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銀座の鐘

「聖霊によらなければ」

説教集

更新日:2026年05月23日

2026年5月24日(日)聖霊降臨日ペンテコステ 銀座教会・新島教会 主日礼拝

使徒言行録2章1~13節

 私たちは礼拝において、使徒信条を含む日本基督教団信仰告白によって私たちの信仰を告白いたします。この信仰告白の中の使徒信条の部分で「我は聖霊を信ず」と告白いたします。聖霊を信じるということはどういうことを信じているのでしょうか。聖霊とはどんな神なのでしょうか。
 使徒信条では、父子聖霊を信じる告白の直後に、「主は聖霊によりてやどり」とあります。主とはイエス・キリストです。主イエスは聖霊の働きによってマリアに宿ったという信仰です。神の御子である主イエスが人となって生まれたのは、聖霊の御業、聖霊の働きであるということです。聖霊はキリストをこの地上にお与えになり、私たちが神を信じる信仰の実を結ぶために主イエスをお与えになったのです。
 コリントの信徒への手紙一 12章 3節には、聖霊によらなければ誰も「イエスは主である」とは言えないと記されています。キリストによる救いを私たちにもたらしてくださり、私たちが信仰を告白している時、実は聖霊なる神がお働きになっているのです。聖霊の働きなくして、礼拝が礼拝にならないということです。聖霊はキリストの働きを私たちの内に与えてくださったのです。聖霊は、私たちを主イエスに結び合わせ、私たちに信仰を与え、教会に導いてくださり、御言葉を与え、聖礼典(洗礼と聖餐)に与らせてくださる神なのです。私たちは、聖霊によって信仰を与えられ、神の救いへの希望を与えられ、神の愛によって導きと赦しを与えられて、「一つに集められ」礼拝を守っているのです。
 キリスト教会最大の教父と呼ばれる、紀元4世紀に活躍したアウグスティヌスは、聖霊についてこのように教えました。聖霊とは「御父と御子の愛の絆」であるという言葉です。この言葉から父と御子の愛の交わりである聖霊は、私たちのうちに愛の絆として神を信じる信仰を確かにしてくれるのです。聖霊は、愛の絆として神と私たちを結ぶ力を発揮するのです。私たちが生きているこの地上はお互いを分断する力によって支配されているように思われるかもしれません。しかし、このような世の力の中で明確に大きな声で「聖霊を信ず」と告白するのです。私たちを取り巻く環境がどんなに危機的であっても、神の愛によって結ばれる聖霊なる神の力が働いているのです。神と私たちを結び合わせる力が与えられていることを覚えたいと思います。
 聖霊はヘブライ語でルーアッハ、ギリシャ語でプネウマと発音します。どちらも「息」を意味し「命」の源を示す言葉です。命を与える聖霊が、私たちを神と結び合わせてくださり、生き生きと生きる力を与えてくださるのです。聖霊は「命をもたらす霊」(ローマ8章2節)です。この聖霊が働いた瞬間が本日のみ言葉です。
 「五旬祭の日が来て」、聖霊が降り、神の愛の絆によって新しいイスラエルとしての集会、すなわち教会が誕生しました。最初のペンテコステは、五旬祭というユダヤ教の過越祭から五十日目(ペンテコステ)に行われる七週祭の日に起こった出来事です。この日は、収穫感謝の日であり同時にモーセが神から律法を授けられた記念日でした。出エジプトのイスラエルの神の民が荒れ野の旅で神の民として整えられるために、礼拝と生活の規範として律法を与えられたことを思い起こす日です。最初の聖霊降臨日は、律法授与記念日に起こったのです。ここにも大切な意味があります。それは聖霊の働きが、愛の絆であるだけでなく、神の言葉を与える日となったからです。
 聖霊降臨日は、教会の誕生日、伝道開始の日として礼拝をささげます。本日の聖書は、祈るために集まっていた主イエスを信じる群れが、不思議な経験をしました。天から激しい風の音が家中に響き、風の音によって聖霊なる神が、祈りの部屋に来られたのです。
 この出来事を聖霊降臨と呼びます。聖霊が降った後、不思議な出来事が起こりました。一人一人に「炎のような舌」が与えられました。この炎のような舌とは、神のみ言葉です。主イエスの十字架と復活の福音です。この福音を与えられた人々が、地中海世界各地で日常的に用いられている様々な言葉で語り出したのです。
 主の弟子たちのこのような不思議な経験には、どのような意味が込められているのでしょうか。この炎のような舌は、主イエスの福音が世界中に宣べ伝えられるという伝道が開始された出来事として受けとめたいと思います。エルサレムに集まった人々が、故郷の言葉で、喜びの知らせを聞き、教会が形作られるのです。周辺の多くの言葉で、福音が語られているという事は、突然語学が身についたということではなく、神の救いのみ業がイスラエルに留まることなく、全世界へ告げ知らされはじめたということです。聖霊降臨日は、世界への伝道という務めが、聖霊によって開始され、具体的に伝道が進んでいくことを指し示しているのです。聖霊降臨以降、主イエス・キリストの福音は、世界へ伝えられていきました。聖霊降臨によって、使徒たちが御言葉を語りはじめました。使徒たちによる福音伝道が力強くはじまりました。
 「一同が一つになって集まっていると」とあります。ギリシャ語の聖書では、「一緒に」と「同じ所に」という二つの言葉が続いて書かれ、集まっていることが強調されています。復活のキリストによって心を一つにされた集まりです。彼らはなぜ集まっていたのでしょうか。一同が一つになって集まっていたのは、目的なく集まっていたのではありません。一同集まっていた理由は、使徒言行録1章に記されています。
 「3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」「4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」」
 十字架と復活の主イエスは、ご自身の復活のお姿を四十日間にわたって現され、神の国について語られました。そして、食事の席でお命じになった言葉が続いて 4 節以下に記されています。一同が一つになって集まっていた理由は、復活の主イエスが昇天される前に語られた「父の約束」を待つためです。父の約束されたものを待ちなさいと語られた、復活の主イエスの御言葉を忘れることなく待っていたのです。聖霊降臨は父なる神の約束されたものなのです。父の約束は、聖霊なる神が祈る交わりの中に降り、使徒言行録1章8節の御言葉が実現しました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」と語られた言葉がその通りになったのです。昇天される直前、主イエスがお語りになった「あなたがたは力を受ける」という聖霊によって与えられる力とは、私たちを復活の主の証人としてくださる力です。
 一同が一つになって、父の約束されたものを待ち望み、約束通り聖霊が降り、地の果てに至るまで復活の主イエスを証しする証人にされたのです。
 その具体的な姿が、聖書にこのようにして描かれています。「2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
 使徒たちがキリストの証人として御言葉を与えられ、語りはじめました。聖霊が降って、聖霊なる神の助けと働きによって、洗礼へと導かれる言葉が与えられたのです。信仰者が集まる教会において、洗礼へと導かれる人々が起こされるのです。こうして、福音伝道が力強く開始されました。
 5月9から10日、新島教会に礼拝と総会に出かけました。土曜日の晩、アメリカのケリーさんからメールが届きました。彼は、1901年から15年間大島、新島の教会で伝道したマッソン宣教師のひ孫です。曾祖父や祖父母が生活し伝道した場所に教会員がいるならば会って励ましたいという趣旨でした。6月に新島教会で迎える準備をしました。きっと言葉の壁の壁を越えた、交わりができると思い、まさに聖霊の働きを感じました。
 聖霊降臨日、私たちは「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」の御言葉を心に刻みたいと思います。私たちが礼拝を捧げ、信仰を告白する時、祈る時、聖霊なる神がお働きになっているのです。聖霊は目では見えないから分からないと言ってはなりません。私たちが礼拝を捧げる時、讃美する時、聖書を読む時、聖霊なる神さまが共におられるのです。聖霊なる神が共におられて、助け導いて下さっているのです。聖霊降臨日に与えられた聖霊の働きと助けによって、救いの確信を与えられて生きる者へ変えられるのです。

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