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銀座の鐘

「洪水の中を生きたノア」

説教集

更新日:2025年06月21日

2025年6月22日(日)聖霊降臨後第2主日 銀座教会・新島教会 家庭礼拝 牧師 髙橋 潤

創世記 7章1~10節

 神は天と地を創造されました。創造の冠として人間を創造されました。そして、地上に人が増え始め、地上に人の悪が増してきました。その様子を見て、主なる神は地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められました。神が心を痛めたことは創世記 6 章に記されています。しかし、6章8節に記されているように「しかし、ノアは主の好意を得た。」と記されているように、悪が増してきている地上にノアがいました。神はノアに目を留めてくださいました。ノアは神に従う無垢な人でした。ノアは神と共に歩みました。
  神が造られた世界が、神の前で「堕落し、不法に満ちて」いました。神は「すべて肉なるものを終わらせる時」が来たと告げました。そして、ノアには「ゴフェルの木の箱船を造りなさい」と命じました。ノアは堕落し、不法に満ちている地において、神が命じられた通り、箱船を造りました。それがノアの箱船です。ノアは家族や動物とともに神が命じられるままに箱船に入りました。そして 7 章 16 節に記されているように「主はノアの後ろで戸を閉ざされ」ました。神が外から箱舟の戸を閉めたのでしょうか。この後、40 日間に亘る洪水が地上を襲いました。
 創世記が描く世界は、天と地の水があふれる混沌とした世界でした。1 章 6 節「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」と記されていることから理解できます。その混沌とした天地に対して創造主なる神は命じ、天の上と天の下の水を分けました。大空が創造されました。天の下の水は一つに集められ乾いたところを地と呼び、水の集まったところを海と呼びました。天と地の水が分けられていなかった混沌の世界に、神は秩序を与えて、水を天と地に分けたのです。海の水も天の水も神の言葉によってうまく調節されていました。
 しかし、ノアの洪水は、この神の天地の創造が創造前の混沌とした世界に戻ってしまった出来事なのです。それが、7 章 11 節「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」のです。すなわち、ノアの洪水とは、神がお造りになった天地創造の世界を神が混沌とした天地に戻した出来事なのです。そして、洪水を通して、神はもう一度再創造される、神の天地創造の御業として受け止める出来事なのです。
 神のこの再創造の目的は何でしょうか。神の再創造の目的は、神が洪水によって人間の堕落、不法、人間の罪を滅ぼそうとする御業です。神が人間の罪に心を痛め、罪を問題にし、罪と戦う物語なのです。神の天地創造の御業は、神が「地上の堕落と不法」そして、人間の罪と戦う決意の中で起こった出来事といえると思います。それがノアの洪水物語です。ですからノアの洪水は、人間の堕落と不法、悪い人間を見て神が心を痛めたことであり、再び混沌とした天地の再創造をはじめ、神がノアを愛する愛の物語なのです。
 何か作品を作る人が、繰り返し経験するのは作り直しです。陶器の器を作る陶工が、せっかく形成した土のうちわをつぶし、また一から作り直す光景を見ることがあります。服を作る人、毛糸を編む人、ある段階で、もう一度、一から作り直すことがあります。神は、神が作った人間を愛しました。愛するということは自由を与えることです。神に愛された人間が神の愛に応えることもあれば、神に背を向け、神から与えられた自由で、神から離れ、神に敵対するそうした自由も与えられているのです。
 私たちが子ども愛して育てます。しかし、必ずしも子どもは親の思う通りに成長するわけではありません。神が愛して天地を創造されたのですが、神の愛に反する人間の堕落、人間の不法は広がっていくのです。しかし、神は人間を愛することをやめないのです。神は最後まで愛することを貫いてくださいます。そして人間の堕落と戦い続けてくださるのです。神の独り子主イエス・キリストを与えるほど、神は人間を愛する道を繰り返し示し、神の創造の御業を通して神の愛を貫き通すのです。神の愛の物語として、ノアの洪水を読みたいとと思います。ノアの洪水を通して、古代の世界にも異常気象による大雨があったと合理的な説明を試みることもあるようです。しかし、聖書が見つめいている問題は、異常気象ではなく、人間の堕落、人間の罪、人間が神に背を向けて歩き続けとぃることです。
 新約聖書には、ノアの箱舟について幾つかの文書に記されています。新約聖書が旧約聖書のノアの箱舟物語をどのように読んでいるのか、三箇所の御言葉を読んでみたいと思い
ます。

 ヘブライ人への手紙11章7節「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。」
 ヘブライ人への手紙は、ノアの洪水物語を「信仰」という言葉を通して理解しています。ノアは堕落と不法の世界にあって、信仰によって神のお告げを受け、家族を救うため箱舟を作り、信仰によって神の義を受け継ぐ者となりました。

  ペトロの手紙一3章20節以下「20 この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。21 この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。
  ペトロの手紙はノアの洪水物語を「洗礼」として理解しました。神の洪水を通して、救われたことに注目し、ノアの洪水と洗礼を重ねて受け止めています。そして、洗礼とは、「神に正しい良心を願い求める」事であると教えています。

 三つ目に主イエス・キリストがノアを通して神の国について語っているルカによる福音書を読みます。
 ルカによる福音書17章「20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 と神の国について主イエスがお語りになったあと、「人の子」すなわち主イエスが再臨することを伝えるとき、ノアの時代の出来事を主イエスが受ける苦しみとして再び起こると教ています。
 24節以下「24 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。25 しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。26 ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。27 ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。」
 ルカによる福音書17章では、主イエスが神の国はあなた方の間にあるとお語りになり、ノアの時代のようなことが主イエスの再臨の時に起こると伝えています。
 新約聖書を通して私たちに知らされていることは、ノアの箱船は洗礼と信仰を通してその時代を生きる教会であることです。そして神の審きは、主イエスが引き受けてくださった十字架の苦しみとして理解することが出来ます。私たちが現代のノアの洪水をいたずらに恐れるのではなく、主イエスが私たちの身代わりとなって神の審きを引き受けてくださるという救いの出来事なのです。

 現在のキリストの教会は、主イエス・キリストの再臨を待ち望んでいます。いつその日が来るか分かりません。しかし、いつ主イエスが再び来られてもよいように備えているのが教会です。その備えこそが、教会において与えられる洗礼であり、信仰です。
 天地万物を創造された神が、人の堕落と不法ゆえに心痛め、洪水によって再創造をされたように、主イエス・キリストは、人間の罪と堕落を見つめ、私たち罪人を滅ぼすのではなく、私たちの身代わりとなって、一切の神の審き、苦しみを引き受けてくださり、御苦しみの中で十字架という極刑を引き受けてくださったのです。
 主イエス・キリストは、十字架において、私たちの罪と戦ってくださったのです。そして、復活のお姿を通して、罪に勝利したお姿を現してくださったのです。

 ヘブライ人への手紙によって示されているように、洪水に襲われることなど到底考えられない山の上で箱船をコツコツと作ったように、信仰をもって箱船を造るのが信仰生活です。神の審きと救いの御業を同時に見つめつつ、神を信じる信仰生活をおくるのです。
 ペトロの手紙が迫害の時代に読まれたように、この世の荒波の中で、洗礼を通して救われること、神に正しい良心を願い求めたいと思います。

 私たちは洪水の中で生きていとも言えると思います。洪水を回避することはできません。この地上の堕落と不法の中、ノアの時代のように混沌の中で生きなければなりません。しかし、神は洪水の中で生きるために箱船を用意するように言われ、そこから一筋の光が与えられました。
 洪水の中、神と共に生きる道が備えられているのです。洪水は試練であり苦難の水です。洪水は私たちの力では太刀打ちできない力をもって襲いかかってきます。人間の限界を超える圧倒的な力で猛威を振るいます。しかし、神は私たちに箱船を造らせ、箱船の中で試練をくぐって、試練の中で生きるのです。
 今年の三月末隠退された元松山番町教会牧師小島誠志先生は「洪水を生きる」という説教を語りました。その中で、小島牧師は洪水の中で箱船はうかぶ、水があふれればあふれるほど高く浮かぶのだと語ります。試練の中で高められると語り、「洪水の背後には、神のご意志がある、だから、私たちは洪水の中で礼拝し、神に祈りながら生きるのです。それ以外にこの洪水を超えて生きる道はありません。」と語られました。その通りではないでしょうか。私たちを襲う洪水の中で、教会という箱船を通して神の御力によって、信じて生きる道が備えられているのです。

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