銀座教会
GINZA CHURCH

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銀座の鐘

「素晴らしい世界」

説教集

更新日:2025年05月10日

2025年5月11日(日)復活節第4主日 銀座教会 新島教会 主日礼拝(家庭礼拝) 副牧師 川村 満

創世記1章24~2章3節

 先日、ユーチューブを見ていたのですけれども、ユーチューブって本当にいろいろな動画がありますね。個人がやっている動画だけでなくて、ドキュメンタリーとか、さまざまな形で配信されています。その中で、電車に飛び込んで大けがをしたけれども、一命をとりとめた女の子が、自殺したくなった経緯を話しているんですね。なぜその子は電車に飛び込んだかというと、御両親の夫婦仲が悪かったようです。お父さんから、お母さんの愚痴を聞いて、お父さんからお母さんの愚痴を聞いているうちに、自分がこの両親から生まれた意味がわからなくなってどんどん辛くなって、死にたくなったのだそうです。鬱病を発症して、学校も辛くなったのに、学校の先生に相談しても全然受け止めてくれずに、自分の居場所がなくなった。そこでもう死ぬしかないと思ったんです。でも、両足を切断する大けがをしたけれども、死なずに済んだ。そのことを本当に後悔しているけれども、今は生きたいと思う。事故のときにお父さんとお母さんがかけつけてくれたとき、心配してくれる人がいるんだと思ったというのです。この子が語っていたことで印象的な言葉があります。生きる意味がわからなかったと。この世界に生きる意味が分からないということはとても辛いことなのだと。彼女とは違う悩みであっても、さまざまな理由で、生きる意味を見失ってしまうことが、若い時分にはあるのではないでしょうか。若い時だけではありません。何歳になったとしても、自分がこの世に生きる意味というものがわからなくなってしまったとき、自暴自棄になって自分を傷つけるようなことをするか。絶望して死んでしまうか。そういう思いになってしまう危険は誰にでも実はあるのではないかと思うんですね。世の中にはいろんな辛い事情。いろんな形のストレスがあります。それでも、人生は良いものだ。この世界は素晴らしいと言える根拠があると思いますか?戦争とか憎しみや差別や貧困など、いろんな問題が渦巻いているような世界だけれども、それでも生きることに意味があると言えるなら、それは何だと思いますか?人間は確かに罪深いです。けれども、それでも人間を信じたい。信じるべきだというなら、その根拠があるとするならばそれはなんだと思いますか?
 まさに、そこで聖書はわたしたちに語る言葉を持っています。このような問いに答えることができるのは聖書だけであると思います。なぜなら、聖書は神様が、人間に御自身を現わされた言葉だからです。
 今日与えられた御言葉は、旧約聖書の創世記という一番初めにかかれている物語です。今日、読む御言葉にはたくさんのことが語られています。詳しく語ろうとするなら何時間もかかるくらいです。ですから、少し要点をかいつまんでお伝えしますと、この世界。全宇宙に至るまでの森羅万象は、神がお造りになられたということです。何のためか。実は、わたしたち人間のためなのです。もう少し詳しく言うと、神様の本質は、愛であると言われます。その愛の交わりの中に、人間を招き入れたいと願い、お造りになられたのです。神様はまず「光あれ」と言われ、光が創造されます。そして、光を見て、良しとされます。そして、大空を造り、水を分け、地を造られました。そして順々に、地上の大自然や、動物をお造りになりました。一週間かけてお造りになりました。そのようなことは進化論からくる常識一般とはかけ離れているから、聖書の話なんてナンセンスだ。そう思う人がもしいるならば、先に応えておきます。わたしたち教会は、進化論など、科学的にわかってきたこと。天文学なども、決して否定していません。けれども、聖書が語っていることが嘘なのかというとそうではないのです。そもそも科学と、聖書を対決させる必要などはないのです。科学は物理的な現象。造られた世界の成り立ちを問題にしているのに対して、聖書や信仰の世界は、そもそも論としてなぜ、この世界が存在するかについて語っているからです。つまり、もっと大きな真理について語っているのです。その問題について科学は決して答えられないのです。聖書は、わたしたちが生きる意味。どこからきてどこに行くのかという問いに答えることができるのです。
 まず、第一に、聖書は三千年以上前に、その時代の人たちのもっていた常識の中で書かれた書物です。聖書は神の言葉であると言われます。それは、神様が人間に、霊性。インスピレーションを与えて、語らせた言葉です。神の言葉でありますが、同時に人間の書いた言葉です。だから、世界の始まりというのは、神話のかたちで語られています。でも、聖書は、確かな真理でもあります。真実が語られています。この世界は神様によって創造されたということ。その神は多神教の神々ではなくて、まことの、お一人の神様であること。その神が、お造りになった世界を良しとしておられる。きわめて良いもの。素晴らしい世界だと心から喜び愛し、祝福してくださっているということ。世の中には日本書紀とか古事記とか。外国にもギリシャ神話やメソポタミア神話などありますけれども、創世記とは全然違います。似ているところもありますが、本質的に違うところがある。それは、神様がこの世界をお造りになり、祝福してくださっているということ。そしてその被造物の中心。また頭として。一番優れたものとして人間をお造りになったということです。そのことをはっきり伝えているのは聖書だけなのですね。人間が、他の動物。サルや犬などと違うのか。同じ命だけれども、決定的に違うものとして造ってくださったのです。それが今日の箇所に語られます。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」ということです。神様にかたどって人間は造られたとあります。それは神様の本質を受け継いでいるということです。神のかたち。ラテン語でイマゴ・デイといいます。 (イメージという言葉の語源ですね。)神様の本質とは何でしょうか。いろいろとありますけれども、一番大切なのは、愛と義です。神様は愛に満ちた方であり、愛によって交わりを持とうとしておられる。そして、正しい方です。正しさそのものです。ですから正しくないこと。嘘。偽り、悪を許すことができず、必ず裁かれる方です。これらすべてを人間であるわたしたちはその心に持っているとは思いませんか?世の中の、人殺しとか詐欺など、悪いニュースを聞いていると不愉快になります。悪人が、正しく裁かれることを心から願う。これは神のかたち。神の本質をわたしたちが持っているということですね。わたしたちは誰かと心が通じ合ったとき、嬉しいですよね。両親から愛されているとわかっていると安心しますよね。とてもかわいい赤ちゃんが電車の中で微笑みかけてくれたら、他人の赤ちゃんでもかわいいなあと思いますよね。こういう愛情は神のかたちをわたしたちが宿しているってことです。そして栄光です。希望です。わたしたちが将来に対して、成長して、こういう職業に就きたい。自分の力を試して、世界で活躍したい。この社会で役に立ちたい。自分の持っている力を試して、自己実現したいと思う。それは神様の栄光をこいねがっているのです。これも神のかたちです。美しい音楽のメロディーを聞いて感動すること。素晴らしい大自然を見て、感動すること。きれいな女の子やカッコいい男の子を見て、好きになったり、恋愛をあこがれること。そこにも、神のかたちの表れが確かにあります。そういう心のときめきや、美しいものを美しいと感じる心の奥に、わたしたちは神のかたちを宿している。そして実は、わたしたちはみなそのようにして神の栄光を心から恋い慕っているのです。それが、わたしたち人間が、他の被造物よりも優れた存在であるという根拠です。そしてそのような神のかたちの一番大切なことは、愛であり義であり、栄光そのものであられる神様との交わりに生きるもの。神の愛に応答するものであるということ。それが、人間の、他の被造物と決定的に違うところです。人間の命が、なぜ尊いの?なぜ殺しちゃダメなの?と問う人がいたなら、こう答えることができるでしょう。神のかたちを宿しているから。だから人間の命は尊いんですよ。それが人間の尊厳の根拠なんですよと。
 でも、そうであるならば、神様が、わたしたち人間を、御自身に応答する存在。神様との交わりに生きる素晴らしい存在に造ってくださったにもかかわらず、その神様を認めず、信じないで、自分だけで完結して自分だけで生きているならば、それは全く神様の御心に適う者ではないとは思いませんか。そして聖書が語る罪とは、つまり人間の、神様に応答し、神様を愛し返す本来のあり方から離れてしまった状態を指しているのですね。だからわたしたちは聖書が伝えている罪から逃れている人はどこにもいないのです。みんな自分に栄光を帰して、自分ばっかりになっているからです。
 さきほど、説教の冒頭で伝えました、生きる意味がわからなくて辛いという女の子。自殺未遂をした女の子の話をしました。愛されている実感によって生きる意味を取り戻せた。人間は、どうしても、人間に傷つくものですが、しかし人間との愛による交わりによってしか、生きる意味がわからず、人間らしくなれないということがわかります。でも、その人間らしさの根拠。本当に、わたしがわたしであるために。そしてこれからのわたしをもっと喜びをもって受け入れていくためには、神様こそが、あなたを愛しているんだよ。神様があなたを本当に尊い存在。かけがえのない存在としてお造りになったんだよ。ここに、私たちの生きる意味と喜びがあります。
 神様は、皆さんを心から愛しています。なぜそう言えるのか。神様が、御自身のことを本当にわかってもらうために、わざわざ人間になってこの地上に生まれてきてくださった。それが、イエス・キリストという方です。この方の語る御言葉。このイエス様の十字架と復活が、わたしが本当に神様を信じて、神様との交わりに生かされるものとなるためなんだってことを信じていくことによってです。この世の中には、いろんな教えや高尚な哲学もあります。でも、神様なしに、自分の存在の意味を理解しようとしても、それはどうしてもむなしいものになってしまいます。わたしたちが、この世界をお造りになった神様を賛美し、神様の御言葉を聞き、礼拝をささげていくということは、実は人間にとって一番自然で、当たり前のことを、始めているのです。神のかたちを与えられたわたしたちが、神様との交わりに生きていく。神様を喜び、この世界を、本当に素晴らしい世界だと、信仰の目で見つめていくとき。そして神の御支配が世の中の悪や不正の中に、正しく行きわたりますようにと祈って行くとき、わたしたちは確かに、神様の愛を受けて応答し、神様に御栄光を現わしているんです。もうこの地上において、天国の天使と同じ生き方をしているんです。お祈りをいたします。

 天の父なる神様。この世界を創造されたあなたの御業は今も続きます。わたしたちが、あなたの愛を受けて、あなたを信じて、讃美し、祈り、そうすることによって新しい人となることができますように。神様が今日も私たちを愛し、わたしたちの生活を祝福してくださっていることを感謝します。あなたの栄光を現わす一週間となりますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン