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銀座の鐘

今、告げ知らされている救い

説教集

更新日:2023年09月17日

2023年9月17日(日)聖霊降臨後第16主日 銀座教会 家庭礼拝 牧師 近藤 勝彦

ペトロの手紙一1章10~12節

 聖書は救いを証言し、救いを伝えていますが、このことは多くの人が知っていることです。そして救いは、誰もが求めているものではないでしょうか。教会にはまだ来ないけれども、聖書を開いて、読もうとした人は多いのではないでしょうか。その人たちも救いを求めるところがあったでしょう。聖書によって求めることを知ない人であっても、救いは求めていると言うことができるでしょう。福音書に多くの人々が登場します。パリサイ人や律法学者も出て来ますが、漁師や徴税人たち、それに羊飼い、生まれつき目の見えない人や12年間長血を患った婦人、子供が癲癇に苦しんでいる父親、嫌われ者のザアカイ、名の知れないその町の罪の女と言われる人、皆、救いを求める人たちです。ユダヤ人だけではありません。サマリアの女、スロ・フェニキアの女、ローマの百人隊長、「真理とは何か」と問うたポンティオ・ピラトを含めて誰もが救いを求めていました。彼らは救いを求めて主イエスのそば近くに登場しています。主イエスの誕生の時、すでに東方の博士たちがメシアを求めて訪ねて来たと伝えられます。遥か東方の国々にあって、彼らは救いを求めており、救いを指し示す星をしきりに観測していたわけです。世界中の人間が救いを求めている、そのことを今朝の聖書の箇所も示しているのではないかと思います。
  ここには預言者たちのことがでてきます。「この救いについては、あなたがたに与えら れる恵みのことをあらかじめ語った預言者たちも、探求し、注意深く調べました」と言う のです。預言者たちはそれぞれの時代のイスラエルの不信仰に対して神の言葉を語って悔 い改めを迫りました。彼らはまた将来、神からのメシアが来るとの約束をイスラエルの民 に告げて、真の希望を持てるようにしました。彼ら預言者たちはイスラエルの救いを求め たと言うことができますが、それは同時にイスラエルの救いに基づいて他の諸民族も救い に与ることを願って、またそう信じていました。例えばエレミヤが預言者としての召しを 受けたときの神からの召命の言葉は「わたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立て た」(エレ 1・5)とあります。預言者エレミヤが救いの約束を語るとき、それは諸国民の 救いの願望を背負って預言の言葉を語ったわけです。イザヤが「主の僕」を預言したとき、 主がその苦難の僕の使命を語った言葉を伝えています。「わたしはあなたを国々の光とし、 わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする」(イザ 49・6)。預言者たちは、神の 救いを探求し、地の果てまでもたらされるべき救いについて注意深く調べていたと言うの です。
 預言者たちが探求し、調べた救いは、神のメシア、つまり「油注がれた方」による救いでした。キリストという名は「油注ぐ」(クリオー)という動詞の変化形で「油注がれた者」(クリストス)という意味です。預言者たちはキリストの霊によってキリストの出現を預言しながら、それが誰か、どの時期を指すのか調べたと言われます。キリストによる救いは、「キリストの苦難とそれに続く栄光」による救いと記されています。ですから、全人類の救いを負って苦難のメシアが、そしてそれに続くメシアの栄光が「誰」をそして「どの時期」を指すのか調べたのだと言われるわけです。その上で、預言者たちは、それらのこと、つまりキリストの苦難と栄光による救いが「あなたがたのため」であるという啓示を受け取ったと言われます。決して分かり易い文章ではありませんが、聖霊に導かれて福音を告げ知らせた人々が「今、あなたがたに告げ知らせている」、預言者たちが探求し、注意深く調べたキリストの苦難と栄光による救い、つまり主の十字架と復活による救いは、あなたがたのためであり、あなたがたに告げ知らされています。
 高度なギリシャ語文体で文章は捉えにくいかもしれません。しかし聖書が語っている筋は明確です。預言者たちが探求し注意深く調べた救いは、「キリストの苦難とそれに続く栄光」による救いであるということ、預言者たちは「キリストの霊」、聖霊による示しを受けて、誰をいつを指すかを調べ、その救いが「あなたがたのため」であり、「今、あなたがたに告げ知らされ」ている。預言者たちはそれを知りたく願って、注意深く調べたのだと言うのです。
 主イエス・キリストによる救いには、長い過去の歴史があります。キリストによる救いはその苦難と栄光による救い、つまり十字架と復活による救いですが、それが福音としてあなたがたに告げ知らされています。それが今です。この教会の今には、長い背景と文脈があって、はるか以前に預言者たちが今のことを探求し、注意深く調べていたというのです。つまり、キリストによる救いには、神の大きなみ旨と御計画があっての救いです。ですからこの救いがどれほどのものか、それを探求していた預言者たちやイスラエルの父祖たちを知ることによって一層、分かるのではないでしょうか。それは神の大きな御計画を知ることで、ある人は「神の大がかりな用意」と言いました。「キリストにある救い」は「神の大がかりな救いの用意」から理解されなければなりません。
 ヨハネによる福音書には、主イエスがアブラハムのことを語って、アブラハムは「わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そしてそれを見て、喜んだのである」(ヨハネ 8・ 56)と言われたことが記されています。アブラハムは主イエスの日を見たいと望んでいた、そしてそれを見て喜んだと、ヨハネによる福音書は書いています。アブラハムは救いを求めて、神の契約にあずかり、その子孫と共に世の全ての民が神の契約によって祝福に入れられるとの約束をいただきました。それは主イエスの日を見るのを楽しみにしたことでし ょう。
 世界中どの人もみな救いを求めているのではないかと申しました。そのことはアブラハムが受けた約束にも、預言者たちの使命にもあったことでした。それはすでに神の大がかりな用意の現れです。
 この手紙の受け取り手たちは、そのとき救いに入れられていました。私たちも今日、救いを告げ知らされており、キリストの苦難と栄光の救い、主の十字架と復活の救いに与っています。聖霊はキリストの霊として、神のこの長大な御計画を貫いて働いています。
 もう一つ興味深いことは、キリストによる救いとその救いに私たちが与ることを、預言者たちだけでなく、「天使たちも見て確かめたいと願っている」と記されていることです。「見て確かめる」という言葉は「前のめりになってのぞき込む」という言葉です。天使たちがキリストの苦難と栄光による救いに人々が今与るのを、前のめりに覗き込むようにして、確かめたいと願っているというのです。天使というのは、被造物の中でも最も神に近い存在とされています。しかしその彼らにも分からなくて知りたい、見て確かめたいと願っていることがあります。それはキリストの福音が告げ知らせている救いで、その救いにあなたがたが与っているということです。キリストによる救いは、全人類的な願望ですが、それだけでなく、アブラハムや預言者の願望であり、それだけでなく、その救いに私たちが与ることは、天使の使命に関わっていることで、全被造物の待望がかかっているとも言えるでしょう。
  誰もが求めている救いは実は「キリストの苦難と栄光」による救いです。そしてそれが「今、あなたがたに告げ知らされて」います。それを「教会の今」と言ってもよいかと思います。教会の今、あなたがたの今が、キリストの苦難と栄光による救い、預言者たちが 探求し調査し見たいと思っていた救いに与っている時ですし、天使たちが前のめりになってでも覗いて見て確かめたかったことです。この手紙の最初の受け取り手と同じように、この「あなたがた」に私たちも連なっています。それが今、私たちにも起きています。私たちに福音が告げ知らされて、キリストの十字架の苦難と復活の栄光による救いが、今、起きているからです。教会の今は、神の長大な救いの御計画の最先端にあると言ってもよいのではないでしょうか。天使たちが是非見て確かめたいと思っている救いのことがらに 私たちも加えられていることを感謝しましょう。

 聖なる天の父、
 まことに大がかりな救いの御計画と綿密な御用意をもって、主イエス・キリストの十字架と復活による救いが遂行されましたことを覚えて、御名を賛美いたします。その主による御救いに私たちをもあずからせてくださいましたことを心より感謝いたします。あなたが用意され、聖霊が証し、主イエス・キリストの十字架と復活がそのために捧げられた救いこそ、まことの救いです。この救いの福音を地の果てにまで伝える教会の働きに、私たちをも加えてください。救いに与った信仰の確信と喜びのうちに、イエス・キリストをすべての人の救い主として証していくことができますようにお導きください。主イエス・キ リストの御名によってお祈りいたします。
アーメン。