「アブラハムと神の交渉」
説教集
更新日:2025年07月19日
2025年7月20日(日)聖霊降臨後第6主日 銀座教会創立記念礼拝 牧 師 髙 橋 潤
創世記 18章20~28節
20 主は言われた。
「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。21 わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」
22 その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。23 アブラハムは進み出て言った。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。24 あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。25 正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
26 主は言われた。
「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」27 アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。28 もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
聖書をもっと知りたければ・・・
» 一般財団法人日本聖書協会ホームページへ
本日は、銀座教会が創立して135年を迎える記念礼拝です。135年前、銀座教会の母なる教会である築地教会の篤い祈りに応えて神は、この地をキリストの福音を伝える伝道のためにお与えくださいました。また、今年は母教会である築地美以教会の創立から数えて150年目を数える年を迎えました。本日礼拝後には、創立を記念して銀座教会の歴史を振り返りたいと考えています。ぜひ、礼拝後残って私たちの教会の歴史を学び、信仰の先達の祈りと神の救いのご計画を感謝したいと思います。
本日与えられた聖書箇所は、創世記18章、ソドムとゴモラという町が滅ぼされる直前の出来事です。年間カリキュラムのこの聖句は、銀座教会創立記念日に相応しくないのではないかという声もありました。しかし、読んでいる間、この御言葉こそ150年の伝道を振り返るためにも、大変重要な御言葉であると思わされました。神は、ただ感情的に、町を滅ぼしているのではありません。何とか救おうとされ神はアブラハムの声を聴いてくださるのです。神はアブラハムの声を聞くだけではなく、神の意志を何度も変更してくださるのです。神はアブラハムの申し出を真剣に聞いているのです。なぜでしょうか。それは、神はアブラハムと共に人間の罪と戦ってくださっているからです。
アブラハムが神の御前に神の御心を求め交渉し続けたように、銀座教会の歴史においても、多くの宣教師や信仰者がその時代時代の罪との戦いのために神の御声を聴き続け、伝道の危機に直面して祈り、危機的な時に神が伝道者を遣わしてくださいました。神の救いのご計画は、神による罪の戦いのため選ばれた信仰者が大切な使命と役割を担って神と共に戦う歴史なのです。神はアブラハムとの交渉を通しては、アブラハムを鍛え、成長させてくださったのです。神はアブラハムがソドムとゴモラの町が滅びる現実を受け止められるように備えの時を与えているのです。
主なる神は、「ソドムとゴモラの罪は非常に重い」だから降って行って訴える叫びの真意を確かめようと言われました。ソドムとゴモラの罪の問題については、神だけでなくアブラハムも知っていたと思います。アブラハムも神と同じようには、ソドムとゴモラの人々の罪と悪に支配されていることを受けとめていたことでしょう。しかし、この町には神を信じている人々がいることも知っていました。アブラハムは、アブラハムの家族のように神を信頼して生きている人が町の人々と共に滅ぼされてしまうことを案じていました。町の罪深い人々と神を信頼して生きている人々を、一緒に滅ぼすしてしまうのかどうか神の御心を知りたいのです。そのような思いで、アブラハムは神に対して、ソドムとゴモラの町を滅ぼすことを再び考え直してもらいたいと交渉するのです。アブラハムは主なる神の御前に進み出ます。アブラハムは神に対して、このような言葉で交渉を開始しました。
「あなたは正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。24 あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。25 正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
神は、アブラハムを門前払いしても良いはずです。しかし、神はアブラハムの言葉を聞いてくださるのです。この点は、とても大切なことではないでしょうか。神はアブラハムの声を聞かれているということは、アブラハムの祈りを聞いているということではないでしょうか。
私たちは神に何度祈っても無駄ではないかとつい思いがちです。しかし、そうではないのです。神はアブラハムの声だけ聞いているのではありません。創世記の最初に登場する男アダムと女エバとも対話しています。ノアの箱船の物語では、神はノアとも大切な対話をしています。出エジプト記 3 章 7 節の神は、神を恐れて顔を覆うモーセに対して「7 主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。8 それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地・・・へ彼らを導き上る。9 見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。10 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」と語りました。神は私たちが気がついていない危機的現実を私たちより先に深く知っているのです。神は誰よりも人間の罪の深刻さを知りつつ、奴隷のうめきと嘆きをも聞いてくださっていることを私たちはしっかりと理解しなければならないのです。
日本伝道のために米国の教会は多くの宣教師を派遣して日本伝道を開始しました。この宣教師の背後には、神の罪との戦いの先手があるということです。銀座教会の母教会である築地の教会の伝道は、宣教師を派遣するという神の御業です。開国したばかりの明治時代の東京はじめ日本全国に神が宣教師を派遣したのです。米国の教会の計画として理解するのではなく、日本もソドムとゴモラの町と同じように危機的な状況だったのです。そして、神がソドムに使者を遣わしたように日本伝道のために、ソーパー宣教師夫妻はじめ多くの宣教師が日本の各地に派遣され福音伝道を開始しました。そこには、創世記に記されているように、日本の人々の叫びを聞いてくださる神がおられるのです。このことを創立記念日礼拝でしっかりと受けとめたいと思います。
アブラハムは神に対して正しい者と悪い者と一緒に滅ぼされるのかと聞きました。アブラハムは神の御前に立っています。神の審きを受け入れつつ、御心を確認します。神はアブラハムに答えます。「もし、ソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」アブラハムは神の御心を求め、神のご意志を確認しました。神は罪人を排除するためには、善人の犠牲も仕方がないとお考えになるのではなく、正しい者のために町全部を赦そうとお考えになるお方であることが分かりました。アブラハムは神に対して五十人から四十五人、四十人、三十人、二十人、十人と交渉を続けました。神はこの交渉の最後、「その十人のためにわたしは滅ぼさない」と断言されました。
現代の私たちの世界は、ウクライナにおいてもガザにおいても、戦火の中で行われているのは、相手を倒すためには、多くの罪のない人々を犠牲にしてもかまわないという戦いではないでしょうか。アブラハムが引き出した神の御心はそうではないのです。罪のない人々が罪人の犠牲になるのではなく、正しい人が救う力をもっているということです。五十人の正しい人が数百人の罪人を救うことに神が同意しているのです。そしてアブラハムの交渉の最後は十人の正しい人がその他のすべての罪人を赦す力になるというのです。正しい人が、罪のために破壊される問題を克服する力を持っているという事が示されているのです。罪にまみれ汚された共同体であっても、ほんの少しの正しい人がいることに大変大きな意味があるということではないでしょうか。家族親族に正しい人が一人という場合も少なくありません。たとえ信仰者が少数であっても、神の御心によって、罪の問題を克服する力になると理解してよいのです。正しい人が十人以下の場合の交渉は、記されていません。大切なことは、正しい人々の力が悪に打ち勝つという神の御心が明らかにされている事です。
創世記 19 章では、神はロトの家族を救い出し、ソドムとゴモラの町は滅ぼされてしまいました。ロトとその家族が救われたのは、ロトの正しさでしょうか。そうではありません。聖書はロトの正しさではなくアブラハムの交渉と祈りを神が聞き上げてくださったからと記しています。「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。」創世記 19 章 29 節とあるとおりです。
神の御心は、家族や共同体の救いのためにはアブラハム一人でロトの家族が救われたように、たった一人でも良いのです。ローマの信徒への手紙 5 章 15~17 節にこう記されています。「15 しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。16 この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。17 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」
キリスト教会信仰は、この御言葉にあるように、アダムの罪によって多くの人が死にいたることになったとすれば、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物は多くの人に注がれるのです。神の恵みが働くとき、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されると記されています。
イザヤ書 53 章「5 彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
「罪のない者」すなわち、主イエスが私たちを救う力を持っていることが創世記の神の御心としてすでに語られているのです。この主イエスの十字架と復活の救いは、私たちの罪を主イエス自分自身に取り込んで、罪から死の力を奪い取るという罪との戦いに勝利したのです。
ソドムとゴモラの物語を通して、神の御心は、主イエスによって実現していることを私たちは受けとめたいと思います。主イエス・キリストが十字架上で私たちの罪と死と戦って、死の力を主イエスがご自身の中に取り込んで、救いを完成しているのです。
主イエスの救いは、多くの宣教師によって伝えられ、この日本に信仰者が生み出されました。現在、私たちはこの大切なバトンを次世代の人々に伝える使命を与えられているのです。主イエスに従い、神の救いのご計画を祈り続けたいと願います。