活動を展開したのは、「世界をわが教区」としたメソジスト教会であり、しかもその活動は単なる教理としての福音の伝道というに止まらず、教育に福祉に、あるいはさまざまな社会活動にと、まさに「キリストの愛に日々共に生きる」運動(ムーブメント)として展開されていったのであった。

 メソジスト教会が起こした運動は、地域的に全世界に拡がっていっただけでなく、あるいは労働運動の原点として、また福祉制度の原点として、今日の社会に様々な形でその影を落としている。そればかりかウェスレ−の唱えた“Gain all you can,Save all you can,and Give all you can!”「大いに獲得し、大いに節約し、大いに捧げなさい」という言葉に近代資本主義社会の基本理念*が存するとすら言われているのである。

* マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神』


ジョン・ウェスレーの宗教教育の
論理と方法に関する考察
by John W. Prince, 1926
18世紀当時のウェスレーによる
メソジスト教育に関する研究
by Alfred H.Body, 1936
ウェスレーが編んだ
メソジストの讃美歌集(1876年)
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