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銀座の鐘

「おとめマリアより生まれ」

説教集

更新日:2020年11月22日

2020 年9月27日(日) 聖霊降臨後第17主日   主日家庭礼拝  藤田健太伝道師

ルカによる福音書1章26~38節

 使徒信条における主イエス・キリストのご生涯の告白は「おとめマリアより生まれ」の一節ではじまります。 そのあとにすぐ「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架に付けられ、死にて葬られ…」が続きます。 苦難のご生涯のなかに本日の誕生の箇所の告白が光を与えています。主の誕生の箇所の告白には神様 の約束の力が満ちています。神様の約束による一人子の誕生が「三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり…」の告白に私たちを導くのです。さらに言えば、「おとめマリ アより生まれ」の一節は「天地の造り主、全能の父なる神を信ず」を前提に踏まえています。本日の「おとめ マリアより生まれ」の一節は「天地の造り主、全能の父なる神を信ず」の告白に次ぐ、言わば、使徒信条にお ける第二の創造の告白と理解することができます。主イエス・キリストの誕生は神様の大いなる創造の御業 であり救いの御業です。使徒信条における第二の創造の告白は、創造の御業であると同時に救いの御業 であるという点で、第一の創造の告白に勝るとも劣らぬ重大な出来事の告白であると理解することができます。

 使徒パウロはローマの信徒への手紙の中で、最初の人間アダムと救い主イエス・キリストを重ねて対称的 に描き出しました。それと似た仕方で、最初の女性エバとイエスの母マリアを対称的にとらえる理解が後の 教会の歴史の中に生じます。救い主キリストが最初の人間アダムの罪を克服しました。それと類比的に、救 い主の母マリアが最初の女性エバの罪に打ち勝ったという理解が古代教父たちによって示されました。救 い主の母に特別な力を見出したいという欲求はすでに聖書の中にも観察されます。例えばルカによる福音 書 11 章 27 節に次のような一節があります。「イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中 から声高らかに言った。『なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は』。」―後の マリア崇拝の端緒がすでに表れていると指摘される箇所です。しかしこの一節は続く主イエスご自身の御言 葉によって修正を加えられます。「しかし、イエスは言われた。『むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それ を守る人である』。」―ただ一人の救い主なる母から、キリストを信じる私たち一人ひとりへと目を向け直させ る主の御言葉です。ルカによる福音書は救い主の母マリアに特別な関心を寄せる福音書であると言えま す。ルカは救い主の母マリアをどのように描き出しているでしょうか?私たちはどのような信仰の下、「おとめ マリアより生まれ」を告白すればよいでしょうか?本日の聖書の箇所からご一緒に考えてみたいと思います。

 ルカによる福音書 1 章 26 節以下は「六か月目に…」とはじまります。「六か月目」というのは直前に描かれ たエリサベトの妊娠期間をさします。洗礼者ヨハネと主イエスの誕生の出来事が一続きの出来事として描か れていることが分かります。洗礼者ヨハネは旧き契約の時代を締めくくる最後の預言者です。そのヨハネの 誕生と主イエスの誕生がセットで描かれるということは、旧約聖書に描かれた神の民の救いの歴史とイエス・ キリストの福音によりはじまる救いの歴史が別々のものでなく、神様の約束の内に繋がっている一つの歴史であることを意味します。旧約と新約の接続のテーマは 26 節以下の具体的なエピソードの中に展開されて ゆきます。「天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人 のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである」とあります。神の天使はかつてダビデが治めた ユダ王国に属するガリラヤの小村ナザレに遣わされます。その村に住む零落したダビデの家のヨセフという 人物のいいなずけのもとに遣わされたことが語られます。救い主であるメシアがダビデの系譜から顕われる という旧約以来の伝統的な理解がそこに反映されています。主イエスの誕生は長きにわたった民たちの祈 りの歴史に対する神様からの決定的な答えでした。「天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵 まれた方。主があなたと共におられる』。マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考 え込んだ。」―天使の挨拶を前にしたマリアの熟慮が非常に印象的です。神様からの天使ははるか昔にも 神の民に向かってこのような挨拶をおくったことがありました。旧約聖書士師記 6章12節に本日の箇所とよ く似た天使の挨拶の言葉が見られます。「主の御使いは彼(=ギデオン)に現れて言った。『勇者よ、主はあ なたと共におられます』。」―神の民は「主があなたと共におられる」という言葉を長い歴史の中で繰り返し 聞きながら導かれてきました。その最たるものはイザヤ書 6 章 14 節の「インマヌエル預言」です。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」―「インマヌエル」とは「神がわれらと共に おられます」の意味です。旧約の歴史のなかで繰り返されてきた神様の約束が主イエス・キリストの誕生によ って実現しました。そこに到るまでの神様の計り知れないご計画に思いを馳せるかのように、天使の挨拶を 前にしたマリアは深い熟慮へと導かれたのでした。

 「すると天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごも って男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言わ れる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わる ことがない』。」―かつてモーセに対してご自分の名前の意味を解き明かしてくださったように、神様はマリアに対しても生まれてくる一人子の名前の意味を解き明かしてくださいます。「イエス」という名前には「彼 (=神)は救う」という意味があります。神様が私たちをどのように救ってくださるかが続く天使の言葉のうちに 説明されます。「彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」と言われます。長きにわたる 民の苦しみに終止符を打ち、神様のとこしえの御国を建てあげることによってわたしたちを救う御方であるこ とがそこに開示されます。

「マリアは天使に言った、『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに』。」―神様の創造の御業であり救いの御業である御子の誕生は、私たちの理解を超えた出来事でした。 確かなことは、神様の約束の力がそこに働いていたということです。続く天使の言葉はただただその印象を 強めるばかりです。「天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生ま れてくる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身 ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。』」―「聖霊」と「いと高き方の力」の付与はヨハネの誕生の際には語られなかった言葉です。神様の断 固たる救いの決断が生まれてくる一人子を通して成ることをマリアは知らされました。それゆえマリアは次の ように応えます。「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますよう に』。」―マリアは神様の断固たる決断を前にして仕方なしに出来事を受け入れたのでしょうか?それとも、救い主の母、第二のエバとして、並々ならぬ意志の力によって出来事を受け入れたのでしょうか?きっとそのどちらでもないと思います。ルカによる福音書1章26節以下に描かれたマリアと天使の短い対話のエピソードには旧約聖書における神様の救いの歴史が凝縮されています。神さまによる圧倒的な救いの事実を 前にして、マリアは安心して神様の前に身をおささげしたのではないでしょうか。神様の圧倒的な救いの事 実を前にした時、私たちはただそれを受け入れることができるのみです。まさにその点でマリアという一女性 と私たちの間にはいかなる差もないと言ってよいでしょう。マリアが天使との対話のうちに思い出した神様の 救いの歴史の只中を私たちも歩んでいます。使徒信条にある「おとめマリアより生まれ」の告白をおささげす る時、私たちは神様の救いのご計画の成就を思い、神様への深い感謝をそこで新たにすることができるのです。
祈祷
 天の父なる神様、使徒信条によって「おとめマリアより生まれ」と告白できる恵みに感謝いたします。この告 白によって、暗闇の中を歩む私たちは大いなる光を見つめることができるようになります。計り知ることのでき ない神様の救いの御計画が私たちの救いに到ったことをマリアと共に思い起こすことができました。どうぞ私 たちをあなたの僕としてお用いください。主イエス・キリストによる救いの証人としてわたしたちの 1 週間の歩 みをおささげいたします。この祈りを主イエス・キリストの御名によって御前におささげいたします。 アーメン

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