「天使の知らせ」
説教集
更新日:2025年12月20日
2025年12月21日(日)待降節第4主日 クリスマス礼拝 牧師 髙橋 潤
ルカによる福音書2章8~20節
8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
14 「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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主の年2025年、皆さんと共にクリスマス礼拝を守る幸いを感謝いたします。クリスマスという言葉は、クリスとマスの2つの言葉が一つになっています。「クリス」はキリスト、「マス」はミサ・礼拝という二つの言葉が一つになっています。すなわち、クリスマスは、この一言でキリスト礼拝という意味です。クリスマスは救い主を礼拝することです。クリスマスに礼拝をささげることこそ、私たちがクリスマスを過ごすのに最も相応しいことなのです。礼拝に集まる者は分け隔てなく、神の御前に共に主を讃美し祈り礼拝します。
私たちは宗教改革によって改革された礼拝を受け継いでいます。宗教改革は礼拝改革ということが出来ます。宗教改革によって、それ以前の礼拝から大きく変わりました。聖書の解き明かしである説教が礼拝の中心になりました。それまでのカトリック教会の中心は私たちの聖餐でした。宗教改革以降、プロテスタント教会は、神の言葉を聞くことが中心になりました。更には、礼拝に集まる会衆も聖書朗読を理解出来るようになりました。聖書の言葉がドイツ語、英語、フランス語、そして日本語へと翻訳され、母国語で聞くようになりました。宗教改革前のカトリック教会は、ラテン語で礼拝が行われていました。宗教改革者たちは、会衆が聞いて理解出来る言葉で礼拝を行うべきだと主張しました。その結果、世界各国の言葉に聖書が翻訳され、礼拝での讃美歌、祈りがそれぞれの国の言葉で行われるように変えられていきました。それまでのラテン語の礼拝とはまったくといって良いほど礼拝が変わったのです。ラテン語礼拝を知らない私たちにとっては、現在の母国語による礼拝が当たり前なのですが、聖書の内容を理解しながら、聖書の中に飛び込んでいくことが出来るように変わったのです。特に神を賛美する賛美が変わりました。聖職者が歌い上げる賛美を聞く礼拝から、会衆全員が一緒に歌う礼拝に変わりました。もう一つ大切な改革は、カトリック教会が七つの秘蹟という七つの聖礼典が宗教改革によって洗礼と聖餐の2つになったことです。
七つとは、洗礼、聖餐、堅信、告解、病者への塗油、叙階、婚姻を聖礼典としていました。しかし、宗教改革者たちは、この七つの中で聖書に根拠があるのは二つであることから、洗礼と聖餐の二つを聖礼典としました。宗教改革以降、プロテスタント教会の礼拝は、聖書に基づく説教と洗礼と聖餐を中心とする礼拝へ変わりました。
宗教改革者マルチン・ルターは、信徒は皆祭司であると教えました。祭司だけが神と人間の間に立つという構造を批判し、会衆も賛美や祈りに積極的に参加できるようになりました。宗教改革によって、プロテスタント教会の礼拝は聖職者中心の祭儀的な礼拝ではなく、聖職者と信徒が共に賛美し祈る礼拝に変わったのです。信徒が礼拝において大切な役割を果たし賛美、祈り、奉仕を担うようになったのです。
最初のクリスマス、主イエス・キリストの誕生は、神の使いである天使が夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いに知らされ、羊飼いが救い主を礼拝した出来事です。
「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
クリスマス、すなわちキリスト礼拝の中心は、天使の知らせによって私たちのための救い主がお生まれになったという御言葉です。私たちが、救い主の降誕によって救われるということはどういうことでしょうか。
聖書が語る救いとは、私たちが神さまとの正しい関係を回復することです。神さまに背中を向けて生きていた私たちが心も体も神さまの方に向けることです。神さまの声を聞こうとしなかった私たちが神の声に耳を傾けることです。神の声を聞こうとしないことや神さまを無視して、自分の事や人間のことしか思わない姿を罪といいます。罪人であった私たちが神さまと正しい関係を回復するのが礼拝です。聖書を通して私たちに知らされていることは、私たちが神に背を向ける罪人であったにもかかわらず、神さまが救い主を与えて人間を愛してくださったということです。幼子主イエスがこの地上に誕生したということは、神と人間の関係を修復するために神自ら人となって、私たちと神との関係を回復する道をお与えになったということです。救い主がお生まれになったということは、神が罪人を愛してくださる、神の愛の決断、神が罪人を愛するご意志をもって私たちを愛した出来事なのです。
神さまに愛された私たちはどのように応えたら良いのでしょうか。最初のクリスマスにおいて、羊の群れを番していた羊飼いは、キリストが生まれたベツレヘムへ行って救い主、主イエスにお会いするのです。この羊飼いが主イエスにお会いすることが神との関係を回復する出来事なのです。
羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
羊飼いたちは天使の知らせを聞いて、天使が話したとおりだったといって、「神をあがめ、賛美しながら帰って」いきました。神との関係を回復した者は、神を信じて神をほめたたえて歩くのです。羊飼いたちは神を賛美するように変えらました。さらには主イエスの誕生を「人々に知らせる」という伝道する者へと変えられました。天使の知らせを聞いた羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムに行こう。」と立ち上がり、神の導きのまま救い主と出会うのです。今日礼拝に集まって来た私たちも、御言葉によって救い主に出会い、その喜びを人々に知らせるようになるのです。このように救い主に出会う喜びは、神からの導きによって生きるように変えられるのです。
羊飼いは神に召され、神に押し出されて生きることになります。神によって与えられた召命、天職を与えられたといえるのではないでしょうか。クリスマスは神がこの地上に救い主をお与えくださり、救い主とともに生きる道として、救い主を宣べ伝える召命、天職を与えられるのです。クリスマスは神が私たちに天職を与えるのです。羊飼いたちは、神に召されて飼い葉桶の乳飲み子と出会ったことを語り始めました。羊飼いたちは天使が話してくれたことを人々に知らせました。羊飼いたちは、何度も何度もあの出来事を思い出しながら、神をあがめ、神を賛美しながら、羊飼いの仕事を天職として続けたのです。羊飼いたちにとって飼い葉桶の乳飲み子と出会ったことが、決定的な出来事になりました。救い主に出会う前と出会った後では決定的に違うのです。主イエスに出会った後の羊飼いは「神をあがめ」「神を賛美しながら」帰って行ったように、礼拝する羊飼いに変えられたのです。
クリスマスを通して私たちに与えられる伝道の使命をしっかりと受け止めたいと思います。宗教改革者ジャン・カルバンは、この天職を与えられることを神からの「召命」であると語りました。カルバンは教職だけが召命を与えられるのではなく、すべての者が「召命」を受けている語りました。神の召命はすべての職業、すべての働きに見出せます。どんな働きも神からの召しであると語りました。カルバンの時代は「聖職者が高い召命」と理解されていました。それ以外の仕事は、「俗人の仕事は低い」というように理解されていました。しかし、宗教改革者たちはこの区別を否定しました。宗教改革者たちは、農民、羊飼い、職人、商人、家庭内の仕事などどんな職業も神が与えた尊厳がある天職だと語り、すべての人が神に召されていることを伝えました。そのうえで、人は「自分に与えられた場」で神に仕えることが出来ると教えました。どんな立場であっても、どんな仕事でも、その立場、その仕事を通して、神への奉仕をすることが出来るのです。何と素晴らしいことでしょうか。召命を受けた者は、「神があなたを置かれた場所を受け入れ、そこに誠実に生きること」ができるということです。私たちには、家庭での役割があり、社会での職務があり、教会での奉仕や務めがあります。これらはすべては、バラバラではなく、神の秩序として、結びついているのです。
宗教改革者は召命をいただいて生きる者の3つの特徴を強調しました。第一は「勤勉さ」です。召命は「神が与えた務め」なので、どんな働きであっても神の栄光を現すたために勤勉に働くことをすすめました。反対に怠惰は神に対する不誠実とみなしました。第二は献身です。日常生活を通して、どんな仕事であっても、自分の利益のみを追い求めるのではなく、隣人愛の実践の場として献身的に働くことを奨励しました。第三に、宗教改革者は、職業について神への従順によって、隣人への奉仕、自己中心に陥らないこと、職業の選択も自由に選べるとすすめました。
御言葉によって私たちは羊飼いと同じように救い主と出会いました。私たち一人一人が神からの召命を受けて銀座教会からそれぞれの場へ出ていこうとしています。私たちの姿勢を勤勉、献身、従順によって整えて、歩みだしたいと願います。天使はこの救い主の降誕は民全体に与えられる大きな喜びであると語りました。神の恵みに応えて、喜びを伝える人生を歩み通したいいと願います。
祈り 天の父なる神さま。救い主を与えられ、御前に悔い改め、救いの恵みとして、召命を与えられたことを感謝いたします。神の恵みに応えて、今与えられている場において、勤勉に献身的に従順に生きたいと願います。あなたの憐れみを心より感謝いたします。キリストの御名によって祈ります。アーメン