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銀座の鐘

「キリストの昇天を喜ぶ」

説教集

更新日:2020年11月22日

2020 年10月 25日(日)聖霊降臨後第21主日 主日家庭礼拝 牧師 髙橋 潤

ルカによる福音書24章50~53節

 本日与えられた聖書箇所には、復活の主イエスが、昇天されたことが記されています。 主イエスの昇天については、マルコ福音書16章と使徒言行録1章にも記されています。
ルカによる福音書には、主イエスが昇天される時、手を上げて祝福しながら人々から離れたと記されています。主イエスは天に昇る時、人々を祝福されていたのです。祝福する主イエスが彼らの見た最後のお姿になりました。
 私たちは昇天の主イエスが手を上げて祝福されていることを覚えたいと思います。ルカによる福音書の背景にある教会は、地上における主イエスの最後の姿が手を上げて祝福されていることを大切にしていたと思います。私は昇天の主イエスの祝福のお姿を礼拝の最後の祝祷において、昇天の主イエスを思い起こさせているのではないかと思うことがあります。

 昇天の主イエスを見上げていた人々は、手を上げて祝福する主イエスを見てどのような反応をしているでしょうか。「彼らはイエスを伏し拝」んだとあります。そして、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神をほめたたえていたと記されています。これは、驚くべき反応ではないかと思います。
 いままで一緒にいた主イエスが、突然天に上げられたら、喜ぶでしょうか。悲しむのではないかと思います。しかし、そうではなかったのです。悲しむのではなく、大喜びしたというのです。 どうして大喜びしたのでしょうか。どんな喜びだったのでしょうか。彼らは、いつも主イエスが 一緒にいるかのように、神をほめたたえていたというのです。なぜ、喜べたのでしょうか。

 昇天の主イエスを見送る人々の喜びについて、使徒信条の言葉から探り知る事が出来ると思います。それは、使徒信条の「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」という言葉です。 この言葉のどこに昇天の喜びについての秘密が隠されているかというと、「天に昇」ったは、完了形です。続く「全能の父なる神の右に座したまえり」は現在形です。すなわち、天の昇った主イエスは、過去の人になったのではなく、現在、神の右に座しておられると告白しているのです。 主イエスは、いつのまにか天に消えてしまったのではなく、時間と空間を越えて存在する神であるということが告白されているのです。主イエスは、消えてしまったのでもないし、失われてしまったのでもありません。そうではなく、天に昇られる主イエスを通して、このお方こそ私たちと永遠に共にいてくださる神であると、受け止めることが出来たのです。
このことを使徒信条は、昇天の主イエスは神の右におられると表現します。主イエスが神であ るということは、過去も現在も未来においても神であるということです。これは、主イエスを愛 するものにとって最も大きな喜びにつながる出来事なのです。

 神の右におられるということは、これまでのあり方とは全く違うのです。これまで、地上におられた主イエスは、時間と場所も限定されていました。しかし、神となったということは、時間と場所に限定されないのです。いつでも、どこにでも昇天の主イエスは、おられるのです。時代を超えて、世界中どこにでも主イエスと共におられるのです。昇天の主イエスは、私たちを永遠に御支配下さる神であることが証明された出来事なのです。ゆえに、喜びに包まれて礼拝しているのです。主イエスは昇天して下さったから、私たちはいつでもどこでも礼拝できるのです。主イエスの昇天によって、昔も今も明日も礼拝をとおして、主イエスがここにおられると確信し告白できるのです。現在の教会の喜びの源がここに表現されているのです。
 主イエスが天に上げられた時、主イエスに祝福された人々には、永遠の喜びが与えられ、主イエスを通して祈り、礼拝する者とされた喜びが与えられました。
 私たちが信仰を告白する時、イエス・キリストは神の右に座しておられると告白します。
ゆえに、私たちは、ヘブライ13:8にあるように、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」と喜びをもって証言出来るのです。
 主イエスが地上を去ったことは、この方が私たちから離れ去ったということではなく、むしろ 目に見えない聖霊において全く新しく、これ以上にない確かさで、私たちと共におられることを 示しているのです。
「天に昇り」とは、クリスマスにおいて地上の最も低きに降って下さった主イエスが、昇天に おいて、最も高きにもおられるのです。主イエスは時と空間に限定されない永遠なる神として、 確かに私たちと共におられることになったのです。これは、悲しむことではないのです。

 聖書は昇天の主イエス・キリストについてこのように証言しています。
 フィリピ2章に記されているとおり、「6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者 であることに固執しようとは思わず、7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ 者になられました。人間の姿で現れ、8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至る まで従順でした。9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになり ました。10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまず き、11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるの です。」昇天の主イエス・キリストは、神であり、私たちはこのお方を礼拝するのです。

 「神の右に座し」について記されている御言葉を読みたいと思います。

主イエスは王としての権威と全権を行使するように招かれたことが記されています。 1ペトロ3:22「キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キ リストの支配に服しているのです。」

主イエスは神と私たちの間を執り成して下さる。 ローマ8:34「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、 復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成 してくださるのです。」

神はこの地上の生活だけを支配するのではなく、来たるべき世も御手の内に御支配下さる。 エフェソ1:20-22 「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の 右の座に着かせ、21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべ き世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。22 神はまた、すべてのものをキリストの足 もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。」
私たちの命はキリストと共に神の内に隠されている。
コロサイ3:1-3
「1 さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさ い。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。2 上にあるものに心を留め、地上の ものに心を引かれないようにしなさい。3 あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、 キリストと共に神の内に隠されているのです。」

 主イエスの昇天、すなわち高挙によって主イエス・キリストが神として地上の世界を支配し、 来たるべき世をも御支配くださっていることが聖書によって明らかにされています。主イエス・ キリストの昇天は、神と私たちが離ればなれになったのではなく、いよいよ私たちの命が神の内 にある事が知らされているのです。私たちが神の御業に感謝し祈り、礼拝する恵みの道がここに 開かれているのです。

祈り
 天の父なる神さま。あなたが教会にお与えくださった信仰を私たちが告白できる幸いを感 謝いたします。時と空間を超えて、共にいます神に迎えられていることを感謝いたします。神の 愛に裏打ちされた信仰告白を喜び賛美する者としてください。 主イエス・キリストの皆によって祈ります。アーメン