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銀座の鐘

「恐れるな、喜べ」

説教集

更新日:2021年12月05日

2021年12月5日(日)待降節第2主日 家庭礼拝 伝道師 藤田 由香里

ルカによる福音書 1章26~38節

 去る主日より、救い主の御降誕を待つ待降節をお迎えしました。本日は、「受胎告知」の聖書箇所です。御子キリストの御降誕は、この歴史上たった一度起こりました。これは、この世界をお造りになり、統べます神のご計画によります。その計画は、旧約聖書から預言者の口を通して告げられてきました。預言者イザヤを通して、「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ書7章14節)と言われておりました。
 神の御子の誕生は、密かに隠されるようにして始まりました。天使ガブリエルは、主イエスの半年前に誕生した洗礼者ヨハネについては、公の場所、聖所で父ザカリアに対して告げました。それに対して、キリストの御降誕は、小さなガリラヤのナザレという村で、ダビデ家のヨセフと婚約しているおとめに告げられました。天使ガブリエルが歩み出しました。神の御計画のため、歩み出しました。何も知らず、予感さえ持たないマリアに告げるために。
 天使は、マリアに言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられ る。」この挨拶は、「喜べ」と言われています。挨拶の言葉でもあったようです。神様から使わされたマリアに天使が始めに告げた言葉は「喜びなさい」という言葉でした。
 マリアは、神の栄光のご臨在に出会いました。主への大きな畏れを抱きました。 この言葉に戸惑い、この挨拶は何のことかと考え込みました。すると、天使は言いました。「マリア、恐れることはない。」天使はマリアに恐れるな、と呼びかけます。神はマリアの恐れをご存知でした。宗教改革者カルヴァンは、このマリアの恐れを「人々のうちに悪が溢れているのを見ていたので、恐ろしい神の復讐を懸念したのはもっともなことである」と記しています。神のみ前に立つ人間とその世界の人々のうちの罪深さを恐れる、それはノアの時代も、ロトについても言われていることです。信仰による義をもたらしたキリストが現れる前の律法の時代、律法に生きる民が恐れたことは想像に難くありません。わたしたちの時代にも、様々な規模・場所で、このような溢れる悪の痛みをみます。しかし、ノアやロトをその只中から救い出した神は、そのような厳しい時代、状況においてみ手を働かせます。天使は、そのようなマリアの「恐れ」を取り去るため、神の「喜び」で満たすため、測り難い大きな恵み・祝福を告げようとしています。
 「恐れるな、マリア。」に続いて「あなたは神から恵みをいただいた。」とあります。この表現は、ヘブライ語から来ている表現です。神様から、ノアや、モーセに対しても 語られている表現です。「主から好意を得た」と言われます。あえて直訳するなら、「あ なたは神にあって恵みを見つけた」つまり、神から十分な恵みを差し出され、それを発 見したのです。恵みを受け取ったのです。
 天使ガブリエルは続けます。「 31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
 天使はマリアが男の子を宿すことを告げました。その名はイエス「救い」という名です。この名付けは、父ヨセフにも夢で告げられていました。生まれるイエスは、偉大な人、いと高き方の子、ダビデの王座につき、とこしえにヤコブの家を治め、支配する。ダビデのひこばえから、ひとつの若枝が起こる。これは、神の国の王座を御支配される子なる神が地上で命を受ける、受肉する時を告げています。34 マリアは天使に答えました「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」婚約中であり、まだ結婚していないマリアは、率直に答えました。 35 天使は続けて答えました。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 37 神にできないことは何一つない。」
 救い主は、使徒信条で告白されているように「聖霊によりて宿り」ました。マリアは、親類エリサベトの身に起こったことも聞き、「神にできないことは何一つない」この天使の言葉を受けました。これは神がなさっていることとしか思えないという思いを、マリアは抱きました。現実的に考えれば、結婚前に子を宿したということは、婚約者ヨセフに対しても、マリアに対しても、恐ろしい事態が起きたと言えます。不貞は、律法によれば石打ちの刑になり得ます。現にヨセフは、このことを聞いて、マリアを助けるために、自分の元から去らせる決意をしていました。理由もわからぬ最悪の事態と思えるその状況で、神の恵みの知らせが、決定的に働くということがあります。「神にできないことは何一つない」のです。それは、この御言葉に耳を研ぎ澄ますことで、聞こえてくる恵みです。
 マリアは、この天使の告知を、まっすぐに受け止めました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカによ る福音書1章38節)
 神の言葉通り、神のご計画通り、そのことがどうかこの身に成りますように。マリアはその恵みの知らせを、しっかりと受け止めました。恐れよりも、主にお従いする喜びに、信仰の喜びに、聖霊に包まれていたのです。言い換えれば、マリアは、聖霊によって、主の言葉を受け取ったのです。
 神の言葉は偉大であり、実現する言葉です。イザヤの預言が告げる通りです。
「10 雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え食べる人には糧を与える。 11 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻 らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす。」(イ ザヤ書55章10〜11)
 この受胎告知の話には、旧約聖書から指し示される事柄で溢れております。神のご計画は、人間の恐れを取り去り、喜びへと変えるため、確かに決定的に実行されました。その始まりは、確かに密かに・静かに・おとめの心に隠されていました。救いの宝をこの世界に隠しておくために、神はそのような場所を選ばれました。しかし同時に、何と旧約聖書から示唆されることで溢れているでしょう。マリアは、これから生まれる子イエスにダビデの王座を与えるという言葉を耳にしました。マリア自身は、アロン家の娘エリサベトと親類ということから考えれば、祭司アロンの家のものということが考えられます。婚約者のヨセフと結婚することで、この子はダビデの家のものでありました。王ダビデの家ヨセフと、祭司アロンの家のマリアのところに、王・祭司・預言者として油注がれるキリストがお生まれになります。また、「わたしは主のはしためです。」とのマリアの応答は、「しもべ」という意味で「神の僕」としてよく用いられました。また、ダビデ王朝の時代、ダビデの妻となるアビガイルやサウルの家のメフィボシェトが、ダビデ王に対して口にした言葉でもあります。服従と敬意と信頼と仕える喜びを表すような言葉ではないでしょうか。おとめマリアに起こった受胎告知は、聖霊によって起こりました。マリアの様々な「恐れ」は、神の喜びのみ告げにより、聖霊によって言葉を受けることにより、信仰によって言葉を受け取ることにより、主にある「喜び」に変えられておりました。大きな神の平安がマリアを包みました。この喜びは、これから生まれることを待つ神の子イエスが世界にもたらされる偉大な救いの喜びの前触れとなっております。「恐れるな、喜べ、あなたは主から恵みをいただいた。」このみ言葉は、また私たちに向かっても、語りかけられる神の恵みへの招きであります。

 祈り 愛する独り子を世に与えたもうほどに世を愛される神、「主は聖霊によりて宿、おとめマリヤより生まれ」この救いの出来事が、神のくすしきご計画として始まるそのみ言葉をいただきました。私たちの恐れを知り、それらを取り去り、まことの喜びへと変えてくださる福音の恵みに感謝いたします。イエス・キリストの御降誕と再臨とを覚え、この待降節を祈りと信仰の喜びのうちに過ごすことができますように。わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。
アーメン