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銀座の鐘

独り子である神

説教集

更新日:2020年09月19日

2020 年 9 月 20日(日)聖霊降臨後第16 主日 主日家庭礼拝  牧師 髙橋 潤

ヨハネによる福音書1章14~18節


本日は、使徒信条の中心部分をご一緒に学びたいと思います。使徒信条は大きく三つの部 分に分けられます。それは、神、イエス・キリスト、聖霊の三つです。そして、この三つの後に、教会、最後の審判、復活について記され、信仰を告白します。
 イエス・キリストについての書き出し部分は「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず」です。この告白の言葉について、教会の歴史と聖書の御言葉からお聞きしたい と思います。この部分のラテン語の語順は、「イエスはキリストであり、父の独り子であり、 そして我らの主である」という順序です。元来、使徒信条は、洗礼に導く信仰教育のために 生まれました。神を信じる筋道として、聖書に記されている主イエスはキリストであり、父 なる神の独り子であると教えられています。ここに、教会の信仰の中心があります。
  使徒信条に記されている「イエス」は、いうまでもなく歴史上の人物として新約聖書に登場する主イエスです。父ヨセフと母マリアの子としてお生まれになった主イエスです。父ヨセフの大工の仕事を引き受け、その後、家族から離れ、ガリラヤ湖畔で伝道を開始し、弟子 たちと共にエルサレムに入りました。そこで逮捕され、真夜中の裁判で十字架刑の判決を受 け、処刑されました。そして、主イエスの予告通り、三日目に復活の主イエスは弟子たちに お姿を現されました。古代の教会は、この主イエス・キリストは、神なのか、人間なのか、 人間がある時に神になったのか、神がある時人間になったのか等、熱い議論が続きました。 そのような様々な意見の対立の中で、私たちが是非覚えておきたい二つの教会会議がありま す。一つ目の会議は、紀元325年現在のトルコ共和国のイズニクという町で開かれたニカイア会議、最初のキリスト者の皇帝であるコンスタンティヌスによって招集され、帝国内の混乱したキリスト理解を解決しようとしました。もう一つの会議は、カルケドン公会議、紀元451年現在のトルコ共和国イスタンブール近郊の町で行われたキリスト教の公会議です。ニカイア会議において、主イエスが父なる神と「一つの本質」(ホモウーシオス)であると主張し、主イエスは人間ではなく神であるという主張を退けました。カルケドン公会議 は、東ローマ皇帝によって召集され、議長は総主教のアナトリオスが務めました。この会議では、ニカイア会議の決定を再度確認して、キリストは神ではなく人間であるという新しい 意見に対して、キリストには神性と人性の両方があることを確認しました。この二つの教会会議において与えられた結論は、「イエス・キリストは、マコトの神にしてマコトの人である」という言葉でした。そして、この結論を土台にして23人の司教によって起草されたカ ルケドン信条が定められました。
 主イエス・キリストは、神であり同時に人であるという論理的には矛盾すると思われる驚くべき結論は、人間の知恵を越えた神の知恵を信仰によって受け入れたということです。神の御前に立つ事によって与えられた真理を受け入れました。この信仰によって、聖書が、否定されることなく、生き生きと力をもって私たちに迫ってくることになりました。使徒信条 は、世代を超えた年月を経て、教会会議によって神から与えられたイエス・キリストは神で あり人であるという聖書の中心となる信仰を確立しました。批判にさらされた教会に新しい 力が与えられました。

 その後の大問題は、新約聖書に登場し使徒信条によって告白されているナザレのイエスは 果たして実在する人物なのかという問いです。この問いに教会はどのように答えたのでしょ うか。現在では、多くの研究成果によって、主イエスが歴史上実在しなかったと断言するこ とは出来なくなりました。その根拠となったのは、新約聖書以外の多くの古代文書が読める ようになったことです。一例を挙げるとタキトゥスの『年代記』、スエートニウスの『皇帝 クラウディウス伝』、ヨセフスの『ユダヤ古代誌』、その他にも主イエスの同時代の重要な 文書の中にも主イエス・キリストが発見されました。これらによって、主イエス・キリスト が新約聖書だけで作り上げた人物ではなく、教会や信仰をもたない様々な文書によっても登 場する人物として確認することが出来たのです。主イエスが歴史的に存在しなかったという 疑問をもつ主張は消えていきました。
 このように、使徒信条と新約聖書は、時代を超えて批判し続けられ、その批判の中で吟味 され、教会を守ってきた告白です。教会にとっては、社会的地位の高い人々や学問的な権威 ある人々の痛烈な批判にさらされようとも、決して教会の信仰は踏み潰されることなく守ら れた歴史があることを忘れてはならないのです。長い年月、多くの批判にさらされながらも、 主の日に時には小さくなって集まり礼拝をしていた人々がいました。この世の様々な力が襲 っても、奇跡的に守られたのが信仰を告白する教会です。私たちが毎週の礼拝において使徒 信条を告白することは、大きな意味があるのです。いと小さき信仰者が神のみ力によって守 られた信仰の言葉を受け継いでいることを誇りにしたいと思います。そして、感謝して使徒 信条の一つ一つの言葉を喜んで告白したいと思うのです。

 古代の教会会議や新約聖書と同時代の古代の文書によって、主イエスは、キリスト救い主 である事、神の独り子であると告白し続けてきた使徒信条は、ある人間の思いつきの言葉ではないのです。古代より教会に与えられた信条は神がお与えくださった信仰の言葉なのです。 そして、今後のキリストの教会は、この信仰に立ち続けることによって、神の御前に立つ事 が出来るのです。その上で私たちは信仰の先達と共に声高らかに神を賛美し続けるのです。

 現在でも、イエス・キリストに対する言われなき批判は続いています。主イエスは偉大な 預言者、偉い人だと褒めちぎりながら、その背後には主イエスは神ではないと暗に主張する 批判がくり返し登場します。そのたびに、私たちは、教会の歴史の遺産である二つの公会議 に立ち帰ることが出来るのです。主イエスは、神であるから私たちを救う力を持つのです。 主イエスは人間であるから、十字架上で死なれたのです。今や批判に答える時代からこの信仰を誇りとして、賛美告白する伝道の時代を迎えているのです。
 私たちに与えられた信仰は、イエス・キリストが、十字架に架かる直前、人間イエスが神になったのではないということを理解しなければなりません。人間が神になったのではなく、 神が人になったのです。この順番は間違えてはなりません。重要です。どっちでも良いとは 決していえません。どんなに頑張っても人間が神になることはできません。そうではなく、 最も重要なことは、神が低きに降り人間になってくださり、神が自ら人間の罪を引き受けて くださった事実なのです。使徒信条の「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信 ず。」という信仰は、人となって下さったマコトの神に対する、賛美なのです。キリストを 巡る長い対立に終止符を打つことが出来た、喜びの告白なのです。主イエス・キリストの父なる神は、神のふところから主イエスを引き離したのです。讃美歌332番2節は、主イエ スは「父のもとをはなれて、わびしき世にすみたまえり」と賛美します。父にとって独り子 は、誰よりも愛する子です。喜びの源です。この父と子は、永遠より共にいて愛し愛されて きたのです。しかし、今や独り子が人となって派遣され、永遠なる愛の交わりは絶たれてし まったのです。主イエスが独り子であるとは、この神の愛の交わりが絶たれることなのです。 主イエスが人となった後も、この地上において主イエスは祈りの人でした。絶えず、神への 祈りを大切にしていました。そして、父なる神も主イエスと共に祈っておられたと思います。 この姿は、父のふところにおける交わりとは、違うのです。私たちが、「我はその独り子、 我らの主、イエス・キリストを信ず。」と告白することは、この神の愛の犠牲を無視して、 あたりまえであるかのような顔で告白することはできないのです。神は私たちのような愛す るに価しない罪人を救うために、最愛の独り子を犠牲にして遣わしてくださったのです。
 本日与えられた聖書の御言葉にあるように、神の御心が主イエスを通して明らかにされる のです。「16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵 みを受けた。17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通し て現れたからである。18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子で ある神、この方が神を示されたのである。」
  私たちは主イエス・キリストを神の独り子と信じる信仰によって、父なる神を知る事が出 来るのです。主イエスを通して独り子さえお与えになる神の愛を知る事が出来るのです。
 私たちは、この神の愛を忘れることなく、信仰を告白したいと思います。イエス・キリス トを通して、父なる神の愛に包まれていることを覚えたいと願います。

祈り 天の父なる神さま。あなたが教会にお与えくださった信仰告白を私たちが受け継ぐこ とを許されていますことを感謝いたします。時代を超えて人間の言葉によって批判されてき ましたが神の言葉が奇しきご計画によって与えられています。神の愛に裏打ちされた信仰告 白を喜び賛美する者としてください。主イエス・キリストの皆によって祈ります。アーメン

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