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銀座の鐘

「人の子によって永遠の命を得る」

説教集

更新日:2020年04月26日

2020年4月19日(日)復活節第2主日 家庭礼拝   近藤勝彦協力牧師

ヨハネによる福音書3章14~16節

 復活節第二主日の礼拝を迎えました。ヨハネによる福音書によりますと、主イエスが十 字架におかかりになった後、弟子たちは、自分たちも殺されるのではないかとユダヤ人た ちを恐れ、家の中に閉じこもっていました。八日の後、そこには主の復活を信じることの できなかったトマスもおりましたが、復活の主イエスは彼に現われ、「信じない者ではな く、信じる者になりなさい」(ヨハネによる福音書20章27節)とおっしゃられたと言いま す。そして聖書は、「信じる者は命を得る」と伝えます。私たちも、新型コロナの感染拡 大の中で、命の大切さを感じながら、家に閉じこもるようにして復活節第二主日を迎えて います。今朝は、聖書の語る「主イエスを信じることによって命を得る」というメッセー ジを受け取りたいと思います。

 主イエスを信じることによって命を得るのは、主イエスが復活の主でいらっしゃるから ですが、また復活の主イエスが十字架におかかりになり、私たちのために罪の結果である 死を引き受けてくださったからでもあります。わたしたちのために十字架にかかられた主 イエスの復活を信じ、復活の主が今日も私たちのために十字架を負ってくださっているこ とを信じる。それが私たちを永遠の命に生かします。

 ヨハネによる福音書は、主イエス・キリストの十字架を「上げられる」と表現しました 。今、試練の中にある私たちに対し、主イエスは十字架に上げられ、復活した方として、 私たちを訪れ、私たちの中心に立ってくださいます。この上げられた主イエスを、ヨハネ による福音書は「モーセが荒れ野で蛇を上げられたように、人の子も上げられねばならな い」と記しました。「人の子」である主イエスは、モーセが荒れ野で高く上げた「蛇」の ように十字架に高く上げられ、そして甦られました。それは「信じる者が皆、人の子によ って永遠の命を得るためである」と言うのです。

 「モーセが荒れ野で蛇を上げた」とは、どういうことでしょうか。それは民数記に記さ れているエピソードから来ています。それによりますと、エジプトの圧迫の中から救い出 されたイスラエルの民は、荒れ野を導かれながら、しばしば神の恵みに不満を抱いたとい うのです。「なぜ我々をエジプトから導き上ったのか」という声が、荒れ野の40年の折り ごとに民の心に沸きました。そして不平が口にされました。エジプトにいた方がよかった というつぶやきです。今のこの惨めな状態を見てもらいたい。神を信じて何になる、とい う反抗がその言葉に透けて見えます。神をあなどると言ってよいでしょう。救いの恵みを 忘れた状態です。私たち自身にもそういう姿はないでしょうか。そのとき、主なる神は「 炎の蛇」を民に向かって送り、蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た と記されています。荒れ野を旅する中でのこのエピソードは、民数記21章に記されていま す。蛇はあたかもウイルスの感染拡大のように民の中に死の恐怖を与えました。人々はモ ーセに向かって、主への執り成しを求め、蛇を取り除いてくれるように求めました。「民 はモーセのもとに来て、言った。『わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました 。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください』」。そのとき、主なる神は民の ために祈るモーセに応えて言われたというのです。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に 掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る」(民数記21章8節)。モーセはそ こで、青銅で「炎のような蛇」を造り、それを旗竿の先に掲げました。すると「蛇が人を かんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」と聖書は伝えます。

 話は何か迷信的、魔術的な話に見えて、聖書の出来事というよりは古代の呪術的宗教の 話のように思われます。しかしイスラエルの民が、この話から自分たちが救いにあずかり ながら、いかに感謝を忘れた忘恩の民であるかを示されたことは明らかです。そしてそれ にもかかわらず、主なる神がどんなときにも民の救助のために備えてくださっていること を知らされたことも明らかです。神は民の犯した罪を赦しただけでなく、その罪の結果生 じた禍からも、解き放ってくださいました。私たちが、与えられた人生に不満を感じ、神 に不平を言うとき、感謝を忘れて神をあなどるとき、それにもかかわらず、神は救いを与 える神でいらし、癒しを行う神でいらっしゃいます。神の恵みの御意志に信頼することが できますし、信頼しなければなりません。神の恵みの御意志に信頼すると共に感謝し、そ れによって満ち足りる信仰が求められています。あなたは神の救いに感謝しているか、恵 みに満ち足りているか、荒れ野の蛇の物語はそう問うています。

 この物語が、ヨハネによる福音書のメッセージの背後にありました。十字架にキリスト が上げられ、復活なさったのは、「主を信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るた め」です。「永遠の命を得る」というのは、罪の赦しにあずかることですが、さらに罪の 結果である死の禍から解き放たれ、そして恵みの命にあずかることです。そのようにして 主を信じる者が永遠の命を得る。そのために主イエスは十字架に上げられ、そして復活な さったのです。そこに主イエス・キリストの愛が示されると共に、御子を十字架に渡され た父なる神の愛が示されています。「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛され た。それは、独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」と聖書が言う とおりです。キリスト教信仰はイエス・キリストによる命の信仰です。信じる者は神の愛 によって永遠の命を得るからです。
 
主イエスは復活された方として、あの日、弟子たちを訪れました。同じ様に、今日、私 たちを訪れてくださいます。そして主を復活させた神の霊、命の霊を注いでくださいます 。私たちが今日も父なる神を信じ、「父よ」と祈るのは、命の霊である聖霊を注がれてい るからです。こうして神の独り子である主イエス・キリストを信じる者は、父である神と 御子キリストとの愛の交わりの中に、聖霊によって入れられています。そこに永遠の命が あります。神の愛の交わりは命の交わりです。あなたは、それを感謝していますか。その 恵みでは足りないと理解なく不平を言うのが不信仰で、感謝して恵みの深さに生きるのが 信仰です。

 今年の復活節は、新型コロナウイルスの感染拡大の中で過ごされています。全人類が死 の不安の中にいます。その中にあって、私たちのために十字架にかかられた主イエス・キ リストは、復活された方として、家に閉じこもっている私たちのもとに来られ、私たちの 中心に立ってくださいます。死の囲みの中で、私たちは人の子を仰ぎます。「蛇が人をか んでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」と旧約聖書は伝え、人の子が上げられた のは「信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」とヨハネによる福音書 は語ります。復活された十字架の主イエス・キリストを仰ぎ信じること、それが今、なす べきことでしょう。主を信じる者は、永遠の命を得るからです。主を信じて、神の愛の交 わりに加えられるとき、神の永遠の命にあずかります。人の子によって永遠の命を得る。 それを感謝するのが、復活信仰です。お祈りいたしましょう。

〔祈祷〕
 天の父なる神様、御子イエス・キリストの復活を覚え、今日の礼拝を感謝いた します。私たちのために十字架にかかられた主イエスが、復活の主として今日私たちを訪 れ、私たちの真ん中に立ってくださることを感謝します。あなたと御子の愛の交わりにあ ずかり、永遠の命に生きる幸いを感謝します。主の体である教会が、世界各地にあってあ なたの御栄光のために仕えることができますように導いてください。新型コロナと戦って いる医師たち、各地域の指導者たちの上に、あなたの憐みと導きを与えてください。銀座 教会の兄弟姉妹が今日も主にあって、一つの霊で結ばれ、一つの信仰に生きることができ ますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。