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銀座の鐘

隣人を自分のように愛しなさい

説教集

更新日:2021年03月20日

2021年3月7日(日)受難節第3主日礼拝 家庭礼拝  牧師 髙橋 潤

出エジプト記20章12~17節

先週に続き、神がモーセを通してイスラエルの神の民と教会にお与えくださった十戒の後半、第5戒から第10戒までが本日与えられている御言葉です。
 神は、モーセに召命を与え、神の民をエジプトの奴隷の家から荒れ野へと導きだし、神 を礼拝する民としてくださいました。神の熱情は、私たちが神の愛に応えるために、モー セに十戒をお与えになりました。神は十戒を与え、この世の奴隷だった者を神の民とする 訓練の道をお与え下さいました。熱情の神は、荒れ野を歩き出した神の民に同伴し続けま す。「わたしは主、あなたの神、あなたを奴隷の家から導き出した神」は、モーセを派遣 し導き出して神の民を放っておかれません。神は私たちが奴隷の民ではなく、神の民であ ることに目覚めさせるため、絶えず共に歩まれました。神は隣人を愛する道を通して、神 を愛する道を具体的に教えます。
 十戒の第1戒から第4戒までの愛の命令によって、神は、私たちを呼び出し、招き、神 の御前に立たせてくださいました。神の訓練は、神を神とする礼拝の姿勢を整えさせまし た。私たちは洗礼式、聖餐式において、自分の座っている席から立って、聖餐卓の前に進 み出ます。神の御前に進み出る時、奴隷の民ではなく神の民とされます。神の御前に招か れたのは、私たちが神の民にふさわしいと評価されたからではありません。私たちの日常 生活が評価され、神のテストに合格したからではないのです。そうではなく、モーセ自身 がそうであったように、熱情の神のによって愛され、召命をいただき、私はあなたの神で あるとの御声を与えられたからでした。礼拝堂中央の通路を講壇に向かって前に進むと、 聖餐卓があります。この聖餐卓には、ヘブライ語でインマヌエルと彫り込まれています。 インマヌエルとは、「神我らとともにいます」という意味です。私たちは神の御前に出る にふさわしくない罪人です。神はそのような私たちを愛の御声をもって御前に出てきなさ いと命じ、この世の奴隷から神の民へと救い出してくださるのです。神が、インマヌエル、 神我らと共にいますとの愛の宣言によって、神の赦しと愛が私たちに無償で与えられてい ることに気付かなければなりません。同時に、神が私たちと共に荒れ野を歩み、共に苦し んでくださる犠牲を伴う愛の決断であることも受け止めなければなりません。この神の愛 の決断は、私たちと共に飢えや渇きを苦しみながら、神を礼拝する道行きとなりました。
 この神の決断は、イエス・キリストの十字架による御子の命を犠牲の小羊とする愛の決 断と本質を同じくするものです。十戒の後半は、この神の犠牲を伴う愛の決断に応える信 仰の道が指し示されているのです。神の民とされて、神に愛されている私たちに与えられ た道が示されています。主イエス・キリストは、十戒の後半を「隣人を自分のように愛し なさい」とお語りになりました。口語訳聖書では、「自分を愛するようにあなたの隣人を 愛しなさい」と記されています。自分を愛することと隣人を愛することが一つとなってい ます。自分を愛することは出来ても、隣人を愛することは出来ないとか、自分を愛するこ とはできないという声もよく聴きます。神は愛の命令によって、私たちを評価しているの ではなく、愛に破れている私たちであることをよく知った上で、自分自身と隣人を愛しな さいと命じるのです。神は私たちに敗者復活戦を与えようとしています。
 私たちは自分を愛することにおいても隣人を愛することにおいても敗者と言わなければ ならない者ではないでしょうか。十字架にお架かりになる直前、主イエスのあとをついて いった弟子のペトロが、あなたはあの男と一緒にいたと告発されそうになったとき、ペト ロは私はあの人を知らないと主イエスを裏切ってしまいました。十字架後、すべての弟子たちは恐れのあまり、主イエスの弟子であることをひた隠して生きたのです。私たちも主 イエスの弟子たちと同じ立場であったら、同じように神を愛することにおいても隣人を愛 することにおいても敗者であったのではないでしょうか。自分の力によって神を愛し、隣 人を愛することが出来ると高ぶっていた者です。私たちは自らの破れを認めなければなら ないのです。そのような「奴隷の家」にいた私たちを愛して、御声をもって招くお方が、 私たちに期待を込めて語っておられるのです。それが、隣人を愛すること、自分自身を愛 することによって、神の御前に立つことが出来るということです。私たちが隣人を愛する とき、隣人が自分にとって愛するに値するか値しないかという私の基準を持ち込みがちで す。しかし、神は神の基準によって、私たちを神の愛の対象として見つめてくださったの です。私たちの思いを遙かに超えて、神は、私たちを愛する対象としてくださり、神の民として導いてくださいます。第5戒以下を読みましょう。
 第5戒「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地 に長く生きることができる。」「あなたの」とは、誰のことでしょうか。十戒の第5戒は、 レビ記19章によれば、親が子に対して語っているのではなく、子が年老いた親に対して の教えです。レビ記では「母と父を恐れよ」に続いて「白髪の人の前でお前は起立せよ」 「老人の前で敬意を表せ」とあります。イスラエルにおいて神との契約は親を通して継承 します。親を重んじ、敬う根拠は、親がどのような人生を送って、尊敬できるかどうかと いうよりも、親を通して神の真実を受け継ぐことにあります。私たちは神との真実な関係 を土台として、親を重んじる問題や困難を乗り越え、神の導きに従い親を愛するのです。
  第6戒「殺してはならない。」口語訳聖書では「あなたは殺してはならない」と訳されて います。「あなた」とは誰か一人ではなく、神の民全体に対して語られている言葉として 聞きます。奴隷の家にいた私たちが、相互に神の御前で相手の命を重んじることです。神 は6戒によって、命は、私たちのものではなく、神のものであると宣言しておられるので す。私たちは、神が与えてくださった命を生かされているのです。
 第7戒「姦淫してはならない。」との戒めは、神の御前にすべてをご存じのお方の前に 私たちが立つことが求められています。旧約聖書では、結婚後の男女の問題が姦淫として 認められています。しかし、主イエスは「情欲を抱いて女を見る者」を問題にしました。 相手の結婚を破壊してはならないことと共に、終わりの日に、男女が感謝して神の御前に 共に立つために、命の道を歩むことが命じられています。
 第8戒「盗んではならない。」この戒めは窃盗罪と受け止めがちです。しかし、この戒 めの本来の意味は、誘拐のように人を盗んではならないことにあると説明されます。人を 盗むということは、誘拐だけでなく、相手の行動の自由を暴力等によって奪い取ることで す。神は神の民に対して行動の自由をお与えになるのです。人だけでなく、「盗んではな らない」と目的語を限定していないことをしっかり受け止めたいと願います。
 第9戒「隣人に関して偽証してはならない。」この戒めの左近淑訳は「偽証人として隣 人の不利になるように答えてはならない」です。神の法廷において神の御前で偽証しては ならないと戒められていることが分かります。相手の名誉を重んじることが求められてい るのです。偽証によって隣人を落としいれることは、神の愛からそれてしまうのです。
 第10戒「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人の ものを一切欲してはならない。」口語訳では「むさぼってはならない」と訳されています。
創世記に登場するカインは自分自身の欠けを思わず、主の恵みに欠けがあると考えました。 主の恵みの配分を問題にして弟アベルの命を奪いました。ダビデ王が部下の妻を奪いまし た。隣人の妻、ものを欲し手を出してしまいます。「むさぼり」です。隣人の妻と所有財 産を守る戒めです。自らの欲望に打ち勝ち、神の御前に立つ者へと期待されているのです。
 十戒は、私たちの経験上、大変厳しい状況を指摘しているように思います。しかし、一 度でも戒めに背いたら救いの道が閉ざされるという掟ではありません。そうではなく、そ のような罪深さに気付きを与えられ、私たちを繰り返し神の御前に立つことを求めている のです。十戒を通して、自らの弱さ惨めさ愚かさ、神の御前に立つことのできない自分自 身の罪を知るのです。自らの力では背負いきれない罪の重さを知るのです。
 主イエスは、そのような御前に立つことのできない私たちのために遣わされました。そ して、命がけで、教え、愛の業を行い、十字架を背負われました。私たちは受難節を過ご しています。3月28日から受難週を過ごし、4月4日主の復活を覚えて礼拝をささげま す。十戒を通して、私たちの重い罪を背負いつつ神の御前に立つとき、主イエスの御苦し みを深く知り、覚え続けなければなりません。主イエスの受難の意味を受け止めつつ、主 が私たちの罪を背負われていることを直視したいと願います。そして、主の御苦しみの向 こうに用意されている、赦しの福音を聞く姿勢を整えるのです。

祈り
 天の父なる神さま。十戒の言葉によって隣人を愛するご命令を与えられています ことを感謝いたします。あなたのみ声を聞き、あなたを愛する道を歩ませてください。私 たちの罪を背負ってくださる主イエスのお姿を心に焼きつけてください。
主イエスの御名によって祈ります。アーメン

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