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銀座の鐘

神の国を見る喜び

説教集

更新日:2021年04月11日

2021年4月11日(日) 復活節第2主日  家庭礼拝  伝道師 藤田 健太

マルコによる福音書1章1~8節

 主イエスのご復活を覚える復活節の時を歩み進めております。今朝はマルコによる福音書 1 章 1~8 節のみ言葉が与えられました。「神の子イエス・キリストの福音の初め」とあります。復活に向かわれる主イエス の歩みはここから始まりました。教会は新たな年度を迎えました。教会の歩みもまた主イエス・キリストと共 に復活の希望に与って進められることを確かめたいと願います。

 新しい歩みを始めるためには、それまでの歩みを振り返ることが不可欠であると言えます。教会が日曜ごとに聖書からみ言葉を聞く意味もそこにあると言って良いでしょう。「神の子イエス・キリストの福音の初め」もまたそのようにして始まります。旧約聖書に記された神の民の歩みが、「神の子イエス・キリストの福音 の初め」に思い起されます。最初にイザヤ書 40 章 3 節のみ言葉が引用されます。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」―かつて預言者イザヤを通して与えられた神さまのみ言葉を思い出すことが福音の始まりとなります。かつて与えられた神さまのみ言葉の通り、「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦し を得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝え」ました。

 洗礼者ヨハネとは一体どのような人物であったのでしょうか。彼が遣わされた意味とは一体何であったのでしょうか。イザヤの預言に従って、ヨハネは「荒れ野」に出現しました。「荒れ野」はかつてエジプトから導き出された神の民が自らと神さまとの関係を最初に見つめた場所でありました。「荒野の40年間」と呼ばれ るように、約束の土地に入る前の40年間、民たちはそこで神さまと自分との関係を見つめ続けました。神さまと自分との関係を見つめ直すことが約束の土地に入る前の必要な準備期間として備えられたのでした。 「荒れ野」は悪霊や獣がうろつく危険な場所です。しかし、それゆえに、神さまのみ守りが感じられる場所 であり、神さまと自分の間にある親しい距離や近さが感じられる場所でもありました。

 「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」とあります。ヨハネの活動場所は「荒れ野」であり「ヨルダン川」の畔であったとされます。ユダの山岳地帯と死海の間に広がるアラバの荒れ野がヨハネの活動領域でした。新約聖書ヨハネによる福音書 ではヨハネの活動場所はさらに正確に絞られます。ヨハネによる福音書 1 章 28 節では、洗礼者の活動場 所は「ベタニア」であり、さらに 3 章 23 節によれば、「ヨハネはサリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた」 とあります。「ベタニア」や「アイノン」はヨルダン川を東に渡ってすぐのところです。ヨハネの活動場所が「ベタニア」であったなら、彼の活動は主イエスが福音宣教を開始したガリラヤに近い場所で行われたことになります。新共同訳聖書巻末の地図を見て分かるように、「ベタニア」はヨルダン川の東岸と西岸の両方に位置しています。それでは、ヨハネはヨルダン川の「東岸」―すなわちヨルダン川をまたいで東側で活動を行ったのか、それともヨルダン川の「西岸」―すなわち、ヨルダン川の西側で活動を行ったのか、どちらなのかという疑問が湧きます。さらに、彼の活動場所が「アイノン」であったなら、旧約聖書の登場人物である「ヨシュア」が神の民を導いてヨルダン川を渡って最初に辿り着いた場所にほど遠からぬ所で活動が行われ たことになります。

 洗礼者ヨハネの働きは、民を導き、ヨルダン川を東から西に渡ったヨシュアの働きに重ねることができます。「ヨルダンの東側」は約束の土地に入る前の民たちの「迷い」や「不安」や「恐れ」と結びついています。 「ヨルダンの東側」は単に地理的な位置を指し示すだけではなく、民たちの心の在り様そのものの象徴であるとお聞きすることができるのです。ヨルダンの東側で、民は「荒野の40年間」を経験し、様々な試みを 受けることで自らの罪と向き合いました。神様のみ守りのもと、「迷い」や「恐れ」や「不安」と向き合うことで、 神様への「信頼」を確かめ、約束の土地を受け継ぐ準備を整えました。その後、彼らはヨルダン川を「東」 から「西」へと渡る、新たな一歩を踏み出したのでした。ヨシュアに導かれてヨルダンの西側に踏み出した 民たちの一歩は、神さまの救いの中に踏み出す大胆な一歩でした。ヨルダン川を西に渡ったその先で、 彼らは神さまの約束の土地を見たのでした。

 洗礼者ヨハネはヨシュアのように民たちを「東」から「西」に導いたわけではありません。その代わり、「地 上」の生涯から「天」の御国に所属を移す導きを行いました。ヨハネは人々に「罪の赦しを得させるために 悔改めの洗礼」を求めました。モーセとヨシュアの時代、神さまが自らの罪と向き合う40年間を定めたように、ヨハネは民たちに自らの罪を見つめ、罪の赦しを得させるための「洗礼」を受けるよう勧めました。ヨシュアの時代、ヨルダンの川を渡った民たちはエジプトから導き出されたままの民たちではありませんでした。 40年間のうちに世代が変わり、試みを経験し、自らの罪を見つめ、神様への信頼を確信して生まれ変わ った民たちでした。ヨハネもまたそのような内面的な“生まれ変わり”を求めました。洗礼は「罪に死に、キリ ストに生きる」と言われます。ヨハネによって洗礼を授けられた人々は神様によって罪赦され、神様の救い に入れられた新しい民たちでした。「ベタニア」あるいは「アイノン」で洗礼を授けられた人々は、ヨルダン川を渡り、救いに入れられた民たちの歴史を、言わば、追体験したのでした。イザヤの預言に従ってやって 来られる御方、主イエス・キリストを待ち望みつつ、罪の赦しと復活の希望に向かって大胆に歩み出す人 々の希望の姿がそこにありました。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、その方の履物の ひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けにな る。」―教会は、現代に至るまで、主イエス・キリストの御名による洗礼によって神様の救いの歴史に与って います。

 ヨハネが人々に勧めた「洗礼」は、同時代のユダヤ教の中に類例のない特異な教えでした。例えば、ユ ダヤ教の一派でクムランの近くで隠遁生活を送ったとされるエッセネ派では、宗教的な清さを保つため、 日常的、また規則的に「洗礼式」を行ったようです。しかし、ヨハネが人々に宣べ伝えた洗礼は、宗教的な清さを保つための洗礼ではなく、「罪の赦しを得させるため」の洗礼でした。しかも日常の中で繰り返し行われる洗礼ではなく、生涯の中で「たった一度きり」の洗礼です。ヨシュアと民たちがヨルダン川を渡った出 来事が、歴史上一回きりの出来事であったように、ヨシュアもまたその人の生涯に一度切りの洗礼を宣べ 伝えました。たた一度の洗礼式によって、神さまは私たちを力強く救いに導き入れてくださいます。ヨシュ アが民たちをヨルダンの対岸に導き入れたように、主イエス・キリストが私たちを神さまの御国へと導き入れてくださいます。

 イースターの朝、復活された主イエス・キリストの姿は、神の国に導き入れられた私たち自身の将来の姿でもあります。私たちは復活の朝、主と共に、神様の御国を見る喜びに招かれています。神様の救いを大胆に受け止め、新たな年度、新たな救いの年へと歩み出しましょう。

祈祷
天の父なる神さま、わたしたちの罪を担い、私たちを天のみ国へ導き出してくださいましたことを感 謝いたします。あなたが与えてくださった復活の朝の礼拝の幸いを受け、1週間の務めへと遣わされてゆ きます。先日のイースター礼拝において銀座教会に新たな兄弟姉妹たちが加えられたことを嬉しく思いま す。共にあなたの御国に招かれた者として、日々新たにされる歩みを歩ませてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン