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銀座の鐘

神の命のご計画

説教集

更新日:2020年09月19日

2020年9月13日(日) 敬老祝福礼拝・聖霊降臨後第15主日 主日家庭礼拝  伝道師 藤田 由香里

使徒言行録17章19~27節


本日は、敬老祝福礼拝としてお守りしております。皆様の上に祝福をお祈りいたします。
 本日示されました箇所は、使徒言行録のパウロのアテネにおけるアレオパゴスの説教です。アテネという と、オリンピックです。歴史と時代を思わせる都市であると言ってもいいと思います。近代オリンピックの始ま りが1896年アテネオリンピックから始まりました。古代におけるオリンピックはオリュンピアで始まりました、紀 元前8世紀、預言者イザヤ・ヨナの時代です。この時ギリシャのポリスも始まりました。アテネは、世界の中で も最も古い都市の一つです。3400年以上の歴史を持っています、ダビデ王の時より昔からあるということで す。このアテネ、ですが使徒パウロがこの第二伝道旅行で訪れた時代、まだ人口は500人程度でした。し かし、ソクラテス・プラトン・アリストテレスが活躍し、アカデメイア・リュケイオンが立ち、哲学・学問・芸術の栄 えた都市でありました。使徒パウロは、このアテネにやってきます。壮麗なる神殿、拝まれるギリシャ神話の 神々、エピクロス派哲学・ストア派哲学、パウロは様々な偶像礼拝、他の神々への礼拝を見て、憤慨しま す。ここにいる人々は、何か新しいことを、ただ新しいからそれゆえに知りたがっておりました。そのような彼 らには、パウロの宣べ伝える主イエスの福音も、「今まで聞いたこともない」新しい教えに聞こえました。しか し、アテネの人々は、やはりパウロが論じる神の国の真理の福音を、ただ自分たちにとって新しいから知りた いという何か試みるようなそのような気持ちで、パウロをアレオパゴスに立たせたのです。知りたい知りたいと 思いながら次から次へと論じ合い、たった一つの真理を知ることのできていない人々がいたのです。アレオ パゴスは、アレスの丘、アレスというギリシャ神話の神が殺人を犯して神々に裁かれたことかに由来するよう です。そこで、重要な裁判や会議が行われておりました。パウロはここで有名な説教をすることになります。

 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信 仰のあつい方であることを、わたしは認めます。 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見て いると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝ん でいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。(使徒言行録17:22〜23)
 パウロは、この町の偶像礼拝の様子を見て、始めは憤慨いたしました。けれども、宣べ伝える人がいなけ ればどうして知ることができようか、と聖書にあるように、自らが主イエスから託されたご命令をなさなければ ならない、伝えなければならないこともよく知っていました。「知られざる神に」と献げられた祭壇がありまし た。知識と哲学の探求のうちに、無知の知からも考えられますが、私たちはまだ神様を知らないのだ、という 告白をパウロは認めたのです。伝道のきっかけとなる点を見出しました。知られざる神に、この方がどなたで あるか、あなたたちが今まで見たことも聞いたこともない良き知らせを、これから、伝えよう。私が受けた命 を、伝えよう。

 ユダヤ人伝道と異邦人伝道ですと、伝える福音は一つですが、語り始める事柄が異なります。ユダヤ人 は、主イエスをお遣わしになった、旧約聖書に証されるお一人の神を知っているからです。異邦人伝道の場合、まず造り主なる神、世界を、光を、命を、全てお造りになった神についてから伝える必要があります。

  24節でパウロは、創り主について語り告げます。「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった 神は、天地の主(17:24)」です。さらに、このお方は、「手で造られた宮にお住みにはな」らない、こと、 「ま た、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要も」ないことを続けて言います。パウロは、こ のお一人の神様は手で作られた宮にもお住みにはならない全能の方、自由な方だ、と言います。それに、 神様は、何かがご自身において不足しているかのように、人に手によって仕えられる必要もない、と言いま す。これらの神様についての考えは、そのものは、ギリシャ哲学の神についての考えにも通じるものです。 パウロは、ここだけではなく、アレオパゴスの説教の中に、ギリシャの人々が親しんでいる哲学・知恵の言葉 を盛り込んでいます。それほど彼らの側の言語に寄り添い、彼らに主イエスの神の国の福音を伝えたかった のです。

 この創り主、「神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。(17:25)」パウ ロは言いました。「いのちと息」とあります。これは、神様が始まりの人、アダムをお造りになった時に吹き込ま れたのは「いのちの息」でありました。私たち人間をお創りになり、命を与え、呼吸をして、世界を歩いていく ことができるようにされたのは、他でもなく、ただ、この父なる神である。パウロは言います。

 そして、神様は、私たちに、命をお与えになり、地の表のあらゆる場所に住まわせ、それぞれの一人一人 に、決められた時代、時を、また決められた住まいの境をお定めになりました。私たちの、生まれた時代、生 きた時、また生きてきた場所は、神様がお定めになりました。ここにあります「決められた時代」とは、「決めら れた時」とも訳せ「カイロス」というギリシャ語です。カイロスは、コヘレト、伝道者の書3章11節「神のなさるこ とは全て時に適って美しい」の「時」と同じ言葉が用いられています。神様が、私たちに、ご自身の御心に従 って、生まれた日、生きる時代をお定めになられたのです。それは「美しい」と言われる業に属しています。

  神がお定めになる、「ホリゾー」は、語源が「全て」です。全能なる神のお定めになった確かなる時を意味し ています。 そして、神様がお定めになったその時と場所というのは、全て「あなたたちが神を求めるように なるため」なのだ、パウロは言うのです。

 アテネの多くの人々は、様々な文化・芸術・知識・哲学に囲まれ、常に何か知らない新しいことを知りた い、そのように生きておりました。あらゆる新しい情報に囲まれ、次なる新しいインテリジェンスを求める。新し いものが見つかれば、今あるものは廃れる。そのような意味で、飽和社会でありました。そこにはギリシャの 神々がいて、多くの人がお一人の真実な神を知らずに、偶像を拝んでいたのです。しかし、ここに一人の神 の国の伝道者が立ち、永遠なる主イエスの福音について語り告げたのです。「求めるならば、あなた方が神 を見出すこともある。」パウロは言いました。現に、「ある人々は彼につき従い、信仰に入った(17:34)」とあ ります。「アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ」「ダマリスという名の女の人」などです。神は無人格な方では ありません。神は人格を持って私たちと交わりをなさいます。神は熱情の神です。偶像礼拝には妬みを起こ される、聖書に記されます。神はまた、慈しみと憐れみによって思い直されることがあります。

 時をお定めになった神様は、主イエス・キリストを十字架へと引き渡されることをご計画として定めておられ ました。主イエスは、定められたご計画により引き渡されました(使徒言行録2:23)。主イエスは、生きている ものと死んだものとの審判者として定められておられます(使徒言行録10:42)。

 神は、この「先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになりました(使徒言 行録17:31)。この定められた日は、主イエスの再臨の時です。私たちにはいつかはわかりません。 「主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き/諸国の民を公平に裁かれる。(詩編 98:9)」

 主イエスはこの裁きの時を、私たちの喜びのときとされようと、ご自分を十字架におささげになったのです。 私たちの復活の時とされるため、主イエスは、復活なさいました。 私たちに命と息をお与えになるため、私たちを造られた主は、私たちに「永遠の」命と息をお与えになるた めに、とこしえに神を喜び祝うために、おいでくださったのです。

 神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。
祈りましょう。

祈祷
ご在天の父なる神様、パウロはあなたの命を受け、あなたの命を伝道しました。伝道は教会の命で す。あなたは私たち一人一人に、命と息をお与えになりました。時と場所とをお与えになって来られました。 あなたは私たちがあなたを求めるようにと願ってくださいましたことを感謝いたします。主イエスが永遠の命 をお与えくださるためのあなたのご計画のうちに私たちを置いてくださり感謝いたします。主がやがて来られ る時を思います、主を愛し、隣人を愛し、あなたを喜び祝って、つき従い歩むものとなさせてください。主イ エス・キリストの御名によって、アーメン。