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銀座の鐘

ニネベを救う神の心

説教集

更新日:2026年03月03日

2026年3月1日(日)受難節第2主日 銀座教会・新島教会主日礼拝 牧師 髙橋 潤

ヨナ書2章1~11節

本日与えられたヨナ書は、旧約聖書の中でも12小預言書の一つですが他の11の小預言書とはかなり異なっています。11小預言書は言葉に関心をもっていますがヨナ書ではヨナの行いに関心が向けられています。ヨナ書には預言者ヨナが語ったであろう言葉はほとんど記されていません。ヨナ書において大切なことは、ヨナの行動です。神のご命令に背き、逃亡するヨナ、自暴自棄になって開き直るヨナ、他の民族に寛容な神を理解できず怒りを隠さないヨナです。本日の御言葉では、魚の腹の中で祈るヨナです。このようなを預言者ヨナの行動を伝える物語がヨナ書です。
 ヨナ書は紀元前800年から750年頃の出来事だと推測されています。この物語で重要な役割を果たしているのはニネベという町です。ニネベはアッシリア帝国の首都です。ニネベは首都であるだけでなく、軍事的な要所であり、文明の中心だったと伝えられています。聖書の神は、イスラエルを脅かすアッシリアの大都市の人々を救うために預言者ヨナをニネベに派遣すると命じたのです。
神はどのような目的で、こともあろうにアッシリア帝国に預言者ヨナを派遣しようと考えたのでしょうか。神の御心は、ニネベの人々に神のみ前に悔い改めるように伝えるためでした。そのためにヨナはニネベに行って神の言葉を伝えるように命じられたのです。神はニネベの人々が神の言葉を聞いて、悔い改めなければならないとお考えになったのです。しかし、ヨナは預言者でありながらもニネベにだけは行きたくありませんでした。いくら神のご命令でもこの命令にはどうしても従うことが出来ませんでした。ヨナは神のご命令に背いてニネベの反対方向へと逃亡することにしました。そのために乗船した船は、なんと嵐に巻き込まれてしまいました。船の中でくじを引くと、ヨナが神に背いたことが嵐の原因であることが明らかになってしまいました。ヨナのせいで嵐に巻き込まれたのです。嵐を鎮めるためにヨナはヨナ自身を海に放り込むように言います。乗船者を巻き添えにしないために人々はヨナを荒れ狂った海の中へ放り込みました。すると、荒れ狂った海は静まりました。人々は大いに主なる神を畏れ、誓いを立てました。ここまでがヨナ書1章に記されています。
 本日読みましたヨナ書2章には、海に放り込まれた預言者ヨナの行動が記されています。主なる神は巨大な魚に命じて、ヨナを飲み込ませました。ヨナは魚の腹の中で三日三晩過ごしたことが記されています。海に投げまれたヨナは死の淵から魚の腹の中へ飲み込まれ、命を助けられました。ヨナは三日三晩魚の腹の中で、神に祈っています。3節から10節までが預言者ヨナの祈りです。
 神は海に投げ込まれたヨナの命を救ったのです。神の命令に背いたヨナを神は見捨てません。神は逃げるヨナをどこまでも追いかけ、逃がしません。神は逃げるヨナをとうとう魚の腹の中で捕まえたのです。ヨナはこれ以上逃げることができません。神のご命令によって、神の手の中に捕らえられたのです。
 魚の腹の中でヨナはどんな祈りをしたのでしょうか。7節の祈りに注目します。
「わたしは山々の基まで、地の底まで沈み地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よあなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった。」
 このヨナの祈りは、地の底まで沈んだヨナ、滅びの穴の中に落ちたヨナを神は引き上げてくださったというのです。この祈りをどのように受け止めたらよいでしょうか。
ヨナは単に助かったと喜んでいるのでしょうか。ヨナはまだ地上に解放されたのではなく、闇の中、魚の腹の中にいるのです。しかし、ヨナは神が滅びの穴から引き上げてくださったと祈ったのです。これは、どういうことでしょうか。
 ヨナは、神から逃げていました。どこまでも逃げられると考えていました。しかし、神に捕らえられたのです。たとえ暗い魚の腹の中であっても、ヨナは神に捕らえられたことを受け止めることが出来たということではないでしょうか。
 私たちも神から逃げることがあります。神から離れた方がどんなに楽しいか、どんなに気楽かなどと考えるのです。しかし、ある時、神さまに捕らえられ、神の下に立ち返る時という経験をすることがあるのではないでしょうか。私自身もヨナが魚の腹の中で祈ったような経験を思い出します。神に捕らえられる経験は、ヨナが腹の中にいたようにまだ闇の中です。しかし、単なる闇ではないのです。神がおられる闇の中です。神がご支配くださる闇なのです。8節「息絶えようとするときわたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き聖なる神殿に達した。」とヨナが祈っているように、主の御名を呼ぶことによって「祈りが届いた」経験、神と私たちが結ばれる経験をするのです。神が私たちの祈りを聞いていることを確信して祈るのです。これが闇の中で私たちが祈る経験です。
主イエス・キリストはマタイによる福音書12章39から41節「39 イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。40 つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。41 ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」主イエスはヨナの三日三晩の祈りの経験とご自身の十字架から復活への三日三晩を重ねて「預言者ヨナのしるし」とお語りになりました。
主イエスはヨナを称賛しているのではなく、ヨナが神に捕らえられ、神に遣わされ、ニネベに行って伝道し悔い改めたニネベの人々を「ヨナにまさるもの」とお語りになったのです。三日三晩祈ったヨナは、11節に記されているように、主なる神に命じられるまま、魚はヨナを陸地に吐き出しました。神はヨナがニネベに行って、神の言葉を語るように命じていました。ヨナはもう逃げることができずに、ニネベの町でみ言葉を語りました。驚くべきことに王や大臣はじめニネベの町の人々は神の御前で悔い改めました。
 主イエスはヨナの三日三晩が主イエスの十字架と復活の期間を差し示しているというのはどういうことでしょうか。ヨナの三日三晩は闇の中での祈りの日々でした。主イエスの三日三晩は受難週の金曜日、土曜日、日曜日です。ヨナの三日間、神のみ前から逃亡したヨナの闇を主の御前に差し出す時となりました。ヨナの三日間がキリストの十字架と復活へ、すなわち罪の赦しという救いの完成へと導かれるのです。ヨナが「陰府の底から、助けを求める」状態から「わたしの声を聞いてくださった」と祈ったように、神による救いを経験したのです。闇の中での祈りを通して救いを経験したように、主イエスは私たちの闇の中での祈りを、死からの復活へと完成してくださるのです。ヨナの物語は単なる奇跡物語ではなく、救い主の十字架と復活への道なのです。主イエスは、闇の中での三日間、弟子たちのため、そして私たちのために祈り続けてくださいました。復活の主イエスに出会った人々は、命を懸けてキリストの復活を語り続けるようになるのです。
 使徒信条には「陰府にくだり」という告白があります。キリストが死の領域に入られたという信仰です。ヨナが「苦難の中で」、「陰府の底から助けを求め」、「あなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった」、「息絶えようとするとき 私は主の御名を唱えた」と祈りました。神に捕らえられた信仰者の祈りの中にキリストが降ってこれたのです。それが陰府にくだりという信仰告白です。
 聖書では三日とは特別な時間です。創世記にはアブラハムがイサクを捧げに行くまで三日間でした。出エジプト記シナイ山の準備の三日がありました。預言者ホセアが神のもとに立ち帰るのが三日です。聖書において三日間は死から希望、裁きと赦し、神が人間の罪の現実の中で、共に祈ってくださる決定的な時なのです。
 主イエス・キリストの三日間は、ヨナの三日間、私たちの三日間の完成なのです。神の救いは神の三日間の出来事です。逃亡した預言者を再度み言葉を語る者へ変えてくださる三日間です。主イエス・キリストは私たちの闇の中の祈りを聞きあげてくださり、私たちの罪のために十字架を引き受ける愛の決断をされました。私たちは私たちの闇の三日間に直面するとき、神を信頼して祈ることが大切です。闇の中でこそ、神の御名を呼ぶのです。私たちの闇は単なる闇ではないことが明らかになります。その闇の中から主イエスの十字架上で祈られた声が聞こえてくるのです。
 私たちの目には、この聖なる三日間は、何も起きていないように見えるかもしれません。神が沈黙しているようにしか見えないかもしれません。しかし、そうではないのです。神はその沈黙の中で働いておられるのです。土曜日は教会の歴史の中でも沈黙の日とされてきました。病の中、家族との課題、教会の課題、私たちの人生にも、闇があります。しかし、この闇は主イエス・キリストの復活への途上です。死に勝利された主イエスと出会うための大切な時です。受難節を祈りの日々として過ごしたいと願います。恐れることなく祈り、私たちの闇を主の御前に差し出しましょう。

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