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銀座の鐘

「復活の命に生かされる教会」

説教集

更新日:2020年05月03日

2020年5月10日(日)復活節第5主日 主日家庭礼拝 髙橋 潤牧師

使徒言行録5章1節~11節

 最初の教会が歩み出したばかりのことです。キリストの復活を信じる人々は、十字架の 主イエスが復活されたことを伝えていました。どのようにして伝えていたのでしょうか。

 最初の教会は、目に見えない主イエスが生きて共におられることを色々な仕方で表現し ていました。目に見えないけれど主イエスが一緒に生きておられることを話し合い、祈り 合って喜んでいました。例えば私たちが持っている物を復活の主イエスに使ってもらえた らうれしいと思いました。そのようなうれしさをさらに広げて、心も思いも一つにして、 復活の主イエスを喜ぶ生活を始めていました。これが最初の教会の姿でした。

 ある日、「慰めの子」という意味のバルナバと呼ばれていたヨセフは、復活の主イエス とともに喜ぶために、自分の畑を売った代金を使徒たちの足もとに置きました。バルナバ が献げた代金によって、復活の主のもとに集まっていた人々は、おのおのに必要を満たす ことが出来ました。
 この姿を聖書は、「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、すべてを共有していた」 と語っています。大切な事は、すべてを共有していた人々の中に、復活の主がおられると いうことです。復活の主を信じて、復活の主がいつも隣りにいて見ておられることを共有 していることです。復活の主と共に新しい命に生かされている姿がここに描かれています。
更に大切な事は、慰めの子バルナバは、使徒たちや誰かに要求されたり強要されて自分の畑を売ったのではないということです。そうではなく、バルナバ自身が復活の主の命に 生かされていることを感謝し、ここに大きな恵みを見いだした結果、喜んで自発的に自分 の畑を売って、その代金を共有するによって、復活の主の命の輝きを見ていたのです。バルナバは命の輝きを与えられているのです。
 初代教会の取り決めとして、不動産を所有している者は、売って献げなければならない という定めがあったのではありません。キリストの復活を信じる教会は、そのような定め を持つことはありません。バルナバの時代も、不動産の所有は認められていましたし、自 己所有が罪であると考えていたのではありません。そうではなく、バルナバはじめ所有財 産を献げたことは、それぞれの祈りと信仰の決断によって自発的に行われたことでした。 現在の教会でも、教会の取り決めで、献金額を決められたり、不動産を売ることを薦めた り強いることはありません。バルナバは、復活の主がお与えになった、大きな恵みとして、 真の命の輝きを見て、感謝の祈りをもって使徒たちの足下に自発的に置いたのです。

 バルナバを見ていたアナニアとサフィラ夫婦は、バルナバのようになりたいと思いまし た。バルナバのまねをしてみんなから喜んでもらいたいと思いました。バルナバと同じよ うに、自分たちの土地を売りその代金を献げしようと計画しました。しかし、その時、恐 ろしいサタンが「土地を売った金額は誰も見ていない」とアナニアとサフィラ夫婦をそそ のかしました。サタンにそそのかされた二人は、土地を売った代金の一部をお献げして、 バルナバと同じようにすべてをお献げしますと嘘をついて使徒たちの足もとに置きまし た。
 バルナバとアナニア夫婦は、どこがどう違うでしょうか。バルナバは、お金ではなく目 に見えない復活の主イエスを見ていました。目に見えないけれど一緒におられる復活の主 イエスとともに喜んでいました。復活の主がお与えくださる命の輝きを見ていました。
 しかし、アナニア夫婦は目に見えない復活の主イエスを見ていなかったのです。復活の 主イエスを無視して、バルナバだけを見ていたのです。バルナバのまねをしました。しか し、最も大切な復活の命を見ていないのです。もはや死の支配の中で生きていたことがあらわになったのです。
アナニアとサフィラ夫婦の死は、私たちの命は死の支配から復活の主の支配へ大きな恵 みによって変えられなければならないことを厳しく教え示しています。私たちの命は、私 たちのものではなく復活の主イエスのもとにあることを大胆に告げ知らせているのです。 私たちは復活の主によって与えられた命に真の輝きを見ることが出来るのです。
 アナニアとサフィラは、死の支配に生きながら、復活の主を欺いたのです。私たちの浅 い知恵で復活の主を欺き、だますことなどとうてい出来ないのです。アナニアとサフィラ は、目に見えない復活の主イエスをごまかして、バルナバや使徒たちにほめてもらえると 考えてしまいました。私たちの弱さと惨めさが浮き彫りにされています。

 アナニアとサフィラは、「サタンに心を奪われ、聖霊を欺」いたのです。「人間を欺い たのではなく、神を欺いたのだ」「二人で示し合わせて、主の霊を試す」と指摘されてい ます。これは、アナニアとサフィラだけの問題ではなく、現在、教会生活をしている私た ちこそ、心で聴き、逃げてはならない言葉です。

 現在こそ、目に見えないサタンに心奪われる時代に生かされていると思います。聖霊な る神を欺くことが分からない私たちです。誰かと示し合わせて主の霊を試すことがないと はいえません。この御言葉によって、私たちは、復活の主の命に生かされていることを深 く受け止め、使徒信条「我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、 身体のよみがえり、永遠の生命を信ず」を心から告白するものとされなければなりません。 主の復活を信じる信仰を与えられていることを心に刻み、歩みたいと願います。

 教会は、目に見えない復活の主イエスがいつも私たちと一緒におられることを、覚える 交わりです。アナニアとサフィラの命が、復活の主の御手の中にあることを通して、死の 支配ではなく、復活の命を与えられた者として歩みましょう。

 教会がしっかり見るべき命は、復活の主がお与えくださる輝く命です。目に見えないけ れどいつも共にいてくださる復活の主イエスが一緒にいる交わりの中で輝いている命で す。人の目をごまかしても、本当の喜びを主イエスと共に味わうことはできません。私た ちは復活の主イエスの前で、見栄を張る必要はありません。隠れたことを見ておられる復 活の主イエスとともに、心から喜ぶ交わりの中で生きるのが教会の交わりです。

祈祷
  天の父なる神さま。イースターの日から4週間の間、守り導かれたことを感謝いた します。復活の主が私たちの交わりの中心におられ、輝く命をお示しくださることを感謝 いたします。この輝く命によって生きるものとしてください。神さまの大きな恵みによっ て新しい一週間をお導きください。主イエスの御名によって祈ります。 アーメン

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