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銀座の鐘

「真の知恵とは何か」

説教集

更新日:2026年01月10日

2026年1月11日(日)公現後第1主日 銀座教会 新島教会 主日礼拝(家庭礼拝)副牧師 川村 満

列王記上3章1~15節

1, ソロモン王について
主の年2026年を迎え、また今年も皆さんと御一緒に御言葉を分かち合う恵みに与る幸いを心から感謝いたします。本日わたしたちに与えられました御言葉は旧約聖書のソロモン王の生涯。その歩みを概観しつつ、ソロモンの祈りとそこで神によって与えられた知恵が指し示すものの意味について聞いていきたいと思います。
まずソロモン王の人生について考えていきたいのです。ダビデ王と、バト・シェバの間に生まれた子、ソロモン。彼の時代にイスラエルの繁栄は絶頂を迎え、ダビデが成し遂げることのできなかった素晴らしい神殿が建てられました。なぜ、ソロモンが祝福されたのか。それはダビデ王に与えられた祝福のゆえでありました。ダビデはイスラエルとユダを統治して王としての地位は不動のものとなり、神の箱がエルサレムに運び込まれたのちに、ナタンによって神の言葉が告げられました。サムエル記下7章11節以下でこのように語られております。
 「主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに固く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに固く据えられる。」このような大いなる約束をダビデにされました。これをダビデ契約と言います。この神とダビデとの間に交わされた契約はダビデの死後もソロモンに受け継がれたのです。神がダビデを愛し、契約を交わしたがゆえに、ソロモンを祝福してくださっている。だからソロモンはその契約に基づいて神に願いを告げるのです。

2, ある夜の祈り
 ある夜のことです。ソロモンの夢枕に主が立ってこのように語られました。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」これを聞いて皆さんはどう思われるでしょうか。もしも皆さんならこんなことを神様に言われたらどうしますか?なんでもかなえてあげよう、だなんて羨ましい限りです。わたしなどはやはり、自分のために健康とか不老長寿とか権力とか富を求めてしまうに違いありません。けれどもソロモンはこの主の言葉に対してこう言ったのです。「私は取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきか知りません。……どうかあなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」ソロモンは、王という地位に立てられたことの重圧と責任に苦しんでいたのかもしれません。自分は王の器としてはまだまだ未熟だ。だから、この国を治めるための知恵をどうかお与えください。正しく民を裁くための知恵をくださいと願ったのです。すると、主なる神はこのソロモンの願いをとても喜ばれたのです。そしてソロモンに言われました。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命を求めることもなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。」そして主はこうも言われました。「わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。」ソロモンはこの世の富や権力ではなく、何よりも神の民を導くことを願ったがゆえに、求めていた知恵以外にも、世の富や栄光をもお与えになったのです。この御言葉は主イエスがマタイによる福音書の山上の説教で語られた約束を思い起こします。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6章33節)神が喜ばれること。それは自分の栄光を求めることではなく、自分の欲望や野望を優先するのではなく、神と隣人のために。世の中のために私たちが何かを望むときには、主は喜んで私たちに賜物を下さるのだということです。それは主なる神こそがこの世界に神の国を建てていこうと計画しておられるからです。その神の御計画に。神の御心に沿って歩むとき、わたしたちは神に喜ばれ、この地上における神の御国の建設のために用いられていくのです。そのために、主は私たちに道を拓き、その道を導いてくださるのです。このあと、ソロモンはその知恵によって大岡裁判のもととなった物語。どちらが本当の母親かを、その二人の愛情の深さによって裁断するという名裁判を成し遂げます。この名声は国を越えて世界中に知られることとなり、シェバの女王が来訪するほどでありました。

3,ソロモンの繁栄と衰退
 しかしそのソロモンの栄華はいつまでも続くことはありませんでした。ソロモンはのちに、他国の女性を愛し、多くの妻と多くの側室を囲うこととなります。ソロモンは女性におぼれ、その結果、異教の偶像をイスラエルに置くこととなってしまいます。妻や側室が異教の信仰をもち、イスラエルの神への信仰はないがしろにされ、律法は守られなくなりました。結局、ソロモンはあれほどに祝福されて、素晴らしい知恵が与えられ、その繁栄は全世界に響き渡るほどであったのに、最後にはいったい救われたのか救われていないのかわからないような終わりを迎えました。しかし神はダビデとの契約のゆえに、ソロモンの存命中はその王国を分裂させませんでしたが、その息子のレハブアムの時代に、北イスラエルと南ユダに分裂してしまいます。あれほどの祝福が与えられていたソロモンであります。にもかかわらず、彼の死後すぐに衰退してしまったのはなぜでしょうか。そしてこのあと北イスラエルにも南ユダにも、不信仰な王、信仰に生きる王、さまざまな王がおりましたけれども、国が傾いていくのが戻ることはなく、やがて北イスラエルはアッシリアに。南ユダはバビロニアに滅ぼされてしまいます。

4, わたしたちは何を求めるか
 しかし、バビロン捕囚のあとも、神は憐みをもって残りの民を、故郷へと導いてくださいました。王国は滅びました。しかし神の民は存続したのです。さて終わりよければすべてよしとは行かなかったソロモンの人生であります。むしろ竜頭蛇尾という言葉が似合うソロモンであります。ソロモンは知恵を求めました。それは神の民を正しく裁くためでありました。しかし、真の知恵とは神を畏れることであります。コヘレトの言葉の12章13節にこのように語られます。「神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間の全て」また箴言1章7節ではこのように語られます。「主を畏れることは知恵の初め。」ソロモン王が、知恵の初めであり、人間の全てである主を畏れることを途中でやめてしまったのはなぜでしょうか。なぜソロモンはイスラエルに偶像を持ち込んでしまったのでしょうか。世の快楽を神の栄光よりも強く願ったからではないでしょうか。しかしこのソロモンの失敗に学ばなければなりません。本当の幸せとは何であるかということです。富と権力に溺れて、むさぼりの罪を犯し、全てを手に入れても、それは幸福ではないのです。もちろんソロモンが経験したような、富と権力と側室に囲まれる。そのような経験をすることはありません。しかし私たちは心の奥に、もっとほしい、もっと必要だという物質的な富のうちに幸せを求める心を捨てることはできていないのではないでしょうか。主イエスは言われました。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6章24節)ソロモンにとってそれは外国の女性でありましたが、神への思いから逸らしてしまうものは何であっても、偶像となりうるのであります。

5, 人間の真の幸福とは?
 そうであるならば、わたしたちが神様に願い求めるとき、単に知恵をくださいというだけでは何かが足りないのではないでしょうか。主を畏れる心を、生涯にわたってお与えてくださいと祈るべきではないでしょうか。世界史を少し学んだだけでもわかることがあります。それは、戦争を起こす政治家。権力者たちというのは皆非常に賢い人たちばかりであります。つまり知恵だけではだめなのです。神を畏れ、従う信仰こそが私たちを生かし、国を生かし、正しく導くのです。そのような信仰は神がお与えにならなければ私たちの内には起こりません。主よ、私にも主を畏れ敬う信仰をお与えくださいと祈って行きたいのです。

6, 私たちの知恵なる主イエス・キリスト
 さて、ソロモン王の知恵とその繁栄が象徴的に、私たちに示していることがあります。主イエスは知恵の主であり、イスラエルの繁栄とは神の国の栄光を表しているのです。しかしソロモンの知恵は、イスラエルを存続させることはできませんでした。そうであるならば、ソロモンを祝福しておりましたダビデ契約は途中で反故になってしまったのでしょうか。ソロモンの不信仰のゆえに祝福は途絶えてしまったのでしょうか。そうではないのです。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに固く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」この約束は、ソロモン王によって実現した約束を越えて、もっと霊的な、イスラエルの将来を導く約束へと向かいます。すなわち、永遠の御国の約束です。
 この約束は、たとえイスラエルがバビロン捕囚によって滅びて王国が途絶えてもなおずっと続いています。なぜなら神の救いというものは、地上的な繁栄や王国の確立ではなく、人間の地上での命を越える永遠の命。永遠なる神と共にある喜びであるからです。
 マタイによる福音書の1章にありますキリストの系図はアブラハムからダビデを通って、主イエスに至ります。救い主がダビデの子と呼ばれるのは、ダビデの子孫から救い主が生まれると預言されていたからです。そして、この主イエスの十字架と復活の福音を信じる者を、霊的な家として建ててくださる。地上におけるダビデの王国は廃れたとしても、ダビデと神との間に交わされた契約は今もなお続くのです。救い主イエス・キリストを信じて罪を贖われた者たちの群れ。わたしたち教会を通して、この契約は続いているのです。ソロモンは父ダビデのゆえに祝福されました。しかし、ダビデの名にはるかにまさる名においてわたしたちは祝福されております。だからわたしたちはいつも「イエス・キリストの御名によって」祈る者とされているのです。
 マタイによる福音書の12章41節以下で主イエスはこのように語られます。「南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと共に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たのである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」シェバの女王はソロモンの語る深い知恵に圧倒され、そこに神の栄光を見て驚きました。しかし、私たちは、主イエスの霊を注がれている。主イエスはソロモンよりもはるかにまさる方として、私たちを確かに救う力をお持ちです。
 コリントの信徒への手紙一の1章30節をお読みします。
「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです。」
 わたしたち銀座教会にも、この神の知恵が与えられています。この知恵に満ちていると言えます。ここに来れば、いつも神を知る知恵が語られる。神を畏れ、敬う霊に満たされているのです。私たちの心に注がれているのです。この恵みと祝福の中で、今年も、主の福音を聞き続けていきたいのです。そしてどのようなときにも、神の国と神の義を求めて、この地上に神の国を建てる、主のご計画のために私たち一人一人が豊かに用いられていきたいと願います。お祈りをいたします。

 天の父なる神様。神のまことの知恵である十字架の言葉を日々お与えくださり、神の国の民として歩む者とされている幸いを感謝いたします。主よわたしたちにあなたを畏れかしこむ心と忠誠をもってあなたを愛し仕える心を与えてください。この信仰を地上での最後の日に至るまで持ち続けることができますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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