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銀座の鐘

心を尽くし、魂を尽くした王、ヨシヤ

説教集

更新日:2022年11月19日

2022年11月13日(日)聖霊降臨後第23主日 主日礼拝(家庭礼拝) 伝道師 山森 風花

列王記下23章1~3節

 私たちは聖書日課に従って、神の民イスラエルに王制が始まったということを、イスラエルのはじめての王であるサウルの物語を通して見ました。また、サウルの後にダビデがイスラエルの十二部族の王として建てられたということをも見てきました。
 本日は列王記下を共にお読みしていますが、列王記上では、ダビデ王の息子であり、神殿建設をしたソロモンの治世について語られています。しかし、ソロモン王の死後、十二部族の統一王国は、ソロモンの子に謀反を起こして建てられた北イスラエル王国と、ダビデとソロモンの王位継承者に忠実に従った南ユダ王国の二つに分かれてしまいます。
 列王記上に続く列王記下では、北イスラエル王国は南ユダ王国よりも一足先にアッシリアによって滅ぼされてしまいました。しかし、ダビデ、ソロモンと続くダビデ家の王位継承者に忠実であった南ユダ王国は残っていました。本日私たちに与えられた聖書箇所は、この残された南ユダ王国の王であるヨシヤ王について記されています。
 ヨシヤ王は八歳で王となり、三十一年間王として南ユダ王国を治めていました。ヨシヤ王について、列王記下22章2節では「彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれなかった。」と書かれています。
 このヨシヤ王は改革をしたことで有名な王様ですが、彼の改革のきっかけは、主の神殿を修復する工事の中で、律法の書が発見されたことから始まりました。この律法の書と呼ばれている書物は、申命記の書の一部であったと考えられています。この発見された律法の書を書記官シャファンがヨシヤ王の前で読み上げ、律法の言葉を聞いた時、ヨシヤ王は衣を裂いたと書かれています。(列王記下22;10-11節)
 衣を裂くのは嘆き悲しみのしるしですが、なぜこの律法の言葉を聞いて、ヨシヤ王が嘆き悲しんだかというと、それはヨシヤ王がこのように言っている通りです。
この見つかった書の言葉について、わたしのため、民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記されたとおりにすべての事を行わなかったために、我々に向かって燃え上がった主の怒りは激しいからだ。」(列王記下22;13節)
 先ほど発見された律法の書は申命記の書の一部であると言いましたが、申命記28章がこの中に含まれていたと私たちはヨシヤ王の行動から推測することができます。なぜなら、申命記28章には、「神の呪い」と小見出しがつけられているように、主なる神様に対して不従順な者へ対しての呪いがまとめられているからです。おそらく、ヨシヤ王は神の民イスラエルが契約を守ら なかったときの呪い、そして、その結果としてイスラエルの民の捕囚が記された申命記の箇所を聞き、主の怒りが激しいものであることを知ったのでしょう。
 主の怒りを知ったヨシヤ王は、主の御旨を尋ねるために女預言者フルダのもとにかなりの人数の代表者集団を遣わしました。この女預言者フルダの預言は、内容として二つに分けること ができます。
まず、22章15-17節に記されている一つ目の預言をお読みいたします。
イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたたちをわたしのもとに遣わした者に言いなさい。 主はこう言われる。見よ、わたしはユダの王が読んだこの書のすべての言葉のとおりに、この所とその住民に災いをくだす。 彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で造ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わたしの怒りはこの所に向かって燃え上がり、消えることはない。
 非常に厳しい言葉が記されています。「ユダの王が読んだこの書のすべての言葉のとおりに」というのは申命記に書かれている主の教えに従わない人々に下される呪いのことですが、南ユダ王国の民が主なる神様ではなく偶像崇拝をしたことによる神の怒りは燃え上がっており、この怒りは消えることがないと言われています。つまり、神の罰として南ユダ王国が滅亡するということは避けられないとはっきりと告げられているのです。
 続く18-20節に記されている二つ目の預言はヨシヤ王個人に関する預言です。お読みいたします。
主の心を尋ねるためにあなたたちを遣わしたユダの王にこう言いなさい。あなたが聞いた言 葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。 わたしがこの所とその住民につき、それが 荒れ果て呪われたものとなると言ったのを聞いて、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖の数に加える。あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られるであろう。わたしがこの所にくだす災いのどれも、その目で見ることがない。』
ここで「あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られる」とありますが、ヨシヤ王の死について、列王記下23章29-30節にはこのように記されています。
 「彼の治世に、エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王に向かってユーフラテス川を目指して上って来た。ヨシヤ王はこれを迎え撃とうとして出て行ったが、ネコは彼に出会うと、メギドで彼を殺した。 ヨシヤの家臣たちは戦死した王を戦車に乗せ、メギドからエルサレムに運び、彼の墓に葬った。国の民はヨシヤの子ヨアハズを選んで、油を注ぎ、父の代わりに王とした。
 ヨシヤ王はエジプトの王によって殺されてしまうのです。私たちはこのヨシヤ王の最後について聞くとき、この預言者フルダに与えられた主の言葉は一体どうなってしまったのかと思ってしまうかもしれません。しかし、ここで言われている安らかに息を引き取って墓に葬られるというのは、南ユダ王国に下される主なる神様の災いを、つまり、南ユダ王国の滅亡も捕囚の出来事も見ることなく息を引き取ることができるという意味なのです。
 このような女預言者フルダの二つの預言を聞いたヨシヤ王が行ったこと、それが本日の聖書箇所、列王記下23章1-3節に記されています。ヨシヤ王はすべての長老、すべての人々、祭司と預言者も、下の者から上の者まで欠けることなくすべての民を呼び集め、すべての民と共に主の神殿に上りました。
そして自分が聞いたあの律法の書、契約の書のすべての言葉を民に読み聞かせたのです。読み聞かせが終わった後、23章3節で、ヨシヤ王は「主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓」いました。聖書には、この契約には集められたすべての民も皆加わったと記されています。このようにしてヨシヤ王は自ら率先して、主の契約に立ち返り、そして、すべて のイスラエルの民も主から与えられている契約に立ち返るように求めたのでした。
 この後、ヨシヤ王は主の御前で契約を結んだ通り、心を尽くし、魂を尽くして、宗教改革を行っていきます。それは列王記下23章24-25節に「ヨシヤはまた口寄せ、霊媒、テラフィム、偶像、ユダの地とエルサレムに見られる憎むべきものを一掃した。こうして彼は祭司ヒルキヤが主の神殿で見つけた書に記されている律法の言葉を実行した。 彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。」と記されているとおりです。
 このようにヨシヤ王は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれることなく、イスラエルの民を唯一の神である主なる神様との契約関係に引き戻し、異教の神々の偶像や祭壇を取り壊す宗教改革をしたのでした。そして彼は女預言者フ ルダの預言通り、南ユダ王国の滅亡と民の捕囚を目の当たりにすることなく、安らかに息を引き取り、先祖の墓へと葬られたのでした。
 私たちはこのヨシヤ王の物語を聞くとき、彼がまことに心を尽くし、魂を尽くして主に従った王様であったということを思い知らされます。そもそも彼は律法の書が見つかる前から主の神殿の修復作業を手がけていた敬虔な王様でしたが、特に私たちが注目したいのは、女預言者フルダの預言を受けた後のヨシヤ王の行動です。
 預言によって偶像崇拝にふけったイスラエルの民への主の燃え上がった怒りは消えることがなく、災いを避けることはできないと告げられているのにも関わらず、ヨシヤ王はこの主なる神の契約に再び立ち返るように下の者から上の者まで欠けることなくすべての民を呼び集め、すべての民に契約を結ばせたのです。
  ヨシヤ王は確かに主なる神様の怒りを前にして、何もなすすべなどありませんでした。しかし、それにも関わらず、彼は与えられた契約の書に従って、心を尽くし、魂を尽くして誠実に信仰者として生きたのです。神の民イスラエルに建てられた王として、民をも正しい道へ、主なる神様との契約関係に生きる道へと導いたのです。
 その生涯において、心を尽くし、魂を尽くしたこの信仰の先達であるヨシヤ王に倣って、私たちも信仰者としてこの地上での信仰生活を共に歩んで参りたいと願います。

 祈り 天の父なる神様、あなたの御名を讃美いたします。本日は三回の礼拝において、聖餐の恵みに 与ります。どうか今、様々な事情で家庭礼拝を捧げている一人一人が再び教会に集められ、こ の恵みに共に与ることができますように。主よ、どうか平和と祝福をお与えください。アーメ ン。