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銀座の鐘

「神は慈しみ深い」

説教集

更新日:2021年01月02日

2020年12月13日(日) 主日家庭礼拝 待降節第3主日  伝道師 藤田 健太

ルカによる福音書1章57~66節

 マタイとルカによる福音書は様々な人物と神様の間のドラマによってキリストがお生まれになる クリスマスの喜びを伝えます。福音書記者ルカはクリスマスの重要な登場人物の一人に洗礼者と呼 ばれるヨハネがいたことを伝えます。ルカによる福音書では、洗礼者ヨハネと主イエス・キリスト の誕生は互いに切り離すことができない「対」の出来事として語られています。

 新約聖書の中心に置かれるのが主イエス・キリストであるならば、ヨハネは神様とイスラエルの 間に結ばれた古き契約を象徴する人物です。ヨハネの出自に関しては、旧約聖書に特有な幾つもの モティーフによって語られています。第一に、ヨハネは古き「祭司」の家系に生を受けます。父親 ザカリアはアビヤ組の祭司で、歴代誌下24章10節に登場する祭司の末裔でありました。母親のエリサベトはイスラエル史上最初の祭司であるアロンの家の娘であったとされます。出エジプトの出来 事において、神の人モーセの「舌」となり、神様の御意志を取り次いだアロンのように、主イエ ス・キリストの先鞭となり、主イエス・キリストの道を備える決定的な役割がヨハネに与えられま した。第二に、彼の父親であるザカリヤは主の「掟」と「定め」をすべて守る、非の打ちどころの ない祭司であったことが伝えられます(1:6)。第三に、旧約の伝統に従い、ザカリヤは息子が生ま れた「八日目」に「割礼」を施します(1:59)。「祭司」、「律法」、「割礼」といった旧約聖書以 来の伝統の中で祝福を受け、洗礼者ヨハネは主イエス・キリストに先立つこと数カ月前に生を受け ました。成長したヨハネは神様の御国の到来を前にして、決定的な「悔い改め」を人々に説く預言 者であり、旧約聖書に登場する預言者「エリヤ」の再来と目されました(1:17)。福音書記者ルカは このように旧約聖書の世界を象徴するヨハネと主イエス・キリストの誕生を切り離すことのできな い出来事として描きました。神様の古き契約と新しい契約を切り離して考えることはできません。 神様の「慈しみ」は、旧約の伝統の内に約束され、与えられた御子により豊かな実を結ぶことにな りました。

 エリサベトが男の子を産むと、近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに「慈しまれた」と聞いて喜び合いました。人々は、生まれてきた子供に神様の「慈しみ」を見とめたのでした。彼らは父親の名をとって、その子に「ザカリヤ」の名を与えようとしますが、母親は頑なに彼らの提案 を受け入れようとしません。生まれてきた子供は「ヨハネ」と名付けなければいけないと言い張り ます。ヨハネという名前には、「神は慈しみ深い」という意味があるとされます。生まれてきた子 どもに神様の「慈しみ」を見つめた結果がそこにありました。神様が長きにわたってイスラエルの 民の上に注がれ続けた「慈しみ」が洗礼者の名前そのものとされたのでした。祭司ザカリヤの「沈 黙」と「賛美」は、民の苦難の歴史と、その中で神様の「慈しみ」を見出した民の喜びの歴史その ものを象徴するという印象を受けます。

 洗礼者ヨハネは、悔改めを迫る、火のように燃える激しい預言者に成長します。ヨハネは荒れ野 で叫ぶ神の声そのものです。人々に向かって「蝮の子ら」と呼ばわり、「斧」はすでに「木の根 元」に置かれていると叫び、差し迫る神の「裁き」を人々に向かって呼びかけます(3:7-14)。徴税 人に対しては「規定以上の者は取り立てるな」と言い、兵士に対しては「だれからも金をゆすり取 るな、だまし取るな、自分の給料で満足せよ」と言います。古の預言者たちがそうであったように 彼の時代の社会全体に向けて神様による公正な支配の遂行を呼びかけました。ヨハネの燃えるよう な預言が民たちに要求する厳しい教えは神様の「慈しみ」によるものでした。神様の裁きには正当 な怒りがあります。怒りのうちにも、御自分の民に対する「慈しみ」があります。人間は怒る時し ばしば自分の怒りに不当な感情を上乗せします。正しく怒ることはなかなかに難しいことです。し かし神様の怒り・神様の裁きには「正しさ」があります。神様は人間をその尽きることのない「慈 しみ」のうちにお叱りになるからです。人間を正しく導く神の愛をそこに発見することができるか らです。ヨハネが象徴する旧約聖書の意義とは「裁き」の内にある神様の「慈しみ」を明らかにすることでした。

 洗礼者ヨハネを通してはたらく神様の「慈しみ」は、彼が民たちに向けて語った主イエスに関す る予告のうちにはっきりと表されます。ルカによる福音書3章15節以下には次のようにあります。 「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その 方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける。」―ヨハ ネは民に厳しい裁きを語る「預言者」というだけでなく、民の罪と恥ををそそぐ「洗礼者」でし た。ヨハネ自身に罪を赦す権威や力はありませんでした。しかし少なくとも、私たちにまことの罪 の赦しをお与えくださる主イエス・キリストを予告する洗礼者でありました。使徒言行録に記され たペンテコステの出来事が主イエス・キリストによる「聖霊と火による洗礼」の出来事を伝えます (使徒言行録2章)。

 ヨハネは「火」のイメージによって裁きを語る激しい預言者であるとともに、「水」によって民 の罪を洗い清める洗礼者でもありました。ヨハネを通して働く神様の「慈しみ」はまさに彼のその 人物描写の内に巧みに示されていると言えます。洗礼者ヨハネを扱った芸術作品としては、十字架 上の主をゆび指すグリューネヴァルトの画が有名です。クリスマスの主イエスに先立ち生まれたヨ ハネの“ゆび”は、「裁き」の先にある神様の「赦し」を指し示します。待降節のクリスマス物語 として、私たちが洗礼者ヨハネの生誕物語をお聞きすることの意味がそこにあります。洗礼者ヨハ ネに目を向けることは彼が指し示す“ゆび”の先を見つめることです。主を待ち望むこの季節、洗 礼者の勧めに従って「罪を悔い」、「洗礼」から始まる私たちの赦された命を見出つめたいと願います。

祈り
 天の父なる神様、待降節第3主日主日礼拝に感謝いたします。洗礼者の勧めに従い、私たちも また到来する神様の正義を前に心を静める時をもたせてください。心を静め、希望と期待のもとに 主イエス・キリストを待ち望むことができますように。洗礼者が指し示す“ゆび”の先、現在のコ ロナ禍の内に示された試練の火の先にある、神様の豊かな「慈しみ」を見つめることを得させてく ださい。 主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン

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