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銀座の鐘

「主を喜び祝うことこそあなたたちの力の源である」

説教集

更新日:2020年03月28日

2020年1月5日 降誕後第2主日  主日礼拝・主日第二礼拝説教  髙橋 潤牧師

ネヘミヤ記8章1章~12節、ヨハネによる福音書4章1章~26節

主の年2020年、神さまとあなたと共に迎えた恵みを感謝いたします。

 旧約聖書の時代、イスラエル王国は、南北に分裂し、南ユダ王国と北イスラエル王国は、それぞれ、滅びてしまいました。北イスラエルは、バビロニア帝国によって滅ぼされ、イスラエルの民は、バビロニアに捕囚民として連行されてしまいました。そのバビロニア帝国の衰退後、ペルシャ王国が新しい支配者になりました。バビロニアの捕囚から世代交代するほどの時を経て、捕囚民として連れて行かれた民の中から、エズラとネヘミヤがペルシャ王国の官僚として、祖国イスラエルに派遣されました。
 冒頭の聖句は、愛する祖国の再興を使命として託されたネヘミヤとエズラがイスラエルの神の民に語りかけた言葉です。この言葉は、神の計画によって与えられた言葉です。

 「神は助ける」を意味する「エズラ」という名を与えられた彼は、大祭司アロンの子孫で、律法学者として指導的な立場にありました。バビロン捕囚から帰還した指導者です。エズラ記7章12節に「天にいます神の律法の書記官」とは、エズラのペルシャ政府での正式な官職名です。彼はペルシャ王によるエルサレム帰還の許可書を携えて、約1750人を連れてきたと聖書に記されています。エズラの任務は、帰還した者たちを中心に礼拝の再建を行うことです。エズラ着任時、民全体の信仰は、堕落の一途をたどっていました。エズラはこのような状態を見て、礼拝を整え、神の民の心を主に向けようとしたのです。彼は最初に人々に律法を教え、異教徒との結婚を禁じました。後年ユダヤ教が、書かれた律法を中心に展開していったのも、エズラの改革に端を発していたと考えることができます。エズラは学校教育の校則同様、神の民の礼拝を整える教育的指導として律法を強いたのだと思います。
 「ヤーウェは慰めた」という意味の名を与えられたネヘミヤは、捕囚民の一人で、後にエルサレムの総督になります。ネヘミヤは、ペルシャ王の献酌官でした。献酌官とは王様の毒味係、王様の命を守るために王のそばに仕えていました。官僚の中でも特権的地位であり、王の最も近くで仕える宦官であったと思われます。彼はエルサレムの荒廃した様子と民の悲惨な状態について知り、王に願い、帰国の許可を得る際、総督に任命されました。帰国後、他国人による執拗な妨害にもかかわらず、ユダヤ人と協力してわずか52日間で城壁を再建しました。彼はエズラと共に、城壁再建完成時、エズラに律法を朗読するように求め、神の律法に従って歩むことを誓約しました。12年間総督としての任務を果たしました。工事の一時中止を余儀なくされるほどの妨害を受けながら、12年間の間、彼は貧しいユダヤ人のことを考えて総督としての手当を受けず、かえって自費で多くの人々を養いました。これは彼が神を畏れる者であったからです。

 二人の紹介をしましたが、ネヘミヤもエズラもどちらも支配国であるペルシャ王国の高級官僚だという事です。エズラもネヘミヤも自発的に先祖の祖国に帰ったのではなく、ペルシャ政府の大使として派遣されたことが、二人の希望していた先祖の祖国イスラエルだったということです。そのような人がユダヤ教の基礎を作ったということに神のご計画の時と大きさを思わされます。
 どうしてペルシャ帝国がエルサレムに関心をもったかというと、大国エジプトとの国境だからです。国境地帯の平和と安定が重要なのです。ペルシャ帝国は、イスラエルの神を信仰していたのではなく、国境の安定のために、宗教施設をつくることによって国益を計ったということです。しかし、そのようなペルシャ帝国による神を利用するような政策によって、エルサレムに城壁をつくり、エルサレムの負債を免除し政治的安定を図っていったのです。ネヘミヤの活動は少なくともペルシャから見れば宗教的な活動ではなく政治的活動だったのです。そのような政策を先祖の祖国であり、外国でもあったエルサレムでエズラはモーセの律法を朗読しました。この律法の書はバビロニアからもってきたものです。そして、ペルシャの許可の下、律法による統治を任され、職務を進めました。同時にエルサレムの信仰から見るならば、ペルシャの後ろ盾によって、瀕死状態だったエルサレムの信仰に新しい息吹が与えられる結果となりました。夜明けから正午まで律法を朗読し、それを聞いた人々が声を上げて泣いたのです。これがエズラによる律法の朗読でありユダヤ教の成立になりました。
9章には罪の告白をする祈りがあります。とても美しい祈りです。救いの歴史を祈ります。10章には、律法、罪の告白に続き、契約を結びます。印を押して契約を結びました。その契約の中に、異民族と結婚しないしさせないという内容が入ってきました。変な形の共同体、民族意識を強調する共同体形成に繋がっていきました。律法を守ることを優先する律法共同体としてのユダヤ教になってしまいました。

 これは、人間の知恵の限界かもしれません。真剣な努力をして命がけで律法を守ろうとし、自力で自己救済を求め続けました。神の愛の約束ではなく、自分の力と努力で自分を救えると思い込んでしまいました。律法を守れば救われると律法を優先する思想に固執して生きるようになりました。神を礼拝することよりも律法が上になっていってしまいました。
 
この律法主義に対して正面から立ち向かい、本来の礼拝を回復しようとしたのが、主イエス・キリストです。主イエスはヨハネによる福音書4章において、ユダヤ人と対立していたサマリアの女性を礼拝に招きました。
「22 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
 主イエスはユダヤからガリラヤへ行く途上、サマリアの町シカルを通り、ヤコブの井戸に立ち寄りました。旅に疲れた主イエスは、正午頃、井戸のそばに座っていました。そこに、サマリアの女が水をくみに来たのです。主イエスの方からサマリアの女に「水を飲ませてください」と言われます。サマリアの女は「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」といいます。ここから、主イエスとの対話が続き、サマリアの女は主イエスに心を向けていきます。

主イエスは、彼女に語ります。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
サマリアの女は答えます。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」主イエスは彼女が礼拝するために最も大切な心を向けるお方が誰なのかを明確にするために核心に迫ります。「イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、17 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。18あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」19 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」彼女は、夫にかかる問題で今や人目を避けて水を汲む生活を余儀なくされていました。主イエスは真の神を礼拝する者へと導いてくださるのです。

 私たちは、良い行いによって救われるのではなく、真の礼拝によって救いに与るのです。律法を守ることだけでは救われないのです。自分の力で自分を救うことはできないことを弁え知らなければなりません。神の救いの約束よりも律法を上にしてはならないのです。イスラエルの神の民は、ネヘミヤ記8章9節に記されているように、「今日は聖なる日だ」という礼拝を整えることに心を一つにしたのです。礼拝を整えることこそ、私たちの救いであり、人生の危機への最大の備えです。私たちの身も心も神へ向けるのです。
 聖なる日は、「備えのない者にはそれを分け与えてやりなさい」とあるように、礼拝共同体は、助け合うことによって神への喜びを表現します。「備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである」とあるように、教えられたことを理解した者は、神の御前で分かち合いの喜びを実践し経験するのです。
 私たちは礼拝を整えることによって、神さまの御前に立つ者とされます。神の御前で神の御支配を繰り返し心に刻みます。この礼拝に与ることが私たちの力の源になるのです。私たちは一人の信仰者として礼拝を捧げ、自らを律する力をいただきます。礼拝を通して神の家族のために祈る力をいただきます。礼拝を通して、神さまの御支配を喜び祝う力を養われるのです。

 主の年、2020年、「主を喜び祝う」礼拝によって神さまがお与えくださる力を与えられて、教会生活を導かれましょう。
 

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