銀座教会
GINZA CHURCH

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銀座の鐘

「飼い葉桶の主イエス」

説教集

更新日:2021年01月02日

2020年12月20日(日)待降節第4主日  クリスマス主日礼拝・家庭礼拝  牧師 髙橋 潤

ルカによる福音書2章1~7節

 本日、この礼拝堂に集まった方々、オンラインで礼拝を守っている方々、そして「家庭 礼拝のしおり」で礼拝をお捧げしている皆様とご一緒にクリスマス礼拝をささげます。
今年は、教会学校のクリスマス聖誕劇は、教会学校教師が工夫して録画を編集して映像をまとめ上げてくださいました。青年たちも音楽によるクリスマス礼拝を12月第1主日より映像で発信しています。12月24日、毎年恒例の燭火礼拝は中止しましたが、当日は正午礼拝と午後6時から聖書講義を行います。
 銀座教会で最も大きい集団である婦人会は、会員全員へ手作りのクリスマスカードをおくって、心を一つにする努力を進めています。教会全体でコロナ禍、集まりにくいからこそ、工夫して隣人愛の実践に努めています。コロナ禍によって、礼拝に来ようとしても来られない方々へ目を向けるようになりました。礼拝堂に来ることの出来る人々だけの教会ではなく、銀座まで来れない方々を覚え、祈り、工夫する教会への訓練期間を与えられたと受け止めています。コロナ禍での礼拝は、分散しつつ、お一人お一人が自分を愛するようにあなたの隣人を愛する訓練の日々です。また、一人で守る家庭礼拝者からは、礼拝堂において礼拝前後のことを何も考えずに礼拝に集中出来るという積極的な声も届いています。また、教会へ誘うことが難しくても家族と共に映像で礼拝の様子を紹介出来ることや御言葉に集中することが出来たという感謝の声も届いています。礼拝を聴くことと読むことが同時に与えられて、確認することも出来るということも聞きます。コロナ終息とコロナ禍を祈りつつ生きる私たちは、新しい教会の交わりと新しい信仰を与えられ、クリスマスを祈りの中で迎えています。
 ルカによる福音書は、キリニウスがシリアの総督だったとき皇帝アウグストゥスから勅令が出たと語ります。紀元前29年、アウグストゥスは100年にも亘るローマの領土を荒らしていた市民戦争を終結させました。アウグストゥスの時代は、平和の黄金時代として宣伝されました。紀元前13年から9年には、アウグストゥスに由来する平和のための祭壇や祈念碑が立てられました。小アジアのギリシャの町々は、皇帝の誕生日である9月23日を元旦としました。「神の誕生日は世界に良き訪れのはじまりを印した」とプルエリ碑文に刻み、宣言させました。しかし、ルカによる福音書は、このような状況をよく知りつつ、皇帝の平和宣言に応答するように、アウグストゥスの勅令は、イエス・キリストの誕生を指し示していると語っているのです。ルカによる福音書は、皇帝の平和宣言に耳を貸すことなく、主イエスこそキリストであると語っているのです。天の歌声は、皇帝に よる平和ではなく、キリストの平和を宣言しているのです。
 人口調査を目的とした住民登録は、ユダヤの歴史において、不幸のはじまりを思い起こす出来事として記憶されていました。サムエル記下24章でダビデ王が人口調査を命じたために神の激しい怒りを買うことになりました。キリニウスの人口調査は熱心党によるユダの革命の発端となりました。しかし、ルカはクリスマスの人口調査は、ローマ皇帝を見上げておびえる出来事ではなく、神の民が待望している神の子が生まれる喜びの宣言であ ると伝えているのです。
 更には、ルカによる福音書は、私たちの身も心も真の救い主に向けさせるために「飼い葉桶」に目を向けさせます。それが6-7節です。皇帝を礼拝するのではなく、飼い葉桶の主を礼拝することを指し示します。天使たちは、羊飼いたちにも飼い葉桶の救い主を指 し示します。この飼い葉桶は、貧しさの印ではありません。貧しさの印であれば、飼い葉 桶でなくても良いのです。飼い葉桶が指し示す積極的な意味があるのです。それは、預言 者イザヤの嘆きに対する神の答えです。この地上に神が救い主を遣わした御心が、飼い葉桶に寝ている主イエスによって伝えられているという指摘です。私たちにとって飼い葉桶
はクリスマスの主イエスなのです。イザヤ書1章2~3節
2 天よ聞け、地よ耳を傾けよ、主が語られる。
わたしは子らを育てて大きくした。
しかし、 彼らはわたしに背いた。
3 牛は飼い主を知り
ろばは主人の飼い葉桶を知っている。
しかし、イスラエルは知らず
わたしの民は見分けない。

 ルカは預言者イザヤの苦言を思い起こして、飼い葉桶の主イエスを見つめます。イザヤは牛でさえも真の飼い主を知っているではないか。ロバでさえも自分の主人が与える飼い 葉桶を知っているではないか。なぜ、イスラエルの民は自分の主人を見分けることが出来 ないのかと嘆きました。しかし、ルカはイザヤの嘆きに終止符を打つ出来事を見たのです。 今こそ、私たちは私たちの飼い葉桶によって私たちの主人が誰であるかを知る者になった。 私たちの身も心も養う飼い葉桶は主イエスなのだと喜びの宣言をしているのです。私たち はこのキリストの言葉によって養われる群れなのだというのです。この飼い葉桶の主イエ スによって、いのちの言葉を与えられて生きるのだと宣言しているのです。
 主イエスが誕生したことで物語は終わるのではありません。飼い葉桶の主イエスを通して、ここから神の御心を聞く者にされた恵みを味わっているのです。神が語る言葉によって養われていくという救いの道のはじまりを宣言しているのがルカのクリスマスです。神の民は、真の主人の飼い葉桶を与えられました、という宣言なのです。だから、喜びがあるのです。だから声高らかに天使が喜び賛美するのです。
クリスマスに読みたい聖書の言葉があります。それは、主イエス・キリストが伝道開始 直前、荒れ野で悪魔の誘惑を受けた第1の誘惑の御言葉です。マタイによる福音書4:1
-4「1 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。 2 そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。3 すると、誘惑する者が来 て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」4 イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
 神の口から出る一つ 一つの言葉で生きる』
と書いてある。」」

 主イエスは、40日間断食し、空腹の時、悪魔の誘惑に遭います。悪魔の命令に従って 神の力を自分自身の腹を満たすために用いて、自分が神である事を宣言したら良いではな いかという誘惑です。悪魔は、主イエスに対して神の力を隣人のためではなく自分自身の ために使うことで、神である宣言が同時に出来るではないかと巧みに誘導しています。
しかし、主イエスは、悪魔の誘惑を退けました。「人はパンだけで生きるものではない。 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と語りました。主イエスは、私たちの先頭に立 って悪魔の巧みな誘惑を受けてくださいました。私たちが悪魔と一緒になって、主イエス に対して石をパンにしろと命じる誘惑から救い出すためなのです。 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という 言葉は、旧約聖書の申命記第8章3節の引用です。エジプトを出たイスラエルの民の四十 年間の荒れ野の旅で神は彼らを、天からのパン、マナによって養い、支えて下さいました。 神はこの世のパンを求めてはならないと否定しているのではなく、彼らに必要なパンを与 え、養って下さったのです。主イエスは、神はあなたがたにこの世のパンをお与え下さる、 しかし、この世のパン以上に大切な命のパンを与えてくださることを教え示したのです。 クリスマスは、御子イエス・キリストが命のパンとして遣わされ、私たちを救う神の計画 が開始されたのです。命のパンは、聖餐においていただく、主イエスの命 です。
 本日は、先週に続き主日礼拝と主日第2礼拝において洗礼式が執り行われます。また、 転入会式に立つ方々があります。この方々は、真の命を与える主人からいのちの言葉をい ただいて生きる者とされたのです。もう、自分の主人は誰なのか迷いません。迷う必要も 無いのです。誰の声に聞けば良いのか迷わなくて良いのです。牛や羊が主人の声を聞き分 けるように、いやそれ以上に神の声を聞き分けることが出来る飼い葉桶を与えられたので す。私たちは聖書の言葉を命の言葉として与えられ、御言葉に聴いて生きる者とされてい るのです。ここに全き平安があります。私たちが最も安心して生きる道があるのです。
 クリスマスによって与えられた主イエスの飼い葉桶から与えられる御言葉によって生き る事は、私たちの信仰と希望と愛を育みます。キリストの恵みによって洗礼を受け、十字 架の主イエスに赦され愛されている私たちは、ここから聖化の道がはじまるのです。御言 葉に聞き続ける道です。祈り続ける道です。神に対して大胆に従っていく道をご一緒に歩 みましょう。私たちが礼拝生活を大切にすることも祈祷会を大切にすることも、聖霊なる 神さまが御言葉によって養い成長させてくださる恵みなのです。祈りましょう。

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