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銀座の鐘

その星を見て喜びにあふれた

説教集

更新日:2023年01月01日

2023年1月1日(日)降誕節第2主日 銀座教会 新年礼拝 牧師 髙橋 潤

マタイによる福音書2章1~12節

 共に新年を迎え、元日に新しい信仰をいただき礼拝に導かれたこと感謝します。   
 本日の聖書の御言葉は、東方の占星術の学者たちが救い主の誕生を喜び礼拝する姿が描かれています。マタイによる福音書はこの出来事を驚きの出来事として伝えています。現在私たちが用いている新共同訳聖書では福音書記者マタイの驚きを表現する言葉が残念ながら隠れています。ギリシャ語聖書では「イドゥー」という思いがけない驚きを表現する言葉が本日の御言葉の中で2回用いられています。以前読んでいた口語訳聖書は「イドゥー」を「見よ」と訳しています。「見よ、東から来た博士たち がエルサレムに着いた」。この「見よ」が驚きを表現する言葉です。はるばる東の国から旅をしてきた占星術の学者たちの姿を見て、驚きのあまり「見よ」と語っているのです。この驚きの表現「イドゥー」は9節にも記されています。口語訳聖書の9節は「見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼子の所まで行き、その上にとどまった。」と翻訳されています。驚きを表現する「イドゥー」はここでも「見よ」と訳されています。マタイ福音書の記者はこの「驚き」を伝えているのです。
 福音書記者マタイはここで二重に驚いています。主イエスがベツレヘムでお生まれになったときの第1の驚きは占星術の学者の訪問です。東方の国からエルサレムに占星術の学者が来てこういうのです。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」この問いは特にヘロデ王にとって思いがけない驚きの質問でした。エルサレムにいるヘロデ王をはじめ、王に仕えていた律法学者たちでさえ何も知らなかったからです。王となるお方の誕生の知らせを突然、東の国から来た占星術の学者たちから聞かされたのです。占星術の学者たちの訪問は始めから終わりまで驚きの出来事でした。
 第2の驚きは星です。占星術の学者たちをここまで導いた不思議な星が主イエスの所まで先導していることです。占星術の学者たちは東の国で見た星に導かれるままに誘導されて、エルサレム、そしてベツレヘムまで来ました。ヨセフとマリアが抱いている主イエスのところまで導いたのです。この「不思議な星」は占星術の学者たちをはるばる東の国からベツレヘムの救い主のところまで導いたのです。これこそ、驚きの出来事ではないでしょうか。
 ヘロデ王はユダヤ人の王として生まれた方がいることを東の国の学者たちから聞かされ、ヘロデ王は不安を抱きはじめました。新しい王の誕生を喜んだのはユダヤ人ではなく東の国の異邦人だったのです。福音書記者マタイは神の導きの真実を驚きつつ受け止めているのです。
 神はユダヤの王として生まれた主イエス誕生について、ユダヤ人を差し置いてユダヤ人ではない異邦人である東方の学者に語らせているのです。第2の驚きは、星が異邦人を救い主を礼拝する場へ導いていることです。
 この学者たちが主イエスを礼拝する姿こそ神の導きなのです。学者たちの礼拝によって、当時のユダヤ人たちが忘れていた旧約聖書の御言葉を思い出さなければならないことを知らせているのです。
 旧約聖書にはアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフはじめ多くの預言者によって、神の御業は異邦人世界へ広がることが語られていました。王国が滅亡した後、ペルシャの王によってエルサレムが再建されました。神の御心は、ユダヤ中心主義ではないことが繰り返し語られていたのです。
 主イエスの誕生の時、東方の学者たちの礼拝によって、忘れ去られていた御言葉を思い起こすことになったのです。主イエスはユダヤ人としてお生まれになりました。しかし、神の救いの恵みはユダヤ人に限定されているのではなく、世界を創造された神の御業は全ての民に与えられる希望をマタイによる福音書は語っているのです。神の救いが異邦人へ開かれていること、学者たちが不思議な星に導かれて救い主にお会いしたことから神の恵みの道がユダヤ人から異邦人へ伝えられていくのです。
 東方の占星術の学者たちとは、ギリシャ語では「マゴス」と記されています。マゴスは、元来ペルシャの宗教者で祭司の働きを担った人々という意味があるようです。マゴスの具体的な働きは、当時の学問の最先端であった天文学や薬学を用いて神々を伝えることでした。使徒言行録13章には、東方のマゴスではなくユダヤ人のマゴスが登場します。ユダヤ人のマゴスは「地方総督を信仰から遠ざけようとして」いました。このマゴスはパウロとバルナバににらまれています。東方から来たマゴス、占星術の学者たちは、旧約聖書を読んでいたと思えませんし、聖書の神を信じていたとは到底考えられません。多分、異教的な霊に仕える人々であったと思われます。そのような人々が東方の自分たちの土地を離れ、不思議な星に導かれて、はるばるエルサレムを経由してベツレヘムへ導かれたのです。ここにクリスマスの導きがあるのです。
 今、私たちが救い主の御降誕を喜ぶ礼拝に招かれているということも、マゴスの礼拝と同じくらい驚くべきことなのではないでしょうか。日本において、銀座の地において、教会に導かれて、讃美歌を歌い聖書の言葉を喜んでいるのです。東方の学者たちを導いた「不思議な星」と同じような働きをする私たちを導く「星」があるということを覚えたいと思います。
 私たちにとっての「不思議な星」は何であるかは一人一人違うことでしょう。そして、私たちを救い主へと導く星は、人生の途上で様々な形で明らかにされることでしょう。両親が祈る姿によって教会へ導かれた人もあります。聖書を読んで、教会へ導かれた人もあります。信仰者の姿を見て、教会の門をくぐった人もあります。私たちを導く不思議な星は聖霊の導きと言えるでしょう。その導きは一人一人違いますが、9節に記されているように「東方で見た星が先立って進み」とあるように、私たちのために「先だって進む」のです。そして、ついに「幼子のいる場所の上に止まった」
とあるように、主イエスの所まで確実に私たちを導いてくれるのです。
 主の導きは私たちに「先だって進んで」いること、すでにここまで導かれていることを思い巡らしたいと思います。東方の学者たちは、主イエスにお会いする前までは聖書の神さまに出会うことも神を知ることもなかったはずです。しかし、東方の学者たちは、祭司長や律法学者が王に伝えたマタイ2章6節の預言者ミカの御言葉を受け入れ、この御言葉を信頼してベツレヘムへ向かったのです。そして彼らは、その星を見て喜びにあふれました。喜びにあふれた学者たちは、救い主の家に入りました。そこで、父ヨセフと母マリアに抱かれている主イエスに会い、彼らはひれ伏して、幼子を拝み初めての礼拝を献げました。学者たちは「宝の箱」を開けて、黄金、乳香、没薬(もつやく)を贈り物として献げました。
 東方の学者たちの「宝の箱」については様々な解説があります。黄金、乳香、没薬は高価な贈り物で、ペルシャでは最も大切な宗教的な儀式で用いるものとされていたようです。この最高の贈り物は、一つ一つ礼拝者に相応しい意味が与えられて解釈されることがあります。その一例は、黄金は王を表す金、乳香は神への祈り、没薬は十字架のキリストの葬りを指し示していると説明されています。ここで大切な事は、贈り物の価値ではなく、東方の占星術の学者たちが幼子イエスの前にひれ伏して、最大限の礼拝姿勢をもって礼拝していることです。
 彼らは礼拝後、「ヘロデのところへ帰るな」と夢のお告げを聞き、このお告げをヘロデ王の言葉より重んじて神の導きとして受け止め従ったことです。彼らは別の道を通って自分たちの国へ帰っていきました。救い主の誕生は、彼らを最後まで守り、彼らの喜びを東の国へ伝える道を開いく驚くべき出来事となったのです。
 占星術の学者たちの不思議な星に導かれるという経験は旧約聖書詩編119編10 5節の御言葉通りの出来事です。「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩 みを照らす灯」。主の年2023年を迎えました。聖書に証言されているとおり、私 たちを導く星が一人一人に相応しく与えられます。新年、私たちに与えられる不思議 な星に導かれて、救い主を礼拝しましょう。私たちの足もとがどんなに暗くても、御 言葉が道の光となって照らしてくださいます。神さまの御言葉を信頼して、学者たち が喜びにあふれたように、喜びの礼拝を捧げ続けましょう。神の御業の前に驚きの出 来事を証し、神が与える喜びを胸に新年の第一歩を共に歩み出せることを感謝いたし ます。